- 1 1.アタルヤの死後、アハズヤの子ヨアシュがユダの王になった。
- 2 2.ヨアシュは主の宮の修理をおこなった。祭司が修理の金を集めることを止めさせた。 王と祭司が共同で献金を管理し、集めた金の全てを宮の修復に用いた。
- 3 3.いけにえのための献金は、祭司のものとした
- 4 4.ヨアシュの養父、祭司エホヤダが死んだ。王は主を捨てアシュラを拝んだ。
- 5 5.王の不信仰を罰するため、主はアラムにユダを攻めさせた。
- 6 6.ヨアシュ王は重病になり、家来たちに殺された。民は彼を王の墓に葬らなかった。
- 7 観察:ヨアシュ王の生涯からわかること
- 8 「ヨアシュ」のような見せかけだけの信仰の特徴
- 9 適応:あなたは個人的な神との関係を持つているか?
1.アタルヤの死後、アハズヤの子ヨアシュがユダの王になった。
- アタリヤの死後、アハズヤの子ヨアシュが王になった。母はツィブヤ。ベエルシェバの出。エルサレムで40年間王であった。
- 祭司エホヤダが生きている間は、主に従った。
祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも主に従った。しかし、高き所を取り除くことはなかった。民はなおも高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。2歴代24:2
2.ヨアシュは主の宮の修理をおこなった。祭司が修理の金を集めることを止めさせた。
王と祭司が共同で献金を管理し、集めた金の全てを宮の修復に用いた。
- ヨアシュは神殿の修復を祭司たちに命令した。2列王12:4~5、2歴代14:5
アタルヤが宮をこわし、道具をバアルのために用いたため。2歴代24:7 - しかし、レビ人は不正をしたため、治政23年になっても工事ははじまらなかった。
祭司たちが、それぞれ担当する者から金を受けとり、宮の破損のために使うことになっていた。2列王12:6
毎年、宮の修復のための税金を、全イスラエルから集めて、工事をするように命じた。2歴代24:5~6
しかし祭司たちは、ささげられた金を自分のものとし、工事に用いなかった。 - そこで、ヨアシュは祭司が直接献金を集めることを止めさせた。2列王12:7~8、2歴代24:8~10
祭司が宮の修復の責任は負わない。王が修復の責任を持つことにした。
- 宮に献金箱を置き、王の書記官と大祭司が箱の金を計算させた。工事をするために用いた。
2列王12:9~12、2歴代24:11~12
献金を王と祭司が共同で管理するようにした。そして、集めた金を宮を工事する管理者に渡した。 - 修復の工事は完了した。道具は金で作り、銀は用いなかった。2列王12:13~15,2歴代24:13~14
工事する者は忠実に働いた。すべて金の道具を作った。銀では作らなかった。
宮をもとのように建て、道具を作りなおした。
3.いけにえのための献金は、祭司のものとした
- 罪過のためのいけにえの金、罪のためのいけにえの金は祭司たちのものとなった。2列王12:16
4.ヨアシュの養父、祭司エホヤダが死んだ。王は主を捨てアシュラを拝んだ。
- 祭司エホヤダは130歳で死んだ。2歴代24:13
- エホヤダの死後、ユダのつかさたち(princes 君主たち)が王を伏し拝んだ。王は彼らの助言を聞き入れた。
彼らは王をアシュラ像や偶像に仕えさせた。2歴代24:17~18 - 主は、王を立ち返らせるため、預言者たちを遣わしたが、王は聞かなかった。
- 主が遣わした、祭司エホヤダの子ザカリヤを殺した。2歴代24:20~22
王は、ゼカリヤの父が自分に尽くしてくれたことを心に留めず、かえってその子を殺した。その子は死ぬとき「主がご覧になり、言い開きを求めるように」と言った。2歴代24:22
5.王の不信仰を罰するため、主はアラムにユダを攻めさせた。
- ゼカリヤの死の翌年、アラムの王ハザエルが、ガザを攻め、エルサレムに攻め上ってきた。
アラムは、民のつかさを一人残らず殺した。分捕り者をダマスコに送った。2列王12:17、2歴代24:23 - 王は、自分の先祖たちおよび自分が主にささげた全ての物と、主の宮と王宮にある全ての金をハザエルに送った。
王は多くの財宝を失った。2列王12:18、2歴代14:23 - アラム軍は少数であったのに大勝利した。主が彼らを勝利させた。王たちが主を捨てたからである。2歴代24:24
アラムの軍勢は少人数で来たが、主が、非常に大きな軍勢を彼らの手に渡されたからである。それは、この人々がその父祖の神、主を捨てたからである。2歴代24:24
6.ヨアシュ王は重病になり、家来たちに殺された。民は彼を王の墓に葬らなかった。
- ヨアシュは重病になった。(戦いで負傷したためか)ユダのつかさたちは彼を捨てて離れた。2歴代24:25
- 王の家来たちは、エホヤダの子たちの復讐のため、ヨアシュ王を殺した。2歴代24:25~26
謀反を企てたのは、アモンの女シムアテの子ザバテ、モアブの女シムリテの子エホザバテ。 - 王を王達の墓に葬らなかった。ダビデの町に葬った。2歴代24:25
- ヨアシュ王の子アマツヤが王になった。
観察:ヨアシュ王の生涯からわかること
観察1、ヨアシュの信仰は、養父に教えられて従っていただけ。心の回心がなかった。見せかけの信仰であった。
彼の信仰は、自分の命を救ってくれた人、祭司エホヤダを介して受け入れた信仰であった。
彼は、養母であったエホシェバや養父であったエホヤダを慕っていた。それで、彼らが信じる神に自分も従うことが当然であった。
しかし、そこには自分と神との直接的な関係がなかった。自分の罪の問題を解決してくださる救いの主を仰ぐ信仰はなかった。
また、敵国との戦いにおいて、兵力によらず、主の奇跡によって勝利させてくださる全能なる神としての信頼はなかった。
