マナセが王になるまで(父ヒゼキヤのこと)
マナセの父ヒゼキヤは、主に忠実であった。しかし彼は病気が癒やされてから高慢になった。バビロンからの使者に、イスラエルの全てを見せてしまった。そのことを主は怒られた。主は、ヒゼキヤに「あなたの家にあるもの全てがバビロンに運び去られる日が来る」と仰せられた。マナセの父ヒゼキヤは悔い改めた。そのため、彼の治世の間は国は平安であった。
そして、ヒゼキヤの死後、ヒゼキヤの息子マナセが王になった。彼は12歳で王になり55年間王であった。
主を怒らせたマナセ
彼は、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねて、主の目の前に悪を行なった。彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これ に仕えた。2列王21:2、3
マナセは、外国の神々を拝んだ。そして、民にも拝ませた。
主の言葉を実現するように、マナセは偶像礼拝に突き進んだ。
彼は父が壊した偶像を築き直し、主が忌み嫌うことを、民に行わせた。
- 父ヒゼキヤが壊した高き所を築き直し、バアルの祭壇を立て、アシュラ像を造り、天の万象を拝んだ。2列王21:3、2歴代33:3
- 主の2つの宮に、天の万象のために祭壇を築いた。2列王2:4,5、2歴代33:5
- 自分の子どもたちを火の中にくぐらせた。うらない、まじない、霊媒、口寄せをした。2列王21:6
- アシュラ像を造り主の宮に安置した。2列王2:7、2歴代33:7
- 主を信じる者や預言者を殺した。2列王21:16
- 主はマナセに語られたが、彼は聞き入れなかった。2歴代33:11
主はマナセを怒り、王国にわざわいをもたらした。
そこで主は、アッシリヤ軍の司 令官たちに彼らを攻撃させられた。彼らはマナセを捕虜とし、鉤をつけ、青銅の足枷をはめて、バビロンに連行した。2歴代33:11
偶像は、マナセを守ることはできなかった。アッシリヤの将軍たちが攻めてきた。マナセはバビロンに連行された。彼は捕らえられ、バビロンに連れていかれた。このことが起きた原因は、彼が偶像を拝み、主の怒りを買ったからであった。
マナセは悔い改めて、主に立ち返った。
しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、神に祈った・・・2歴代33:12,13
- 彼は主の前に大いにへりくだった。
- 彼は、囚われの身となってはじめて、自分の愚かさに気がついた。
そして、イスラエルの神主のまえにへりくだり、心から悔い改めた。 - 主の警告を聞かず、偶像礼拝を止めなかったことを悔い改めた
- 父に語られた主の預言が実現し、自分がバビロンに連れていかれた。
主の言葉は完全に正しいこと。主こそ、王達をも自由に動かすことができる全能の神だと知った。 - 先祖たちを守ってきた主に対して、不信仰であったこと。父祖たちが守ってきた王国を、自分が破滅させてしまったことを、深く悔い改めた。
- 彼は、囚われの身となってはじめて、自分の愚かさに気がついた。
- 彼は主を求めた。主に祈った。主に願った。
彼の祈りは切実であった。彼の悔い改めは真実なものであった。 - 彼は、ダビデ、ソロモンに与えられた、主の約束を思い出した。その約束に期待した。
主はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。「わたしは、この宮に、そしてわ たしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。もし彼らが、わたしの命じたすべてのこと、わたしのしもべモーセが彼らに命じたすべての律法を、守り行ないさえするなら、わたしはもう二度と、彼らの先祖 に与えた地から、イスラエルの足を迷い出させない。」2列王21:7
マナセは、父祖たちに語った主の約束を思い出した。そして、自分にもこの約束が成就しますようにと、必死に神に祈った。
主は彼に心を動かされ、彼を救った。
主は彼に動かされ、願いをかなえ、再び彼をエルサレム、彼の王国へと戻された。こうしてマナセは主こそ神であることを知った。2歴代33:12、13
マナセの真剣な求めは、神の心を動かした。主の前にへりくだり、主の助けを求めるマナセを、神は憐れみ、恵みを施された。彼をバビロンからエルサレムに戻らせた。しかも、王の立場を回復させたのである。
