要約
- エフーと彼の子らは、ベテルとダンに置いた「金の子牛」やバアルの神アシュタロテの像に仕えることを止めなかった。そのため神の怒りが彼らに対して燃え上がった。
- 主は、エフーが「金の子牛」を拝むことを止めなかったので、彼をのろわれた。「あなたの子孫は4代目までしか王になれない」と言われた。主の預言の通り、4代目ザカリヤは暗殺され、エフーの子孫は4代までで王位を去った。
- エフーの子孫は、主の目に悪を犯し続けて止めなかった。それにもかかわらず、主は彼らが困った時、彼らの祈りを聞かれ(エホアハズ)、ヨアシュに預言者(エリシャ)を与えてアラムに勝利させ、ヤロブアムの国を強くして、敵の攻撃から守り領土を回復させて、王国が繁栄するようにされた。
観察
観察1 エフーの子たちに対して、主の「怒り」と「憐れみ」の両方がそそがれている
その1 エホアハズに対して
その子エホアハズの時代には、主はアラムの王ハザエルやその子ベン・ハダテにイスラエルを攻めさせた。エホアハズは騎兵50、戦車10台、歩兵1万しか残されていないほど弱くなった。しかし、エホアハズが主に願ったとき、主は彼の願いを聞き入れ、領地を回復してくださった。(2列王13:2~5)
その2 エホアハズの子ヨアシュに対して
ヨアシュは偶像に仕え、サマリヤにはアシュラ像が立っていた。(2列王13:6)
彼の時代も、アラムの侵略は絶えなかった。しかし、主は彼に預言者エリシャを与えた。エリシャの預言によって、アラムの攻撃から守られるようにされた。ヨアシュは、3度アラムを打ち、町々を取り帰した。(2列王13:25)
その3 ヨアシュの子ヤロブアムに対して
ヤロブアムも、主の目の前に悪を行った。しかし、イスラエルの民の悩みが非常に激しいのを見られた主は、彼らを憐れまれた。ヤロブアムの時代に、レボ・ハマテからアラバの海まで領土を回復させてくださった。そしてこの繁栄の時代を長く保ってくださった。
ヤロブアムの治世は他の王よりもずっと長く41年間であった。(2列王14:22~26)
その4 ヤロブアムの子ゼカリヤに対して
彼の統治はたった6ヶ月だった。彼はシャルムによって殺された。エフーに対して言われた主の預言は成就した。エフーの子孫は4代までで王位を去った。(2列王15:8~10)
主はエフーの子孫たちに怒りを燃やされた。なぜなら彼らは「金の子牛」やバアルの神に仕えることを止めなかったからである。それで、主は他国がイスラエルを侵略するようにされ、彼らを苦しめた。
しかし、彼らが苦しむ時、主は彼らをあわれまれた。彼らは悪い者であったが、主は彼らに恵みを与えられた。ここに「怒り」と「愛」をそそぐ主の姿を見る。
観察2 主がイスラエルを助けられた理由は、彼らが主に忠実だったからではない。
彼らは偶像に仕え続けて止めなかったからである。主がイスラエルを助けられた本当の理由は、ご自身がイスラエルの父祖たちと結んだ契約を守るためであった。主はイスラエルの罪をさばきつつも、彼らを滅ぼし尽くすことを望まれなかったからである。
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。(2列王13:23)
観察3 ゼカリヤの後の王たちは、金を送ってアッシリヤと和解しようとした。
このことは、自国の衰退を早めただけで、敵からの侵略を止める効果はなかった。
ゼカリヤが殺されて後は、むほんによって次々と王が変わっていった。彼らは、アッシリヤの侵略から国を守るために、敵に大金を渡した。そのため、彼らの国力は衰えた。それにもかかわらずアッシリヤは、新しい王に変わると侵略を再開した。つまり、みつぎものをしても無駄だったのだ。主こそ、敵の手から彼らを救うことができる方なのに、彼らは主を捨てて、他国の神や金に頼って自分を救おうとした。(敵を強くしている神だから、その神に自分も頼ろうとした。)これが彼らの決定的な間違いであった。
適応
主はアブラハムとの契約を重んじられました。イスラエルの王たちは、主の目に悪を行っていましたが、主は彼らを滅ぼすことを望まれませんでした。そのように、主は私たちとの契約をも守られます。救われた私たちが、失敗を繰り返しても、主は約束を果たされます。私たちに対して忍耐をされて、時には苦しめ、時には幸いにして、私たちを戒め、教え、矯正してくださいます。そして最後まで見捨てず、約束してくださった天国に入れてくださいます。
そして、私たちがどんなに失敗しても、キリストのおかげで、全ての罪は許されています。
天国は約束されているのです。なんと幸いなことでしょうか。キリストが私の罪を赦すために苦しまれたことを、心から感謝します。このような幸いな生き方へと、私を呼び入てくださった主に感謝が絶えません。
イスラエルの王たちは、アッシリアに大金やみつぎものをしました。しかし、アッシリヤはそれを受け取っただけで、攻撃を止めることはありませんでした。最後には、エジプトの王「ソ」を頼りにしましたが、「ソ」はイスラエルを裏切り、援軍を送ることはありませんでした。このように、主以外のものは、全て頼りにならないものです。
しかし、主は違います。主を信じて、ご自身との間に平和を持つ者に対して、主は約束を果たされます。その者が、どんなに不完全であっても、主は決して見捨てることはありません。私たちは、主に、全ての事に関しての頼るべきです。クリスチャンと称する人たちの中に、人生の重要な判断は主と切り離して決められる方がおられます。大変な事が起こった時には、この世の方法で、自分の知恵で乗り切ろうとされる方がおられます。