「聖霊のバプテスマ」使徒の働き2章

Ⅰ 聖霊の降臨

Ⅰ―1大きな音と響きが起こって、聖霊の炎が降った。
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

  1. 5旬節とは、「7週の祭り」とも呼ばれ、ユダヤ教の3大祭りの1つ。

「過ぎ越しの祭り」から50日目に行われる祭り。5月から6月ごろ。
他の2つの祭り(仮庵、過ぎ越し)が1週間続くのに対して、この祭りは1日だけ祝われる。

あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない。また年の終りに取り入れの祭を行わなければならない。(出エジプト34:22)
過ぎ越しの祭りが大麦の収穫を祝うが、七週の祭りでは小麦の収穫を祝う。
ユダヤ教徒にとっては、シナイ山でモーセが律法を授かった日
ルツとボアズが結婚した日で、異邦人とユダヤ人の結びつきを象徴する日
キリスト教徒にとっては、聖霊が初めて下った日(ペンテコステ)

  1. 信者たちは、集まって聖霊が降る時を待っていた。
  2. すると突然、天から激しい風の吹く音があり、家全体に響き渡った。
    そして赤く、分かれた舌のような形のものが、信者の頭上にとどまった。
  3. すると、みなが聖霊に満たされ、他国のことばで神のみわざを語り始めた。
    彼らは学んだことがない外国語で神について語り出した。

聖霊が彼らに下った様子が表現されています。今、このような現象は起こらないし、起こる必要がありません。このような現象が必要であった理由は、人々に、旧約の預言者たちが預言し、また、イエスが預言したことが、実際に起きたことを明らかに知らせるためでした。

Ⅰ―2人々は驚きあきれた。酒に酔っていると思う者もいた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
2:10
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。
 

  1. このとき、信仰深いユダヤ人たちが、祭りを祝うために、さまざまな国からエルサレムに集まっていました。5節
  2. 彼らは、ガリラヤの人たちが、自分たちが住む地方の言葉で話すのを聞いて驚かされました。6節
  3. 彼らの中には、ユダ教に改宗した異邦人たちがいた。
    彼らは遠い国、ローマやエジプトなどから来ていた。使徒たちが彼らの国の言葉で話すのを聞いて、驚き、どう理解したらいいか、どう対応したらいいかわからずに困り果てたました。12節
  4. この現象を、「酒によっているのだ」と馬鹿にする者たちもいた。13節

Ⅱ ペテロが初めて群衆に向かって説教をする

 Ⅱ―1ペテロは、この現象が「ヨエルの預言の成就」だと説明した。
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがた に知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19
また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

  1. ペテロはと11人の弟子は立ちあがり、ペテロが話し始めた。
  2. 自分たちは酒に酔っていない。まだ食事をする時間ではない。
    朝9時は祈りの時間で、人々は10時から食事をした。
  3. ペテロは、ヨエル2章28-32節を読み上げて説明した。
    聖霊があらゆる民族、立場の人々に注がれる時代が始まった。
    ペテロは、イエスの再臨直前に地球規模の天変地異が起ことを預言した。
    この現象は、預言者ヨエルが語ったことの成就だということを説明しました。16節

    これは、終わりの時代のしるしです。聖霊があらゆる階層、あらゆる民族の人々に注がれる時代が始まったのです。17、18節
    イエスが再臨される前には、恐ろしい天変地異が起こるでしょう。
    しかし、聖霊によってイエスを主と呼ぶ者たちは、皆救われて天国に入るのです。20、21節

Ⅱ―2あなたがたはイエスの奇跡を見聞きした。それなに、なぜイエスを神だと認めないのですかと、彼らに迫った。
2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれ ました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
 

ユダヤ人たちは、自分たちの目でイエスの奇跡を見、自分たちの耳でイエスのうわさを聞いていました。それなのに、彼らはイエスを神だと認めていませんでした。

Ⅱ―3あなたがたは神を十字架につけて殺したことを知りなさい。
2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

 それどころか、彼らは神であるイエスを十字架につけて殺したのです。
しかし、神が死ぬことはありえません。神は永遠に生きる方だからです。
そして、その通りイエスは人々によって殺されましたが、復活されました。

イエスが復活されたことによって、イエスが神であることが証明されました。
ですから、あなたたちユダヤ人は、神を十字架にかけて殺したことを知りなさい。 

Ⅱ―4ダビデも、イエスの死と復活を預言していた。
2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
2:26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
2:27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
2:28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
2:29 兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
2:30
彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
2:31 それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。
 

ダビデも詩編において、イエスの死と復活を預言していました。

Ⅱ―5私たちは復活されたイエスに会った。私たちは、復活の証人です。
2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

ペテロと11弟子たちは、復活したイエスに会いしました。
彼らは、イエスの復活の証人であることを証言しました。

Ⅱ―6復活して、天におられるイエスが、信者たちに聖霊を下されたのです。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
2:34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

