「アンテオケ教会の誕生、バルナバとサウロはアンテオケで異邦人たちを教えた」使徒の働き11章

エルサレムの兄弟たちは異邦人に洗礼を受けさせたペテロを非難した

11:1 さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。
11:2 そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」と言った。
11:4 そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。

  1. コルネリオとペテロの双方に、主からの啓示があった。
  2. 異邦人たちが、自分たちと同じ御霊を受けたこと。
  3. 異邦人を救うことは、主の御心であることを話しました。
  4. エルサレムの兄弟たちは納得して、主をほめたたえました。

アンテオケに異邦人教会が誕生する

11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれに も、みことばを語らなかった。
11:20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。 

  1. エルサレムに起こった迫害で散らされたユダヤ人たちは、ユダヤ人だけにつみことばを語りました。
    異邦人には伝道しませんでした。
  2. 散らされた人々の中に、キプロス人とクレネ人が何人かいました。
    彼らは、アンテオケに来てギリシャ人にも語りました。
  3. アンテオケで、大勢の異邦人たちがイエスを信じました。
    (主が、伝える者を成功させてくださったから。)

11:22 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。
11:23 彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。
11:24 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
11:25 バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
11:26
彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

  1. エルサレム教会はこのことを知った。
  2. そこで、バルナバをアンテオケに派遣しました。
    彼は、信者たちを教え励ました。そのため大勢の人が信じました。
  3. バルナバはタルソにいるパウロを連れて来ました。
  4. バルナバとパウロは1年間アンテオケで教えました。

ききんのとき、バルナバとサウロはエルサレムに救援の物資を運んだ

11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
11:28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
11:29
そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
11:30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。

  1. アンテオケは港町、豊かな町。
    バルナバとサウロはアンテオケ教会で中心的な人物でした。
  2. 2人は協力して働いていました。
    ききんの時、エルサレムに物資を運ぶという重要な働きのために、2人が派遣されました。 

使徒の働き11章 考察

バルナバから教えられること。
人々が信じる神観にこだわらず、「聖書」と「神がなさった事実」から、本当の神を知ることができる。このことは、聖霊が臨むときに可能になる。

Ⅰ  バルナバとはどのような人であったか。

  • キプロス生まれのレビ人。 
    バルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフ。使徒4:36
  • サウロがダマスコでの迫害を逃れて、エルサレムに来て仲間になろうとしたが、兄弟たちは信じないでサウロを恐れていた。
    そのとき、バルナバはサウルの回の時に起こった、彼がダマスコで大胆に伝道したことを兄弟たちに説明して、サウロを仲間に入れさせた。使徒9:27
  • ユダヤ人たちがサウルを殺そうとしたとき、彼をタルソに逃がした。使徒9:30
  • 聖霊と信仰に満ちた人。使徒11:24

Ⅱ 神がバルナバに与えた信仰とはどのようなものか?

1.ユダヤ人たちは過去の啓示(旧約)に固執した。

ユダヤ人たちは、「ヤハウェイ」が自分たちを選び導いてきた神と信じ、
「ヤハウェイ」が派遣したイエスが神だと認めることができませんでした。
彼らは、過去に与えられた啓示にとどまり、神がその啓示を土台として、さらに加えられた新しい啓示を受け取ることができませんでした。
そのため、彼らはクリスチャンたちを迫害することになりました。
ユダヤ人たちは、神に忠実であろうとする民でした。しかし、その彼らが異邦人よりも激しく神に敵対する民になったのです。

2.神は、バルナバに「イエスの十字架と復活」は「預言の成就であった」ことを悟らせた。彼は、イエスが「メシヤ」だと確信した。

彼は、キプロス島出身のレビ人でした。サウロと同様に旧約聖書に精通し、律法を守ることに忠実であったはずです。その彼が、キリスト者となりエルサレム教会に集っていました。クリスチャンを迫害して当然の立場にあった彼が、自分の命の危険を犯してもキリスト者になったのは、彼がこの信仰について絶対的な確信があったからです。

神は、神が今起こされている出来事が、預言者たちが語ったことの成就だとバルナバに気づかせました。イエスはヤハウェイが遣わした「メシヤ」だったこと、イエスの死と復活は「救いのわざの完成」であったこと、イエスの復活以降、異邦人からも神の民が選ばれる時代が来たことを悟らせたと思います。

レビ人であったバルナバの回心は、根拠のないものではありませんでした。
それは、旧約聖書の正しい理解を土台とした、確かな証拠にもとづくものでした。

Ⅲ 神から与えれた信仰によってバルナバは何をしたか?