彼の信仰は表面的であった。彼は悔い改めておらず、外側だけ信仰者の姿を装う信仰者であった。
観察2、その証拠に、祭司たちが宮の献金について不正をしていたことが発覚し、エホヤダが死んだ後。彼は、主を捨てた。
2列王記2節には、「エホヤダが彼を教えた間はいつも主の目にかなうことを行った」とある。
主の宮を修復する金のことで、祭司たちは彼の命令を軽視し、工事は延期された。
このことで、彼は祭司たちに対して疑問を抱くようになったと思われる。
この時、彼を助けたのは、ユダのつかさたちであった。彼らは王の提案に賛同して、献金を捧げてくれた。
そして、祭司エホヤダが死んだ。彼は、祭司エホヤダに恩を感じていたから、イスラエルの神を信仰していた。しかし、エホヤダ亡き後、主を信じる必要がなくなった。彼にとって、自分が王として敬れ、家臣が自分の命令に従うなら、どの神を信じてもよかった。
むしろ、イスラエルの神は、祭司や預言者が王の上に権威を持って、王に指図するため、彼には不都合だった。
ヨアシュが、ユダのつかさたちが彼を伏し拝んだ時、彼らの意見を聞き入れ、偶像に仕えるようになった理由がここにある。
エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ王は彼らの言うことを聞き入れた。彼らはその父祖の神、主の宮を捨て、アシュラと偶像に仕えたので、彼らの罪過のため、御怒りがユダとエルサレムの上に下った。2歴代24:17,18
また、彼は主を捨てた。預言者たちの忠告を拒絶し、祭司エホヤダの息子ザカリヤの助言を退け、彼を殺した。
主は、彼らを主に立ち返らせようと、預言者たちを彼らに遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。
・・ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたことを心に留めず、かえってその子を殺した。・・
2歴代24:19~22
それにしても、祭司エホヤダに保護されて育った人が、これほど主を忌み嫌うようになるとは驚きである。
やはり、信仰は人間の努力によって得るものではなく、神の恵みによって与えられるものだということがこの例からわかる。
観察3、彼は神殿を修復することに熱心であった。しかし、いざ敵が攻めてくると、主によってではなく、人間的な方法(金をささげる)で敵を去らせた。これもまた、彼の信仰が見せかけ出会った証拠である。
アラムの王が攻めてきたとき、主に頼るのではなく、宮にある宝物や金を送ってアラムの攻撃を逃れた。彼は、祖父ヨシャパテのように主に祈って、主のみに頼って、敵と戦うことはなかった。
観察4、彼は不信仰のために、主の怒りを買った。そのため、先祖が蓄えた財宝と彼が蓄えた宝の全てを一瞬にして失った。
アラムの王ハザエルが攻めてきたとき、彼の先祖たち、ヨシャパテ、ヨラム、アハズヤが捧げた全ての物と、ヨアシュがささげた物、宮と王宮の宝物倉にあるすべての金をハザエルに送ることになった。そのため、彼の代で王国は貧しくなった。
全ては、彼の不信仰が原因であった。彼の不信仰を喜ばれない神が、ハザエルに命じてエルサレムを攻めさせたからであった。
「ヨアシュ」のような見せかけだけの信仰の特徴
特徴1、外側をきれいにすることに熱心である。(会堂、服装、しぐさ、言葉遣い)
特徴2、信仰に導いてくれた人との関係が悪化すると、信仰も消失する。
これと同じように、人を介して神を信じる人は、その人との関係が悪いなるときに、信仰を捨てます。なぜなら、信じた動機が、その人を尊敬できたから、自分に親切にしてくれたからだからです。だから、その人を尊敬できなくなったり、その人につまずいたりするなら、信仰を続ける理由がなくなるからです。
特徴3、個人的な神との関係がない。心からの悔い改めがない。
特徴4、小事には信仰的に対処するが、大事には神に頼らず人や物に頼る。
適応:あなたは個人的な神との関係を持つているか?
神は、神の前に心砕かれ、悔い改める者を愛します。私たちは、外側をクリスチャンらしく取り繕うのではなく、自分の心を吟味しなければなりません。自分の罪が本当にわかっているか、自分にとってに神はなくてはならないものか、吟味することが必要です。ヨアシュのように、人に良くしてもらったから信じるのではだめです。個人的に神に出会って、悔いあらためる信仰が、神に受け入れられる信仰です。このことを可能にするのは、聖霊です。主に喜ばれる信仰を持つためには、超自然的な神の恵みが必要です。
人間の努力だけでは、信仰者を生み出せないことは、ヨアシュの例から明らかです。
ヨアシュは、神を信じる条件が整っていました。幼い時から教育され宮で育ちました。しかし、彼は、指導者がいなくなると、
主を捨てて偶像を拝みました。それだけではなく、主の預言者たちを殺すほど、彼は主を忌み嫌ったのです。
ですから、私たちの役割は、福音をあますところなく伝えることです。
人が喜ぶことだけではなく、人を怒られることをも伝えなければなりません。それが伝道者の務めです。
その責任を果たした上で、その方の回心を主に祈ることです。
あなたがもし、パウロが説明した福音を聞いたことがないなら、ぜひ知る努力をしてください。
その上で、主との間で、対峙する時間を十分に持ってください。この福音は私にとって、本当に甘いものか、苦いものか。
ありがたいと思えるものか、私を怒らせるものか。心から欲しいと思うか、くだらないと捨てるか。心の中で吟味してください。
主の恵みにより、あなたに信仰が与えられますようにとお祈りしています。
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