第2列王記15章「エフーと4代目までの子孫たち。神は彼らを怒りと彼らを憐れんだ。悪い者であっても、彼らが苦しむ時、神は憐れみを示し、彼らの父祖たちと交わした契約のゆえに、彼らを守られる。主の愛と忍耐を見た。」

要約

  • エフーと彼の子らは、ベテルとダンに置いた「金の子牛」やバアルの神アシュタロテの像に仕えることを止めなかった。そのため神の怒りが彼らに対して燃え上がった。
  • 主は、エフーが「金の子牛」を拝むことを止めなかったので、彼をのろわれた。「あなたの子孫は4代目までしか王になれない」と言われた。主の預言の通り、4代目ザカリヤは暗殺され、エフーの子孫は4代までで王位を去った。
  • エフーの子孫は、主の目に悪を犯し続けて止めなかった。それにもかかわらず、主は彼らが困った時、彼らの祈りを聞かれ(エホアハズ)、ヨアシュに預言者(エリシャ)を与えてアラムに勝利させ、ヤロブアムの国を強くして、敵の攻撃から守り領土を回復させて、王国が繁栄するようにされた。

観察

観察1 エフーの子たちに対して、主の「怒り」と「憐れみ」の両方がそそがれている
その1 エホアハズに対して
その子エホアハズの時代には、主はアラムの王ハザエルやその子ベン・ハダテにイスラエルを攻めさせた。エホアハズは騎兵50、戦車10台、歩兵1万しか残されていないほど弱くなった。しかし、エホアハズが主に願ったとき、主は彼の願いを聞き入れ、領地を回復してくださった。(2列王13:2~5)

その2 エホアハズの子ヨアシュに対して
ヨアシュは偶像に仕え、サマリヤにはアシュラ像が立っていた。(2列王13:6)
彼の時代も、アラムの侵略は絶えなかった。しかし、主は彼に預言者エリシャを与えた。エリシャの預言によって、アラムの攻撃から守られるようにされた。ヨアシュは、3度アラムを打ち、町々を取り帰した。(2列王13:25)

その3 ヨアシュの子ヤロブアムに対して
ヤロブアムも、主の目の前に悪を行った。しかし、イスラエルの民の悩みが非常に激しいのを見られた主は、彼らを憐れまれた。ヤロブアムの時代に、レボ・ハマテからアラバの海まで領土を回復させてくださった。そしてこの繁栄の時代を長く保ってくださった。

ヤロブアムの治世は他の王よりもずっと長く41年間であった。(2列王14:22~26)

その4 ヤロブアムの子ゼカリヤに対して
彼の統治はたった6ヶ月だった。彼はシャルムによって殺された。エフーに対して言われた主の預言は成就した。エフーの子孫は4代までで王位を去った。(2列王15:8~10)

主はエフーの子孫たちに怒りを燃やされた。なぜなら彼らは「金の子牛」やバアルの神に仕えることを止めなかったからである。それで、主は他国がイスラエルを侵略するようにされ、彼らを苦しめた。
しかし、彼らが苦しむ時、主は彼らをあわれまれた。彼らは悪い者であったが、主は彼らに恵みを与えられた。ここに「怒り」と「愛」をそそぐ主の姿を見る。

観察2 主がイスラエルを助けられた理由は、彼らが主に忠実だったからではない。
彼らは偶像に仕え続けて止めなかったからである。主がイスラエルを助けられた本当の理由は、ご自身がイスラエルの父祖たちと結んだ契約を守るためであった。主はイスラエルの罪をさばきつつも、彼らを滅ぼし尽くすことを望まれなかったからである。
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。(2列王13:23)

観察3 ゼカリヤの後の王たちは、金を送ってアッシリヤと和解しようとした。
このことは、自国の衰退を早めただけで、敵からの侵略を止める効果はなかった。
ゼカリヤが殺されて後は、むほんによって次々と王が変わっていった。彼らは、アッシリヤの侵略から国を守るために、敵に大金を渡した。そのため、彼らの国力は衰えた。それにもかかわらずアッシリヤは、新しい王に変わると侵略を再開した。つまり、みつぎものをしても無駄だったのだ。主こそ、敵の手から彼らを救うことができる方なのに、彼らは主を捨てて、他国の神や金に頼って自分を救おうとした。(敵を強くしている神だから、その神に自分も頼ろうとした。)これが彼らの決定的な間違いであった。

適応

適応1、主は、救われた者に対する約束を守られる。主は、私たちとの契約をも守られる。失敗があっても天国に入れてくださる。しかし、このことは真に救われた者に限る。
主はアブラハムとの契約を重んじられました。イスラエルの王たちは、主の目に悪を行っていましたが、主は彼らを滅ぼすことを望まれませんでした。そのように、主は私たちとの契約をも守られます。救われた私たちが、失敗を繰り返しても、主は約束を果たされます。私たちに対して忍耐をされて、時には苦しめ、時には幸いにして、私たちを戒め、教え、矯正してくださいます。そして最後まで見捨てず、約束してくださった天国に入れてくださいます。
しかし、これは私たちが本当に救われていればの話です。本当に救われた人は、罪を犯し続けて平気でいることはできません。その人は罪の意識に苦しみます。そして、聖くなりたいと願います。(あくまで願いです。実際に、聖いこととは別です。)
そして、私たちがどんなに失敗しても、キリストのおかげで、全ての罪は許されています。

天国は約束されているのです。なんと幸いなことでしょうか。キリストが私の罪を赦すために苦しまれたことを、心から感謝します。このような幸いな生き方へと、私を呼び入てくださった主に感謝が絶えません。
適応2、主への信仰を持つこと、主に忠実に歩むことが人生の幸不幸を決める。金銭、仕事や人脈は、究極的にはあなたを救うことはできない。それらは移り変わりやすく、頼りにならないものだからである。
イスラエルの王たちは、アッシリアに大金やみつぎものをしました。しかし、アッシリヤはそれを受け取っただけで、攻撃を止めることはありませんでした。最後には、エジプトの王「ソ」を頼りにしましたが、「ソ」はイスラエルを裏切り、援軍を送ることはありませんでした。このように、主以外のものは、全て頼りにならないものです。
しかし、主は違います。主を信じて、ご自身との間に平和を持つ者に対して、主は約束を果たされます。その者が、どんなに不完全であっても、主は決して見捨てることはありません。私たちは、主に、全ての事に関しての頼るべきです。クリスチャンと称する人たちの中に、人生の重要な判断は主と切り離して決められる方がおられます。大変な事が起こった時には、この世の方法で、自分の知恵で乗り切ろうとされる方がおられます。
しかしクリスチャンは、このような時にこそ、主が問題を解決されるのだと、主に頼ります。主の御心を静まって聞きます。主は全知、全能です。私の人生の始めと終わりをご存じの方です。その方に頼ることが最善です。クリスチャンは、わざわいの中にあっても、主を知らない人とは違います。動揺はするのですが、心のどこかに、変わらない平安があります。この状況は主が私のために送られたことだと知っているからです。主は、このことを、この世、もしくは次の世での幸せのために、働かせておられるのだと知っているからです。そして必ず益となることを確信しているからです。
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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?