第1列王記22章「アハブの死。つりあわぬくびきを負ったヨシャパテ。アハブの息子アハズヤとも同盟を結ぶ」

目次

アハブとヨシャパテは共にアラムと戦った

  1. アラムとの間には3年間平和があった。
  2. 3年目になってヨシャパテが訪ねてきたとき、アハブはアラムの主要都市ラモテ・ギルアデを一緒に攻めることを提案する。
    ヨシャパテは主の預言者に助言を求める。アハブの預言者400人は、そろって王の勝利を預言した。
    しかし違和感を抱いたシャパテは、他に預言者はいないのかと訪ねる。
    そこでアハブは、仕方なくイムラの子ミカヤを引き出す。ミカヤはアハブの敗戦と死を預言した。
    それでも彼らは出陣した。アハブはヨシャパテに王服を着せ、自分は兵士に変装して戦場に向かった。
  3. アラム軍はヨシャパテを目指して向かって来た。
    ヨシャパテは主に叫んだ。主は彼を助けられ、アラムの軍隊が彼から離れるようにされた。
  4. ところが、ある兵士がなにげなく射た矢が、アハブの胸当てと草ずりの間を射貫き。アハブは夕方になって死んだ。

アハブの子アハズヤが王になった。(2年間)1列王22:48~

  1. アハブの子アハズヤが次の王になった。
  2. 彼は主の目に悪を行い、金の子牛を拝んだ。バアルを拝んだ。1列王22:52、53
  3. ヨシャパテのタルシシュ行きの船団が難破したとき、アハズヤは協力を申し出たが、ヨシャパテは断った。1列王22:49

アハブについての考察

考察1、アハブは欲望を抑えられなかった。そのため、アラムとの休戦の契約を破って戦った。このことに関して、主の御心を聞くことはなかった。神をあなどった結果、敗戦し、彼は戦死した。

アハブはハダテを生かし、ハダテの父が取った町を返してもらい、ダマスコで市場を開いた。
しかし、アハブはこれで満足はしなかった。アラムの主要都市ラモテ・ギルアデが欲しくなった。
それを取れば大儲けができるからである。
アラムとの平和が保たれている今、アラムはイスラエルからの攻撃を警戒をしていない。
ヨシャパテを味方につけて出陣すれば、ギルアデを取ることができるとアハブは考えた。

考察2、アハブは、自分に都合のいい預言だけを聞いた。

彼には400人の主の預言者がいたが、彼らはアハブに良いことだけを告げる偽預言者たちであった。アハブは真の預言者を遠ざけていた。ミカヤを牢に入れ彼に預言をさせないようにしていた。

考察3、アハブは、人間が知恵を働かせれば、主の預言をくつがえすことができると考えた。
しかし、神の決定を変えることはできなかった。

彼は「戦場で死ぬ」と預言された。だからヨシャパテに王服を着せて、彼に攻撃を向けさせ、自分は兵士に変装することで攻撃を逃れようと対処をした。ヨシャパテはアハブの予想どおりアラム軍に追われたが、命は助かった。
ところが、アハブに予想もしないことが起き、彼は預言通り死ぬことになった。ひとりの兵士がなにげなく放った矢が、彼の急所を射て、出血多量で彼は死んだ。
ここに、人間がいくら知恵を働かせて備えをしても、神が決定されたことを変更することができない事実を見る。それができると考えたアハブの高慢を神は見事にへし折られた。

