要約
アタルヤの死後、ヨアシュが王となった。彼は、祭司たちに神殿を修復するように命じた。しかし、23年経っても主の宮の工事は始まらない。そこで、彼は祭司が民の献金を集めること禁止した。神殿の入り口に献金箱を置き、民が献金を箱に入れるようにした。そして入り口を守る祭司たちに見張らせた。王の書記と大祭司に集まった献金を回収して計算させた。そして、主の宮の工事をする者に渡した。このことにより、主の宮の破損の工事は進んだ。
観察
観察1、祭司は献金を集めていたが、神殿建築のためには使われなかった。
王は祭司たちに宮の修復を命じていたが、23年待っても工事は始まらなかった。祭司たちは集めた金を、神殿建築のためではなく、自分たちのために使っていたからだ。
観察2、ヨシュアは、献金を王が管理できるように、集める方法を変えた。
民に割り当てられた献金(十一献金)や、自発的にささげられた献金(自由献金)は、担当する祭司が受け取っていた。献金の管理は祭司が責任を持っていた。そのため、祭司が金を不正に利用することがあった。それで、ヨシュアは献金の集め方を変えた。
1.祭司たちが金を受け取らない。(8節)
2.民が直接献金箱に入れる。(9節)
3.箱の献金を入り口を守る祭司が盗難から守る。(9節)
4.献金は王の書記と大祭司が集めて計算する。(10節)
5.主の宮の工事をしている監督者たちに金を渡す。(11節)
観察3、この改革で、祭司は、民のための罪のとりなし(祭事)に専念することになった。王は、献金の徴収と管理をすることにした。祭司と王で、役割を分担することになった。
この改革によって、祭司が献金を直接受け取ることがなくなった。祭司たちは、王の書記と大祭司が集めた金を分配されることになった。祭司は、祭事に専念することになった。そして、彼らの不正を止めることができ、民のささげた献金が、必要に応じて用いられるようになった。
適応
祭司たちは、民から献金を預かって、自分たちのために使っていました。そのように、牧師が献金の管理をするべきではありません。教会の会計担当者に委ね、教会から給与として受け取ることが良いと思われます。そして、集めた献金は、信徒達が話し合って計画をたて、教会のために使うことが大事です。
必ず複数の人で行うことが必要。
ヨシュアは、民の献金を集める箱のそばに、入り口を守る祭司を配置しました。これは、献金が盗まれるのを防ぐためです。また、献金箱の金を集めるとき、王の書記官と大祭司が来て集め、金額を計算しました。1人で集めて計算するなら、不正が起こるかもしれません。それで、二人以上で、献金を数えたのです。これらは、すべて献金が正しく集められるための工夫です。教会だからといって、不正は起こらないと無防備でいてはいけません。クリスチャンといえども、皆ゆるされた罪人ですから、罪を犯すことも想定した上で、安全な対策を取っておくべきです。時々、教会で金銭の不正があったとの「うわさ」を耳にします。金銭的に損害を受けた教会は不幸ですが、罪を犯してしまった信徒も不幸です。罪を責める思いに一生苦しめられることになります。このような苦々しい事件が起こらないためにも、献金の扱いについては、十分に注意して扱うことが非常に重要です。
祭司は、祭事に専念し、王は実務を担当する。これが、ヨシュアが行った改革でした。そのように、牧師は、「教えること」や「祈り」など魂に関する事に専念することが望ましいと思われます。そして、会計管理、建物の修繕や改築などの実務は、信徒の代表から成る委員会が責任をもつことが望ましいと思います。そして、特に大きなプロジェクトについては(例えば会堂建築)、皆で話し合って決めることが大切です。教会によっては、信徒会は開かれますが、実際は牧師の発言権が強いために、信徒の意見が反映されず、牧師のビジョンで突き進まざる終えなくなる教会があります。
牧師の役割を祭事に限定することと、運営は信仰が成長した信徒達に任せること、牧師であっても、信徒の代表であっても、絶対的な発言権を持たないこと、皆が聖霊に聞き、自分が間違っていると示されたら、素直に変更できること、意地やプライドで自分の意見を押し通さないこと、これらのことができるかどうかに、健全な教会形成の運命がかかっています。これは非常に難しいことですが、実現しなければならないことです。