要約
民がエルサレムに、いけにえをささげるために上っていくなら、民の心がレハブアムになびくのではないかと、ヤロブアムは恐れた。そこで、ベテルとダンに金の子牛を置いた。「これがあなたがたをエジプトから連れ上った神である」から、エルサレムに行く必要はないと、告げた。祭りの日を第8月の15日に定め、祭壇で生け贄をささげ、香をたいた。
教えられたこと
ヤロブアムは主の約束を信じず、自分が考え出した策略に頼った。
そして、神に対して「偶像を作って民に拝ませる」という大罪を犯してしまった。
主は、ヤロブアムを召した時、彼に約束をしておられた。
「わたしの道に歩み、おきてと命令とを守って、私の目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにおり、だびでのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。」第1列王記11章38節
ヤロブアムが主の約束を信じ、民がエルサレムに上って行ったとしても、偶像を造らず、主のおきてと命令を守っていれば、彼の王国は長く続いたであろうに。しかし、彼は主に自分を救っていただこうとはしなかった。主は約束を守られる方であって、どのように不利が状況も、主は一瞬にして変えることができると信じきれなかった。
それで、民がエルサレムに上ることを恐れた彼は、神のおきてを破る策略によって自分を救おうとした。民がエルサレムに行かなくても、ささげものができるように、ベテルとダンに金の子牛の神を置いた。祭りの日まで自分で考え出し、8月15日と決めた。そしてレビの子孫でない者たちを祭司に任命した。
彼は、他の神を造るという大罪を犯した。
彼にとって、目の前に起こっていることが全てであった。
現実の背後で全てを統治しておられる神を考えに入れなかった。
しかし、事の成り行きは、神によって決められるのである。
私たちもヤロブアムと同様である。
私たちは、自分の目の前に起こっていることだけを見て、うろたえる。
しかし、一番大切な事は自分が主のおきてと命令を守っているかだ。
もし、神に対して聖い良心を持てるのであれば、心静かに主の助けを待つことである。
ヤロブアムのように、自分で考え出した策略に頼ってはならない。
彼は偶像を造って神のおきてを破った。
その結果、彼の王国は短期間で終わってしまった。
私たちは、ヤロブアムのようになってはいけない。
神でないもの(策略、お金、権力、人)に頼って自分を救おうとしてはならない。
それらに自分を守らせるために、主のおきてを破るようになってはならない。
主が全てのことを治めておられるからである。
主に逆らうなら、あなたに未来はない。
しかし、主が味方でいてくださるなら、
あなたに逆らって立つあらゆる策略、攻撃を恐れる必要は無い。
主があなたのために戦ってくださるからである
。神に逆らって立つことができる人はいないからである。