要約
アラムのベン・ハダテが全軍を集めて、サマリヤを包囲した。ハザエルは、王の財宝、妻子を要求する。ハダテと戦うことを避けたいを受け入れる。しかし、家臣達の財産・妻子たちまで要求されたとき、長老たちの助言により戦うことになった。勇気のない、不信仰なアハブを、神は助けてアラムの軍勢に勝利させる。しかし、アハブはハザエルを生かし、彼と盟約して帰らせた。これは大いに主の御心を損ねることであった。そこで、主は預言者に命じて、アハブの死とイスラエル王国がアラムに占領されること告げさせた。
教えられたこと
1.アハブの不信仰ぶり
サマリヤの町が敵の大軍に包囲されたとき、アハブは震え上がったであろう。
しかしこのような時こそ、彼は万軍の主を思い出すべきであった。まず主に状況を申し上げ、主のことばが下ることを待つべきであった。しかし、彼は主に頼らず、敵の要求を受け入れることで自分を守ろうとした。敵に、自分の財産だけでなく、妻も子も簡単に敵に差し出すことができた。アハブは、冷酷で、自己の利益を最優先する男である。これが、不信仰なアハブの実態である。
2.アハブに対する神の「神の驚くべき寛容」
主は、アハブを主の奇跡によって勝利させた。1回目の攻撃では、たった7000人でアラム大軍に勝利させた。2回目の攻撃の際には、敵の作戦をあらかじめ知らせることにより、イスラエルに大勝利をもたらした。
これらのことはすべて、アハブが「主こそ神である」ことを知るためであった。主は、バアルを拝むアハブに立ち返るチャンスを与えられたのである。これは驚くべき神の忍耐、憐れみである。
3.しかし、主の御心に従わず、罪を犯すアハブ
アラムに大勝利した後、命乞いに来たハザエルをアハブは殺さず、彼と盟約を結んで帰らせる。ハダテと共存することで、アラムの地(ダマスコなど)で商売ができ、金が稼げると考えたからであった。神の御心は、アラムの聖絶であった。ハダテを殺しイスラエルをアラムの脅威から守ることが神のみこころであった。ここでも、アハブは罪を犯す。
彼は、神の計画よりも、自分にとって益かどうかによって物事を判断している。
しかし、このような生き方は、自分を破滅させることになるのを私たちは22章で見る。
4.預言者から厳しいことばを受けても悔い改めない、アハブのかたくなさ。
主が民の不信仰をさばくため、アハブをこれほどまでにかたくなにしたのかもしれない。
預言者から、将来の禍いを(ハダテに殺されること、アラムがイスラエルを攻め取ること)を告げられても、意気消沈し、悔い改めるどころか、ただ不機嫌になり、怒って、家に帰るアハブのかたくなさは、尋常ではない。ここまでかたくなになるのはなぜか。
まるで、エジプト王パロが、主の禍いにあいながらも、イスラエルの民を行かせないとかたくなになったことと似ている。
アハブは、主によってかたくなにされたのであろう。その目的は、彼を破滅させ、偶像に仕えるイスラエルの国を他国の攻撃にさらして苦しめ、彼らの不信仰をさばくためであったと思われる。
適応
失敗を繰り返す私たちにとって、神がアハブに悔い改めのチャンスを与えられたことは、大きな励ましです。確かに、救われた私たちの罪は、神によってゆるされている。だからといって、罪を犯し続けていいという訳ではない。私たちは神の寛容をいいことに、アハブのように罪を犯し続けてはいけない。そのようなとき、もし自分の内に主以外の神があるならば、つまり、主よりも頼りとする物や人、地位があるならば、悔い改めて「主こそ神です」と主に立ち返らなければならない。