ヨシャパテについての考察

考察4、ヨシャパテは偽の預言を見抜いた。そして真の預言者を求めた良い王様。

ヨシャパテは戦いに出るべきかどうか、まず主の預言を求めた。そしてアハブの預言者のことばに違和感を持った。これは彼が主に信仰を置く王であったことの証拠。

考察5、しかし、ヨシャパテは不信仰な者と関わり過ぎた。そのため自分に「わざわい」を招いた。


ヨシャパテは信心深い王であった。彼は北王国と友好関係を保った。この時はアハブを訪問している。また、アハブと共にアラムと戦った。彼はアハブにこう言った「私の民とあなたの民とは同じようなもの。私の馬とあなたの馬も同じようなもの」(4節)ヨシャパテは、ユダとイスラエルの民が助け合うことで、互いの益になると考えた。
彼の考えは甘かった。ユダとイスラエルは同じようなものではない。確かに先祖は同じだが、信仰が違う。
イスラエルはバアルを拝み、主を怒らせている国である。そのような国と共に戦うことは、自殺行為である。戦いを勝利させておられる方は主であるのに、彼らは主の御心に従わない人たちだからだ。

考察6、ヨシャパテは無防備であった。アハブに利用された。しかし、神は彼の命を守られた。
ヨシャパテはイスラエルに頼った。ここに彼の弱さを見る。

ヨシャパテはあまりにも無防備であった。彼は王服を着て戦場に出た。アラム軍は王だけを殺すことを指示されていたので、彼らはいっせいに彼ヨシャパテに向かって行った。
ヨシャパテは助けを叫んだ。その叫びを主は聞かれ、彼を助けられた。彼がイスラエルの王でないことをアラム軍が知るように仕向けられた。ここに、主の民の備えが不十分であっても、主が彼らを守られる事実を見る。
しかし、
アハブにだまされ利用されていることに気づかない彼はお人好し過ぎる。やはり釣り合わぬくびきは避けるべきであった。北イスラエルと共に戦うことは、アハブの王国と運命を共にすることを意味する。ユダの国を治める王としては、正しい選択とは言えない。
ヨシャパテは、敗戦の預言が下ったにもかかわらず出陣しており、彼の判断の甘さは明らかである。そのような彼であっても、主に助けを求めたとき、主は彼を助けられる。主の寛容は驚くべきものである。

適応

適応1、信仰が違う人と深い関係を持ってはならない。

信者は神の御心を第一にして、聖書に書かれた教えに従って善悪を判断し、問題に対処します。
しかし未信者は、アハブのように自分の願いを中心に、人間の知恵と方法で物事に対処します。この違いは大きいです。
ですから、重いくびきを未信者と結ぶならば、信者はきっと神を二の次にして、未信者に歩調を合わせなければならなくなるでしょう。そこから、多くの問題を刈り取ることになるでしょう。

適応2、少しの妥協が、後で大きな問題をもたらすことがある。

ユダは1部族の小さな国です。北王国は11部族が所属する大きな国です。ヨシャパテは北と協力して戦えば、敵の攻撃から守られ、領土を拡大できると考えたのではないでしょうか。
しかし、結果はアハブに利用され、神が負けると決めておられる戦いに参戦して、あやうく命を失うことになりました。勝利を決めるのは、国の規模、兵の数ではないのです。それは神への信仰が純粋であるかどうかです。
わたしたちも同様です。自分の教会は小さいから、大きな教団に所属すれば、サポートが期待できる、伝道も進むと考えます。そのためには主要な教理の違いがあっても良いとして妥協します。
ところがその結果は、教会内に誤った信仰があるのに正すことができない、そのため分裂が起きる。また、伝える福音が違うので、一致できずに伝道が進まない、などの問題をかかえることになります。やはり、同じ純粋な信仰を持った人とともに、教会を維持成長させることが重要です。

適応3、神を怒らせることは、一番避けるべき。主に従うなら、主が守ってくれる。

神にさばかれることほど恐ろしいものはありません。そして神のさばきを変えることはできません。アハブはバアルを拝み、主の預言を軽く見ました。彼は、備えをすれば死を免れることができると考えました。しかし、彼は預言どおりに死にました。

主に愛される人は、主が守ってくださいます。ヨシャパテがそうでした。彼は無防備でありましたが、神が彼を救ってくださいました。ですから、私たちも主を信じ、主に従う生き方が一番安全だと思います。

 

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