「聖霊がくだる時を待つ」使徒の働き1章

 <使徒の働き1章 解釈>

序文

 ルカは、イエスの復活と昇天までを「ルカによる福音書」に書いた。
この手紙「使徒の働き」では、それ以降のことについて書く。
1:1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、
1:2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。

  1.  手紙の宛先の人物は、異邦人の高官であろうと思われる。
    「テオピロ殿」と書かれているところ。

    ユダヤのことを詳しく知らない人に対して説明しているから。
  2. 「ルカによる福音書」と「使徒の働き」は、ルカによって書かれ、
    2つで完成した手紙である。
    「ルカによる福音書」は「イエスの誕生」「行いと教え」昇天までについて。「使徒の働き」は、昇天以降の事実について書いた。
  3. 両方の手紙に書かれたことは、実際に起きた事実である。
    事実を目撃した人たちの証言を集めたもの。
    「私たちの間で確信されている出来事」「初めからの目撃者である弟子たちが伝えたこと」をよく調べて順序立てて書いた。これらは正確な事実である。ルカ1章1-4節、ルカ24章48節

イエスの復活と昇天

 1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示され た。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっていま す。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの 証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのを あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。

  1. イエスは、ご自分が生きていることを証明された。
    40日間弟子たちの前に現れた。生きている確かな証拠を見せた。
  2. 弟子たち神の国について教えた。
  3. 弟子たちはイエスが地上にイスラエル王国を再建すると思った。
    彼らはイエスの王国がどのようなものかを理解していなかった。イエスの王国は、天に建てる王国であることがわからなかった。使徒1:6
  4. 弟子たちがもうすぐ「聖霊のバプテスマを受ける」ことを預言した。もうすぐ聖霊のバプテスマを受ける。エルサレムで待て。使徒1:4
  5. 弟子たちに、エルサレムで聖霊を待つように言った。
  6. 聖霊を受けた後、彼らは全世界に述べ伝えるようになると預言した。
    使徒1:4-8

    ルカ24:44-53にも同様の記述があります。
    24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
    24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。
    24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
  7. イエスは弟子たちが見ている前で、天に昇って行かれた。
    イエスがこの世から存在ししなくなったのは、死んだからではない。
    生きたまま天に消えて行ったからだ。
  8. 天使たちは、イエスの再臨を予告した。
    イエスは同じ姿で戻ってこられる。使徒1:11

聖霊を待つ

 1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨ の子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

11弟子(ユダが死んだので)とイエスの母、兄弟たちはエルサレムに戻った。
そして、祈りに専念した。

使徒を補充する

 1:15 そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った。
1:16 「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。
1:17 ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
1:18 (ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
1:19 このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
1:20 実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
1:21 ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
1:22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
1:23 そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
1:24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
1:25 この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きまし たから。」
1:26 そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。

ペテロは旧約聖書の記述から、ユダの裏切りは預言されていたこと。
ユダ代わりに使徒を立てるべきことを説明した。
ペテロが。ユダの代わりに使徒を選んで任命することを提案した。
彼は、ダビデがユダの裏切りを預言していたこと。ユダの代わりに使徒を任命するべきことを、詩編を証拠にあげて説明した。使徒1:16-22、詩編69:25、109:8、マタイ27:3-5

人々はペテロの話に同意した。使徒を選ぶ決定は、神にゆだねられた。
その結果、マッテヤが使徒加えられ、教会が始まる準備が整った。
皆はペテロの提案に同意した。

使徒の候補者は、イエスが生きていた間、行動を共にした者。
イエスの復活の目撃者でなければならない。
そこでユストとマッテヤの2人を立てた。
そして神に祈ってからくじを引いた。その結果、マッテヤが使徒に加えられた。使徒1:23-26

<使徒の働き1章 考察> 

考察1 イエスは、ご自分が生きていることを人々に証明された。クリスチャンは死んでも生きる。復活の体が与えられて永遠に生きる。

1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

考察1-1復活について語っている他の聖書個所 ヨハネ11章25-26

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

第1コリント15:19-20(主は本当によみがえった)
第1コリント15:51-52(死後、眠るのではなく一瞬にして変えられる)参照
 

考察1-2死後の復活は、ただの希望ではない。本当に実現する。

私たちの信仰の確かさは、主の復活が実際にあったことに根拠があります。
パウロが言うように、ただキリストに希望を置いているだけなら、私たちは一番みじめな者です。そうであるなら、信仰など捨てて、この世を楽しんだほうがよっぽど良いのです。

