第1列王記8章「罪の赦しを求めた、ソロモンの祈り」

要約

契約の箱を神殿に運び入れた
神殿を建て終わったソロモンは、契約の箱を運び入れる。祭司とレビ人に箱を担がせ、
至聖所に安置する前に、数え切れないほどの羊や牛のささげものをした。
ソロモンは、神の定めた方法に基づき、慎重に運んだ。
(父ダビデは箱を牛に引かせたために神罰が下った)
その後、ソロモンは、ひざまずき神殿に向かって両手をあげて祈る。

ソロモンの祈りから教えられたこと

1.ソロモンは、神殿は象徴であって、神自身ではない。
神殿に向けて祈るが、神は天で聞いておられること知っていた。

この宮であなたに祈ったら、この宮にある祭壇の前で誓うとき、
あなたご自身が天でこれを聞き(30、33節)

この当時は、神殿に向かって祈る祈りを、神は聞いてくださった。
神殿に向かって祈ことは、イスラエル神に信仰を持って祈ることを意味する。
そして、神は神殿においてではなく、天において祈りを聞いていてくださるのである。
重要なことは、どの神に信仰をもって祈るのかが問題である。
そして、神殿を通して、祈りが天に届くということは、
祈る場所はどこでも良いということを暗示している。
イエスも、この山でも神殿でもなく祈る日が来ると預言された。
(ヨハネ4:21)

私たちにとって、神殿はイエスキリストご自身である。
イエスの御名によって祈るとき、神は聞いてくださる。教会は神殿ではない。
教会で祈らなければならないのではない。
キリスト・イエスに対する生きた信仰を持って、
キリストを通して祈るのでなければ、祈りは神に届かない。

2.ソロモンは、民が神に対し、神の懲らしめを受ける時、彼らが立ち返れば、
 彼らの罪を全て赦し、彼らの願いを叶えてほしいと祈る。(私たちの救いに共通する祈り)
民が神に対して罪を犯す時とは、主に偶像礼拝をすることであった。
彼らは、イスラエル神以外の神が彼らの中にあってはならないと、きつく戒められていた。
しかし、他の民族の女性と結婚することによって、彼らは外国の神を拝んだ。

神以上に大切なものを持ち、それに頼る(拝む)ことが偶像礼拝である。
現代で言うならば、仕事、家族、財産、アイドルなどが相当する。
神よりもそれらが自分を楽しませてくれ、安心を与えてくれると思うなら、
それなしには生きられない、
それらの楽しみを邪魔するのであれば、
神はいらないと思うのであれば、それらはあなたの偶像と言える。

ソロモンは、立ち返って神に祈る時、赦してほしいと願った。
偶像から離れ、イスラエルの神、この天地を造られた神に立ち返るなら、
罪の全て赦してほしいと祈るのである。

私たちも同様である。私たちの大切にしていた「偶像」が、頼りにならないものだった、
変わらずに楽しませてくれるものではなかったとわかる時、
変わることなくを支えてくださる神に立ち返る。
そして真に神の前に悔い改める時、私たちが犯してきた罪を
「もはや思い出さない」と神は言われるのである。(ヘブル書8:12)

ソロモンの時代、まだキリストによる罪の赦しが成就する前であったので、
自分の罪の刈り取りをしなければならなかった。ダビデもそうであった。
しかし、私たちは幸いである。キリストによって完全に罪が赦される。

3.ソロモンの祈りは、将来起きることを預言したような祈り
○異邦人が改心することを預言した祈り
  外国人がここに来て祈る時は、彼らの祈りをかなえてほしい。(41-43節)
  イスラエル人だけではなく、異邦人もこの信仰に入ることを彼は受け入れている。
  事実、キリスト信仰は、イスラエルから始まって全世界に述べ伝えられた。

○イスラエルの捕囚を預言した祈り
  民が遠いあるいは近い敵国に捕虜として捕らえられていった場合、
捕われていった捕らわれていった敵国で心を尽くし精神を尽くしてあなたに立ち返り、
とらわれていったこの宮のほうに向いてあなたに祈るなら、
天で聞いて、
あなたにそむいて犯した全ての罪を赦し、
  彼らを捕らえて行った者たちが、あわれみの心を起こし、
彼らをあわれむようにしてください。(50節)

バビロン捕囚でこのことは実現する。
そしてバビロンのクロス王は、イスラエル人を帰還させ神殿を再建させる。

結論

ソロモンの祈りは、これからも神に従います、見てください今も従っているでしょう。
「どうかますます祝福してください」というような単純な願いではなかった。
神に罪を犯すことで神罰が下ること、しかし罪を犯さずにはおれないことを知った上で、
「神に立ち返るなら、赦してほしい」という祈りであった。

ソロモンの関心の中心は「罪と赦し」であった。
私たちの信仰の関心も同じである。
そしてこの問題を完全に解決してくださった方が、キリスト・イエスである。

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