1.サウロがエルサレム教会から正式に認められるたに努力した。

バルナバはエルサレムで、サウロの回心と、その後の働きについて聞いていたはずです。サウロの回心のために神がなされたことを知れば、サウロは異邦人伝道のために、神が特別に召した器であることは明らかです。そこでバルナバは、サウロを仲間に入れるために、エルサレムの兄弟たちとの間をとりなしました。 

2.御心に従って柔軟に対応した。異邦人のために働いた。

彼がアンテオケの教会に派遣された時も、主が異邦人に救いの道を開かれた事実を見たので、喜んで奉仕をしました。そして、アンテオケの信者たちの信仰を見て、彼は大いに喜び、その信仰にとどまるよう勇気づけました。

旧約聖書には、将来異邦人も救われることが預言されています。
しかし当時のユダヤ人たちは、異邦人たちへの偏見を捨てることができないため、これらの預言を無視してユダヤ人だけに伝道していたのでした。

  1. バルナバは預言のことばと、現実に起きている異邦人たちの救いから、
    神の御心をキャッチして、臨機応変に働きました。
  2. アンテオケ教会が誕生したきっかけを作ったのは、ユダヤの慣習にとらわれず、自由に伝道する異邦人信者(キプロス人、クレネ人)たちでした。彼らによって、異邦人伝道のための道が開かれたのです。

3.アンテオケでの働きのために、サウロをタルソから連れて来た。

サウロは異邦人伝道のために最適な人物でした。
サウロは、ギリシャ語を話し、旧約聖書にも精通しており、救いの道を正しく解き明かすことができます。しかも彼は、神に直接召された「使徒」でした。

バルナバは、サウロの価値を十分に認めていました。
そこで、アンテオケ教会での働きのために、サウロをタルソから連れて来たのでした。このことによって、長い間注目されずにいたサウロは、異邦人伝道の中心的な働きをすることになりした。

Ⅲ 神は、異邦人伝道を広げるために、バルナバを召して用いられた。
神は、教会が新しい方向に発展してために、その都度必要な器を起こされる。

バルナバは、ユダヤに生まれユダヤで育った生粋のユダヤ人ではありません。
彼は、ユダヤ人社会から距離をおいて、神の救いの計画を、冷静に判断できる立場にありました。

当時、多くのユダヤ人は信者となってからも、過去の慣習を破ることができず、異邦人に伝道することはありませんでした。そこで神は、バルナバを立て、教会がユダヤ人伝道から異邦人伝道に向かって新しく展開していくために用いられたのでした。

  1. このことから、神はご自分の計画の実行のために、その都度必要な働き人を起こして用いられることがわかります。
  2. バルナバと同様にしてサウロも、神がご自分が立てた「救いの計画」を実現させるために起こされた器でした。

考察2 今までの神観から少し距離を置いて、「聖書のことば」と「神が過去になさったこと、今起きていること」から冷静に判断して、自分の救い主を知る。このことは聖霊が臨むとき、心から納得できるようになる。

 私たちもユダヤ人たちのように、強く影響を受けている神観がある。

私たちもバルナバのことから多く学ぶことができます。
私たちは、生まれた地の宗教によって、多くの影響を受けています。
その宗教が教える人生観、道徳観を植え付けられています。
そこから、日本古来の宗教こそ日本人が信じるべきものだという信念のようなものがあり、日本の宗教の慣習を守る人が高く評価されます。

私たちもそれらから距離をおいて、「十字架と復活の事実」、「聖書の記述」から冷静に判断する必要がある。聖霊が下るとき、私たちはイエスを主とし救い主として、心から感謝することができる者にされる。

神が人類のためになされた事実。「イエスの誕生、十字架と復活」。
そして、私たちのことばに翻訳され、誰でも読むことができる聖書から教えられること。

これら上記2つの事実は、「誰がこの天地を造った神はイエスである」、「人を死後のさばきから救う方はイエスよりほかない」ことを明らかに示しています。

しかし、私たちに生まれつき備わる罪が、「知識で理解できても信じることができない」「正しいとわかっていても従いたくない」と思わせます。

聖霊だけが、私たちの心にかかっている「おおい」を取り除くことがお出来になります。バルナバも聖霊が臨んだ時、真理が彼の前に開けたのだと思います。
聖霊が各人に注がれ、真理を知る知恵を与えてくださるようにと祈ります。

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