アハズの子ヒゼキヤは、25歳でユダの王になり、29年間王であった。
母の名はアビ、ゼカリヤ(祭司?)の娘であった。
彼は主に忠実であった。ユダから偶像を取り除いた。
北イスラエルに行き、エルサレムで礼拝するように彼らを説得した。
- ヒゼキヤは、ユダにあった偶像を徹底的に排除した。
彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいて いたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。(2列王18;4)
民は、モーセが上げた青銅の蛇すら拝んでいた。あらゆる偶像が国中で拝まれていた。 - 過越の祭などの重要な儀式を復活させた。
これについては、2歴代誌29~31章に詳しく書かれている。 - ヒゼキヤは、北イスラエルの民に、主に立ち返るように説得した。
エルサレムに来て主に過越のいけにえをささげるように呼びかけた。(2歴代30:1~11)
多くの者は、聞き入れなかった。しかしエルサレムに上ってくる者もいくらかいた。
ヒゼキヤは主により頼んで敵と戦った。
北イスラエルが占領されても、ユダはアッシリヤに抵抗し続けた。
- 主は彼の信仰を喜ばれ、彼がどこ出陣しても勝利するようにされた。(2列王18:7)
- 彼の治世6年目に、北イスラエルがアッシリヤに占領され滅亡した。(2列王18:9-12)
しかし、ヒゼキヤはアッシリヤに反逆し、仕えなかった。(2列王18:7)
彼は、善王であった。イスラエルの神への信仰を一番の頼りとして、国を守る王であった。彼は偶像を排除して、民がイスラエルの神だけに礼拝をささげるようにした。そして、北イスラエルにもそのようにするよう呼びかけた。国が敵国の侵略によって、衰えるのは、王や民の主への不信仰が一番の原因であることを、彼は知っていた。だから、強大な敵であるアッシリヤに対しても、神の守りを期待して、降伏せずに、踏みとどまっていた。
アッシリヤの王 セナケリブとの戦い(ヒゼキヤの第14年目)
主が敵を撤退させたので戦わずにすんだ。
アッシリヤの王セナケリブがユダの全ての城壁のある町々を攻めて取った。(2列王18:13-15)
- アッシリヤに撤退してもらうため、王に銀300タラント、金30タラントを払った。
- ところが、アッシリヤは再び攻めてきた。(2列王18:17~/ 2歴代32:9~)
アッシリヤはラブシャケに大軍を率いらせて、ユダに攻め上らせた。 - アッシリヤの大将ラブ・シャケは、ユダの神をののしった。
- エジプトのパロに頼んでも裏切られる。(2列王18:21)
- イスラエルの神はおまえたちを救えない。ヒゼキヤに従うな。(2列王18:29、30)
- 自分たちに味方するなら、良い暮らしができるようにしてやろう。
ぶどうといちじくを食べ、井戸の水がある所に連れていってやろう(2列王18:31、32) - 他の国々の神々は、アッシリヤの攻撃から自分たちの国を救い出すことはできなかった。イスラエルの神も同様である。(2列王18:33、34)
- しかし、民は王に従い通した。ラブ・シャケの言葉になびくことはなかった。
民は黙って、彼に答えなかった。「答えるな」というのが王の命令だったから(2列王18:36)
兵達は、ヒゼキヤに信頼し、彼に従った。 - ヒゼキヤは主の宮に入り祈った。そして預言者イザヤに人を遣わし、神の言葉を待った。
これが、主を拠り所とする王のあるべき姿である。参謀の意見を聞く、自分で策略を考え出すのではなく、まず神に窮状を申し上げて、助けを求める。そして、祈りに対する主の御心を聞き、主の言われる通りに実行する。これがモーセも、ダビデも、ヒゼキヤも行ったこと。クリスチャンの戦い方である。 - イザヤに神の言葉が下った(2列王19:6~7)
- 彼らの私を冒涜する言葉を恐れるな
- 彼らは、うわさを聞いて立ち去る
- 立ち去った後、王は自分の国で殺される。
- ラブ・シャケは王がリブナを攻めていることを聞き、王と合流するために去って行った。
主は、他国にアッシリヤを攻めさせて、アッシリヤの軍がユダから撤退しなければならないようにされた。
再び、アッシリヤが攻めてきた。ヒゼキヤは主に祈った。
主はアッシリヤの兵18万5千人を殺した。
- クシュと戦う最中のアッシリヤが、再び脅しの手紙を送ってきた。(2列王19:1013)
- ヒゼキヤは再び主に助けを祈り、主の言葉を待った。(2列王19:14~19)
ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。(2列王19:14)ヒゼキヤは再び、主に助けを祈った。
- 再びイザヤに主の言葉が下った。(2列王19:21~34)
- アッシリヤが敵を滅ぼしたのは、実は私がさせていたからだ。
- 私は、ユダをアッシリヤから救う。彼らはこの町に攻め上ることなく自分の国に帰る。
- 預言が下った日の夜、主はアッシリヤの兵18万5千人を殺した。(おそらく疫病)
その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。(2列王19:35)
- アッシリヤの王は、立ち去ってニネベに住んだ。しかし彼の息子2人に殺された。彼らが父に代わって王となった。
アッシリヤの王セナケリブは立ち去り、帰ってニネベに住んだ。彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハド ンが代わって王となった。(2列王19:36、37)
敵の攻撃を避けるための人間的な策略は、失敗に終わる。主への信頼こそ、敵の圧迫から自分を救う道である。
しかし、アッシリヤの王は、再びユダを攻め、町々を奪い取り、さらにエルサレムに立てこもるヒゼキヤをのろいました。アッシリヤの大将は、ユダの兵たちに、ヒゼキヤを裏に切るように呼びかけました。
このように、敵からの攻撃を避けようとしてなされる人間的な策略は、結局は失敗に終わります。それどころか、敵に自分たちの力を確信させることになります。
その結果、敵が、こびへつらい、贈り物をしてくる相手に対して、さらに激しい攻撃を加えるようにしてしまいます。ですから、主にのみ頼り、人間的な方法に頼らないとが一番良い方法です。