要約
アハブの王宮のそばにナボテが所有するぶどう畑があった。アハブは、その地所を譲ってほしいと申し出る。しかし、律法では先祖からの相続地は移さないように教えられていた。そこでナボテは、王の申し出を断る。王は怒って食事もしない。その様子を見た妻のイゼベルは、王にその土地を与えることを約束する。彼女は、長老たちとおもだった人たちに命令し、ナボテを民の前に引き出させ、偽りの証言者を立てさせて「彼が神と王をのろった」と言わせた。それで、人々はナボテとその子たちを石打ちにして殺した。イゼベルからナボテが死んだことを聞いた王は、すぐに畑を取りにでかける。その道中、王はエリヤに会う。エリヤはアハブの一族とイゼベルの悲惨な最期を預言した。
教えられたこと
- ナボテが畑を譲らなかったのは、それが律法に違反するから。
ナボテは、王の要求を退けた。彼は律法の権威が王の権威よりも上であり、律法は第一に守るべきものであることを知っていた レビ記25章23―26節に先祖からの土地を売る場合の規定があります。
1.おちぶれて土地を売る場合は、必ず「買い戻しの権利」をつけること。
2.土地を買うことができる近親者に売ること。
3.そのような近親者がいない場合、お金ができた時に、ヨベルの年までの残りの年数分を払って買い戻す。
4.買い戻すことができない場合、ヨベルの年になれば、土地は無料で自分の所有に戻る。
<ヨベルの年>
ヨベルの年とは、50年に1回の大恩赦の年、この年には土地が元の所有者に無償で戻され、借金が帳消しになり、奴隷が解放されました。土地は、神のものであり、人はその管理者であるとの考えがありました。神は、民の平等をはかられて、このような律法を定められました。神が与えた土地が代々子孫に受け継がれていくことが神の御心でした。しかし、アハブはこれを全く無視したのです。
- アハブにとって、律法は、自由を束縛するやっかいな代物でしかなった。
自分の願いを律法が罪と定めて止めさせるなら、彼は律法を破って自分の欲望をかなえるほうを選びました。彼にとって律法は無いほうがいいもの。彼の自由を束縛するものでしかありませんでした。 - イゼベルにとって、律法は、民を都合の良いように動かす為の便利な道具であった。
イゼベルは、シドン人の王エルバアルの娘で、熱心なバアル信者でした。ですから律法に違反して、神の怒りを買う恐れなど、みじんもなかったことでしょう。さらに彼女は、悪賢い女です。律法のことを良く学んでいたと思われます。民を操作するために、律法をうまく利用しているからです。
・「神と王をのろった」と偽証させた。
民が神の名を尊ぶこと、これが死刑の刑罰になることを知っていた。
・「2人の証人」を立てたこと。
律法では、証人は2人以上立てなければならないと定められている。
・「人々にナボテを殺させた」こと。
律法に違反することによって、民がナボテを石打にして殺すことを知っていた。王は一切手を汚さずに、ナボテの土地を手に入れることができた。
・「ナボテだけではなく、子たちも」殺したこと。
もし、子がいるなら、土地は子供のものになる。律法に定められているからである。買い戻しの権利を定めることができなかった(死んでしまった)ので、アハブは土地を所有を期限を決められることなく所有することができる。
イゼベルはずる賢い女です。彼女は律法を逆手に取って利用したのです。 - 律法に違反をしても、無感覚になったアハブ。ハザエルとの戦いの時に、神は彼を勝利させ、悔い改めの機会を与えておられたのに、アハブは罪を犯し続けた。律法を犯すことによって得られる利益を彼は選んだ。あとは神のさばきが下るのを待つだけである。
ナボテの畑を取りに行ったアハブに、エリヤからアハブ一族の悲惨な最期が預言されました。ここまで堕落すればもはやどうしようもありません。後は神の裁きが下るのを待つだけになってしまったのです。宣告を受けたあはぶは、打ちしおれて歩きました。神はさばきの時を、彼の死後に遅らせましたが、さばきを変えることはなかったのです。
適応
アハブは神に対して罪を犯しても、神を恐れることも、良心の呵責を覚えることもありませんでした。彼の望みは、この世で最大限に楽しむことでした。律法がそれを罪だとして止めさせる時、彼は律法を破ることを選択しました。そのため最後には、神に忠実なナボテ一族を殺すことになってしまいました。ここに至って神の忍耐の終わりがきます。彼とその一族に悲惨な死が宣告されました。
私たちはどうでしょうか。あなたの望みはアハブのように、この世で楽しみを味わい尽くすことでしょうか。もし、聖書がそれを罪だと定めるなら、あなたはどうしますか?神のおきてに従って止めますか?それともアハブのように聖書の勧めを無視しますか?神の戒めを無視するあなたにとって、律法は自由を制限する「かせ」でしかありません。本音では、「こんなもの無い方が楽に生きれる」と思っているのです。しかし本来、律法は神の民を守るために与えられたのです。
神を敬い、神を畏れる者は、神から与えらた定めの意味を理解し、それに心から同意して、感謝して受け取り、実践します。ナボテは、律法を違反させる王の要求を拒否しました。律法は、王が持つ権威よりも上であり、私たちが第一に従うべきものであるからです。
聖書に書かれた神の定めに違反し続けるなら、いつかアハブと同じように、神によってさばかれる日が来ます。それは、生きている間には起きないかもしれません。しかし死後、永遠にさばかれることは確実です。だからこそ、神の最終的な宣告が下る前に、主を信じ、主に従おうではありません。もしあなたがすでに主を信じているなら、今一度自分の心を吟味して見てください。私にとって、神のさだめは、心から同意し、感謝して受け取る「恵み」なのか、それとも自由を束縛する「かせ」なのか?もし、答えが後者なら、悔い改めて、神を第一とする信仰を求めてほしい。