 弟子たちが、突然外国語で話し出した出来事は、聖霊が神から注がれたために起きた現象です。
復活して天に昇られたイエスが、私たちに聖霊を送られたからです。33節

Ⅱ―8あなたがたは、自分たちが神を殺したことを知りなさい。
2:36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

あなたがたは、自分たちが犯した罪の大きさを思い知りなさい。

Ⅲ 説教を聞いた人々の中に、悔い改める人が起こされた

 Ⅲ―1人々はペテロの説教を聞いて心を刺された。
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。

 ペテロの説教を聞いて、人々は心さされました。
「自分たちはとんでもない罪を犯してしまった。どうすれば、自分たちは神の怒りから救われるのか」と真剣に聞いた。

Ⅲ―2ペテロは彼らに、「悔い改めること」「罪がゆるされるために、イエスの名によってバプテスマを受けること」をすすめた。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

ペテロの説教の内容

  1. 神に敵対して神を殺したことを悔い改めなさい。
  2. 聖霊の中にバプテスマされなさい。
    そうすれば、イエスから賜物として約束の聖霊を受ける。
    この約束は、神が信者として呼びだす全ての人に約束されている。
  3. 神にあなたがたを救っていただきなさい。

重要な聖句の解説

1,「バプテスマを受けなさい」38節

ギリシャ語 βαπτισθητω 不過 受 命 3 単 900
浸して清める 水に浸す 洗う

聖句の意味:聖霊の中にバプテスマされなさい。受け身の命令形。

2,「そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」38節

ギリシャ語 λημψεσθε未 中態 直 2 複 
与えられるものを受け取る 2956、9番目の意味

聖句の意味:そうすれば、無代価で与えらえる宝である、聖霊をあなたがたは受け取るでしょう。

「この曲がった世から救われなさい」40節

ギリシャ語 σωθητε 不過 受 命 2 複 4805

意味:あなたがたは、神に救っていただきなさい。

4,この約束(聖霊が与えられる約束)は、神が呼び出される人々に与えられている約束だからです。39節

英語
39 For the promise is to you and to your children, and to all who are afar off, as many as the Lord our God will call.(NKJV)

39 The promise is for you and your children and for all who are far off—for all whom the Lord our God will call.(NIV

39 For the promise is for you and your children and for all who are far away, as many as the Lord our God will call to Himself.(NASB) 

ギリシャ語

Οσους 対 複 男 形 3人称 ~だけ それだけ

類似に使われた個所 ヨハネ6:11 彼らがほしいだけの魚を与えた。

意味:聖霊が与えられる約束は、神が救いを与えるために呼び出す人だけに、約束されている。
(神が天地創造のはじめから救いに定め、呼び出した人たちは必ず聖霊を受ける。)

イエスの名によるバプテスマとは「聖霊のバプテスマ」を意味する。

「イエスの名によるバプテスマ」は聖霊にひたすバプテスマのこと。
ペテロは38節で「バプテスマを受ける」ことを受動態で命令しているので、
「イエスからバプテスマを与えられなさい」が正しい意味です。ここでは、人が自分から求めて受ける水のバプテスマ「ヨハネのバプテスマ」ではなく、人が神から与えられる「聖霊のバプテスマ」のことを意味しています。
洗礼者ヨハネもこのことを預言していました。
「私の後から来る方は聖霊と火のバプテスマを与える」マタイ3章11節

「ヨハネのバプテスマ」と「イエスの名による聖霊のバプテスマ」の違い。
「ヨハネのバプテスマ」人が与える。悔い改めたことを人々知らせるもの。

           見える。罪をゆるすことはできない。外的なしるし。
「聖霊のバプテスマ」 神が与える。人の罪を焼き尽くすことができる。
           完全にゆるされる。見えない。内的なしるし。

Ⅲ―3その日3千人ほどが悔い改めて、聖霊のバプテスマを受けた。
2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

重要な聖句の解説

「バプテスマを受けた」

Εβαπτισθησαν 不過 受 直 3 複 900
意味:イエスからバプテスマが与えられた。

「主も仲間を加えてくださった」

προσκαρτερουντες 現 能 分 主 複 男 4177

能動態であることから、主が人を救って仲間に加えた。
不定過去より、この出来事はこの時から始まり、今も続いて起きている。

この日、ペテロのことばを受け入れた3千人ほどが、聖霊のバプテスマを受けて信者に加えられた。

Ⅳ 信者たちの生活

 Ⅳ―1使徒たちの教えを守る
2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、

彼らの信仰の基盤は、使徒たちの教えでした。これを崩す時、救いを失います。ですから誤った教えに惑わされることなく、使徒たちの教えに立つ努力をしていました。

Ⅳ―2信者の交わり、聖餐、祈りを行う。交わりをし、パンを裂き、祈りをした。

聖霊をいただくキリスト者間の信仰の交わり。
ただの、親しい人間関係ではない。

  1. 聖餐式を行い、共にイエスの死とその血による契約に感謝した。
  2. 主に祈り、兄弟姉妹のために祈った。

Ⅳ―3神への恐れからくる、神への従順
2:43 そして、一同の心に恐れが生じ、

信徒たちは、主の死と復活の力を知り、一同に神を恐れる気持ちが生じました。そのため、彼らは罪から離れました。

Ⅳ―4使徒たちによって多くの奇跡が行われた。
2:43使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。