マナセがどのようにして、バビロンからエルサレムに戻ることができたのか。なぜアッシリヤに占領されたユダが存続し、しかも彼が王座に戻されたのか。聖書は沈黙している。
すべては謎である。ただ、主によって奇跡的に回復されたとしか説明のしようがない。
マナセは不可能と思える状況を、変えることができる神の力を体験した。
『こうして」主こそ神であることを知った』と聖書に書かれているからである。
つまり、主が彼を戻されたことを通して、彼は主こそ、拝むべき、唯一の神であることを知らされた。
エルサレムに戻ったマナセは全く変わった。愚像を捨て主のみを拝んだ。
その後、彼はダビデの町に外側の城壁を築いた。それはギホンの西側の谷の中に、さらには、魚の門の入口に達し、オフェルを取り巻いた。彼はこれを非常に高 く築き上げた。そして、彼はすべてのユダの城壁のある町々に将校を置いた。さらに、彼は主の宮から外国の神々と偶像、および、彼が主の宮のある山とエルサレムに築いたすべての祭壇を取り除いて、町の外に投げ捨てた。そして、主の祭壇を築き、その上で和解のいけにえと感謝のいけにえをささげ、ユダに命じてイスラエルの神、主に仕えさせた。2歴代33:14~16
エルサレムに戻ったマナセは、全く別人になっていた。自分が立てた偶像を全て捨てた。
主との和解をした。そして、民に主を拝むようにさせた。
- ダビデの町外側に高い城壁を築いた(外敵から守るため)
- 偶像をすべて捨てた
- 和解のいけにえをささげた(自分の過去犯した罪のゆるしのために)
- ユダの民に、イスラエル神に仕えさせた。
しかし、彼の子アモンは主の前に悪を行った。
- 彼は、偶像を拝んだ。治世はわずか2年であった。
- 彼は家来に殺されて死んだ。
- しかし彼の子「ヨシヤ」は主に忠実であった。
マナセの人生から教えられたこと
適応1、私たちは、先祖の罪の影響を受けることはない。
旧約の時代、父や祖父、先祖の罪の刑罰を、その子孫が受けるように定められる場面が多くあります。その場合、子孫たちは、主を嫌い、偶像を拝み、自ら神の怒りを買っています。これは、主が、彼らの心をかたくなにすることによって、彼らに破滅をもたらしておられるからです。
しかし、新約時代(キリストのあがないが完成以降)になると、話は全く変わってきます。
信者は、父や祖父などの先祖たちが犯した罪の刑罰を、受けるように運命づけられることはありません。
そのことをイエスもはっきりと言っておられます。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。ヨハネ9:1-3
私たちは、自分の罪の刑罰を受けるのみです。しかも、その刑罰を、キリストに仲介者となっていただくなら、天の神は完全に私たちの罪をゆるされます。これは、なんとすばらしい知らせではないでしょうか。
キリストを知らない人々は、先祖のたたりやのろいについて何らかの恐れを抱いています。そのために、つぐないの行為を無意識に自分に課しています。(死者のための善行として先祖を弔うこと、自分が苦しめた相手へのつぐないの行為など)キリストによって罪を赦された者は幸いです。これらの恐れから完全に解放されているからです。
適応2、どれほど主を怒らせた者でも、真実に主に立ち返るなら、主は愛してくださる。
マナセは、偶像を拝み、主を怒らせました。口寄せ、霊媒など、主が忌み嫌われる、あらゆることを行いました。それだけでなく、偶像礼拝を拒否する主に忠実な者たちや、自分に忠告する主の預言者たちを殺しました。彼は、神が、異邦人よりも邪悪だと言った男でした。
しかし、彼が悩みのとき、主に、心から悔い改めたとき、驚くべきことに、主は彼の祈りを聞かれました。
主は、彼を敵から救い出し、彼の王国を回復させました。
このことから、私たちは、大きな慰めを受けます。
主は、どのように愚かな者であっても、主に真剣に悔い改めるなら、その者の祈りに耳を傾けてくださると、知ることができるからです。
ですから、自分の罪はあまりにも大きい。自分は、もう主に近づく権利はないと思ってはいけません。
主には大きすぎて、許すことができない罪はないからです。
私たちは、マナセのように、主の前にへりくだり、今までの自分を悔い改め、ひたすら主に求め、願い、祈ることができます。
主は、私たちの願いを聞き入れ、主との交わりを回復させてくださいます。そして、マナセがイスラエルに戻され、彼の治世が長く続いたように、主は、私たちに、主と共にある新しい歩みをさせてくださるのです。