しかし、キリストの復活は事実です。多くの人がそれを目撃しました。
私たちは、自分の目で復活のキリストを見てはいません。しかし、聖書に書き残された証言から、復活の事実を知ることができます。
ですからキリスト者は、キリストと同様に、死んで後、新しい肉体が与えられて復活し、天国で永遠に生きるのです。私たちは、誰もが絶望だと考える死の向こうに、すばらしい約束が与えられているのです。
この希望は、年を取るとますます私たちを励まします。最後まで神に従う歩みを力与えてくれます。そして最後には、死を勝利の床にしてくださいます。

考察2 聖霊を受けることは、クリスチャンとして歩み始めるために絶対に必要な条件。

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

考察2-1イエスについて知り、同意しているだけでは「主の証人」ではない。

弟子たちはイエスのことを「世を救う神の子キリストです」と告白できました。マタイ16:16
イエスのためなら一緒に死ねるとまで言いました。ヨハネ13:37

しかし、イエスが捕らえられた時、11弟子たちは一目散に逃げてしまいました。
ある者は、急いで逃げたので、裸のまま走り去っていました。マルコ14:51,52
イエスが去った後の彼らは、弱く、迫害者たちを恐れて、家の中で隠れていました。

なぜ、力強い告白をしていた彼らの信仰が、無くなってしまったのでしょうか。
それは、知識で知っているレベルの信仰告白では、力がないからです。
このような信仰は、不利が生じたり、迫害を受けたりすると、簡単に妥協が始まり、信仰を捨てる者も出るからです。ですから、このままでは彼らは「主をあかし」する資格はありません。

考察2-2聖霊を受けるとき「主の証人」となる。


「主の証人」とは。
「主の証人」とは、イエスについて、自分が目撃し経験したことを伝える人です。
聖霊を受けた者でなければ、この務めをする資格はありません。
なぜなら、神の真理を理解できない古い人のままでは、正しく神を伝えることはできないし、御霊によって強くされていなければ、迫害や困難に耐えて、主をあかしすることはできないからです。

考察2-3聖霊を受けるとき、生まれながらの人は変えられる。(力を受ける)

1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの 証人となります。」

〇聖霊を受けるとき、反対されても、貧しくなっても、退かずに語る者に変えられる。

迫害者を恐れて隠れていた弟子たちは、聖霊を受けて後、全く変えられました。
彼らは、人々の前に出て行って、大胆に主をあかししました。
信仰を持つこと、主を伝えることで、自分たちに死をまねく恐れがあることを知っていても、彼らは足を止めることはありませんでした。

〇聖霊を受けるとき、神の真理を本当に理解する者に変えられる。

「真理の聖霊」が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。ヨハネ15:26

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたはもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。ヨハネ16:8

真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。同16:13
御霊はわたしの栄光を現わします。ヨハネ16:14
御霊がわたしのものを受けて、あなたがたにしらせます。ヨハネ16:15

弟子たちは、イエスから神の国について教えていただきました。しかし、彼らは悟ることがありませんでした。イエスが復活した後も、イスラエル王国を再建してくださることを期待していました。
しかし、聖霊を受けた後、彼らはイエスが語ったことの本当の意味を理解するようになりました。イエスが神の国の王であること、人々を罪のさばきから救う「メシヤ」であることがわかりました。旧約聖書からこの真理を説明することができるようになりました。

〇聖霊が人に悟らせること。

このことから、人間の知性は神の真理を決して理解できないことがわかります。
御霊の助けによらなければ、神が定めた真理を認めることができないのです。
弟子たちは、教えられても悟ることができなかった真理を、聖霊が与えられたとき、心の目が開かれて悟ったのでした。

罪についてとは、
人々は自己中心の生活をして、イエスを神として認めません。

これが、全ての罪の原因だということ。

義についてとは、
イエスの正しさは、復活され、天に上げられたことで証明されたということ。

つまり、イエスは神であり、イエスを信じなければ天国に入れないこと。

さばきについてとは、
この世の支配者であるサタンはさばかれたということ。

だから、イエスに敵対しサタンに味方する者たちもさばかれるということ。

聖霊を受けていない、生まれながらの人は、神が定めた真理をどうしても受け入れることができません。
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼らには愚かなことだからです。1コリント2:14 

