「イエスをのろっていた」あなたがたが、
「イエスを主」と告白している。これは聖霊の働きによる
1-3節
12:1 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
12:2 ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。
12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
救われる以前のあなたがたは、偶像礼拝者だった。
あなたがたは聖霊によって変えられた。
あなたがたは救われる前、偶像礼拝者だった。よって悪霊の支配の中にあった。
そして、悪霊にうながされて、イエスをののしっていた。2
そのあなたがたが、今は「イエスは主です」と告白している。
聖霊の働きによって、あなたがたはこのように変えられたのだ。3
この聖句から、イエスを告白した人が皆、聖霊を受けているとは言えない。
この聖句から、信仰を告白した人はすべて、聖霊を受けたとする教会がある。
確かに、聖霊を受けた人は、必ずイエスを主と告白する。
しかし、イエスを主と告白しているからといって、その告白がすべて聖霊によるとは限らない。「逆もまた真なり」ではない。悪霊でさえイエスが主であることを知っているのだから。
★聖霊による信仰告白は、イエスを主と言うレベルの浅いものではない。
自分の心に劇的な変化を体験した人の、深い悔い改めと回心をともなう、心からの信仰告白であることに注意する必要がある。
御霊が与える賜物の多様性と一致
4-11節
12:4 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
12:5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
12:6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
12:7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
- 賜物の根源は1つ。同じ御霊が各人に賜物を与える。4-6
- 賜物の種類は違っていても、互いに一致がある。
- 賜物は御霊の現れ。賜物は神から与えられる。7
- 皆の益となるために与えられる。自分のためではない。7
- さまざまな異なる働きをする賜物がある。
例:知恵、知識のことばを話す、奇跡を信じる強い信仰、
病気を治す、異言を話す、異言を解き明かすなどの能力。8,9,10 - 賜物は神の御心に従って与えられる。11
だから、他者の賜物を敬い、自分の賜物に満足するべき。 - 自分に与えられた賜物の目的を知り、活用することが、信者の役割。
- 他者の賜物をむやみに欲しがることは、御心に反すること。
- 1人で完結できるような、オールマイティ―な賜物はない 11。
- 各人の賜物を、他者の賜物と共に働かせることによって、教会の徳を高めることができるように、神は定めておられる。11
信者はお互いの賜物を必要とする
目立たない、小さな働きこそ
教会になくてはならない重要な働きであることを知りなさい
12-27
12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が 一つの御霊を飲む者とされたからです。
12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
- 各人は、教会を築き上げている。キリストの肢体といえる。
- 信者は、お互いを必要とする関係。
ある人が弱るとき、教会は悲しむ。ある人が喜ぶとき、教会全員が喜ぶ。 - キリスト者の賜物は多様性と一致(1つの起源)がある。
- 目立たない働きをする人、動けない人(祈る)を、教会はことさらに尊び、感謝する。22,23
このような人たちの存在が、教会の徳を高めるために、伝道や宣教のために、教会を治めるために、なくてはならない重要なものだからです。 - 目立つ働きをする人は、人から誉められ尊敬されているから、24
教会が、今さら誉める必要はない。 - このようにすることで、信者たちの評価のバランスがとれる。
神の信者に対する評価に、教会の評価が一致するようになる。
各人はそれぞれの賜物をもって、教会を構成している
互いを尊重して組み合わされるとき、良い教会が建て上がる
27-31
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
12:28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を 持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
12:29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
12:30 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
12:31a あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
- 皆が同じ賜物を持つなら、教会は建て上がらない。
他者の賜物を互いに必要としている。働きは違うがお互いを尊重することができる。それぞれの賜物を合わせて、教会を建て上げなければならない。