しかし、聖霊によって心が新しくされた人は、神の真理の全てに「アーメン」ということができます。神の全ての真理を抱きます。彼らにとって、それらは甘く、心の慰めであり、生きる希望だと思えるからです。

〇聖霊を受けるとき、出て行って「主を伝える者」に変えられる。

聖霊を受けた後、弟子たちは街中に出て行ってイエスを伝えました。ある者はイスラエルを出て遠くの国にまで旅をして伝えました。
それと同様に、主の証人とされた私たちも、神から私たちに知らされた真理、私たちが神について体験したことを、自分たちの住む地域からはじめて、世界中に広めていく者にと変えられます。
私たちの働きは、自分が住む地域だけにとどまらず、世界の果てにまで及ぶことがあります。遠い国への伝道するために派遣されることがあり、他国の伝道を支援するために経済的に支援する仕事が与えられることがあります。

考察2-3聖霊を受けるまでは動いてはならない。神に祈り、聖霊を待て。

1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

弟子たち、イエスの母、兄弟たちは、イエスが指定した町にとどまり、祈りつつ聖霊が降るのを待ちました。彼らは力を受けてから伝道を始めました。
私たちも同様です。まず、静まって動かず、神に祈り、聖霊を待つことです。
聖霊を受けるまでは教会の働きや伝道に加わってはなりません。
自分がクリスチャンであるとさえ、公言するべきではありません。
なぜなら、あなたの心は新しくされておらず、あなたはまだ古い人のままだからです。あなたにとって、聖書が語る全ての事が、甘いと言える状態ではないからです。聖霊を受けて心が新しくされて初めてクリスチャンとなるからです。このことをイエスもニコデモに言われました。(ヨハネ3:3-8)

ですから、知識だけ、告白だけでは不十分です。聖霊を受けるまでは動き回らないで、祈りつつ聖霊を待つ。このことが重要だと言えます。

考察3 クリスチャンは、重要な事がらの最終決定は神にゆだねるべき。そうすることで、一番正しい決断を下すことができるから。

考察3-1聖徒たちは、神に最終的な決断をゆだねた。

人々はくじを引いて決めました。くじは旧約以来の方法でした。
「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」箴言16:33

くじによる決定は、人がいっさい介入することができません。
それは、完全に神がみこころを行われた結果を示します。
人々は、自分たちの側でできる準備を全て整えて、最終的には神に決定していただいたのでした。

考察3-2私たちも、人生の重要な決断を神にゆだねることが重要。

私たちも人生の大事な決断のとき、自分の側でできる準備を全て整えてから、神に祈り、神からの「しるし」を見届けて、決断することが重要です。
アブラハムのしもべは、イサクの嫁を捜すとき、神に祈りました。そして。神からの「しるし」を見て、リベカがそうであることを確信しました。
使徒としてマッテヤが選ばれた時も、くじによって神の御心を確認してから決めたのでした。

私たちは自分の感情に流されやすく、正しい道を踏み誤りやすい者です。
ですから、人生の重要な決断こそ、自分の選択、自分の願いを一旦置いて、神の御心に聞き従う従順な心で神の指示を待つことが必要です。まずは神に祈り、神からのしるしを見て動くことです。神は必ず、状況や人、その他のしるしを与えてあなたに御心を知らせてくださるはずです。

しかし、たとえ神の御心を知ったとしても、あなたが従わなければ、あなたは神の御心とは違う道に行くことになります。ところが、神の御心を退けて自分勝手に決めた選択で苦しむことになったとき、神に文句を言うのです。これは、文句を言う先が間違っています。しかし、このようなクリスチャンが多いのではないでしょうか。

私たちは、このような不従順な「しもべ」にはなりたくはありません。
ですから、あなたは神の御心を知ったとき、それがあなたにとって悲しい決断であったとしても、神に従う心の用意をしておかなければなりません。

それだけではなく、神の決断は自分の理解を超えて優れていること、最終的には自分にとって一番良いものを与えてくださる方であることを信じていることが重要です。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?