神は使徒たちに奇跡を行わせました。伝道先で使徒たちが行う奇跡によって、イエス・キリストこそ、人々が拝むべき神であることを証明するためです。

Ⅳ―5信者は持ち物を共有し、それぞれの必要に応じて分け与えた。
2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

初代教会では、信者たちは自分の持ち物を共有にしていました。
豊かな者の財産は、貧しい者たちの必要に応じて与えられました。
経済的、人的、さまざまな助け合いがあったと思われます。

Ⅳ―6信者たちは、毎日神殿に集まって祈り、家で聖餐式、食事をした。
彼らは、神をほめたたえた。未信者からも好意を持たれた。主も毎日、新しい信者を加えてくださった。
2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

 彼らは毎日、神殿の廻廊に集まって礼拝しました。
人々からも好意をもたれました。主も救われる人を加えてくださいました。

使徒のはたらき2章 考察

考察1 悔い改めを迫る説教とは。ペテロの説教から学ぶ。

  • 自分が神を殺したことを知らせる。認めさせる。
  • 聞いた人が心刺される。深い罪の自覚を持つ。良心の咎めに耐えられなくなる。自分の死後のさばきを恐れる。
    死後、確実に神にさばかれ地獄にいくことになったことにおそれまどう。
  • 自分たちはどうすれば、この状況から救われるかと問う。救いの方法がないかと求める。
  • その人たちに対して、神のゆるしの福音を語る。
  • イエスの救いのわざに感謝する。イエスを主と認める。

 考察2 私たちもペテロのように説教することが重要。

 考察2―1多くの教会で「救いに至らせない福音」が語られている。

  • 古い人のままで気持ちよくさせる甘い説教
  • 自己肯定を、強めさせる擁護するメッセージ
    自己憐憫を増進させるメッセージ。
  • この世に希望と目的を約束するメッセージ。

彼らは、イエスに自分に対する同情と慰め、この世の成功を期待します。
イエスは彼らを慰めるために死んだのではありません。彼らを成功させるためにでもありません。
彼らが自分でどうしようもできない罪をゆるすために死んだのです。
彼らが信仰を告白している神は、イエス・キリストではありません。
これでは真の悔い改めは生じません。つまり、真に救われる人は起こされません。

考察2-2私たちは、パウロが説教したように、アプローチしていく必要がある。

人々に、自分が神を否定し、殺している事実を認めさせる、自覚させることが重要です。
そのことで、神から裁きを受けている現実。生きている間は、多少の情状酌量はあるし、恵みは与えられているけれども、死後完全に神から引き離されて、一切の恩寵が届かないところに行かなければなららない。そこで永遠を過ごすことになることを、知らせなければなりません。

ある人は、怒り出し、ある人は去って行くかもしれません。しかし、聖霊が望まれるとき、受け入れることが不可能だと思われる福音が、人の心につきささります。不可能が可能になるのです。私たちは、救いにおける神の全能を信頼して伝道しなければなりません。ですから、私たちとしては、未信者の意見に妥協することなく、聖書に示された真理を語ることです。このことを神は、私たちに求めておられます。

考察2-3究極的には神が人を救う。救われた人は「救いに至る福音」を聞いて悔い改めていなければならない。だから宣教の働きは重要。

魂の救いは神によってなされます。神は、私たちが伝道に関わるように定められました。人は、福音を聞き、聖霊が与えられなければ救われません。
私たちは、神の全能の力に大いに期待して、未信者たちが愚かだと思う福音を、薄めることなく語り続けていこうではありませんか。

考察3 救われるために、聖霊が与えられなければならない。

 考察3-1聖霊はどのようにして受けるのか。

「水のバプテスマ」を受けたら、聖霊を受けるのではない。「聖霊のバプテスマ」を受けて新生した人が、「水のバプテスマ」を求めるのが正しい順番。

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。38節
そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。41節

38節や41節は、誤解しやすい聖句です。「水のバプテスマ」を受けるなら、「聖霊」を与えられることが約束されていると理解する人がいます。しかし、ここでのバプテスマは「聖霊のバプテスマ」のことで、ペテロは「神から与えられなさい」と命令しています。ギリシャ語の意味はそうでした。

 水のバプテスマを受けた後、聖霊のバプテスマを受けるとか、
水のバプテスマを受けた瞬間に聖霊を受けると約束されていません。

そうであれば、教会に所属することで救われるという誤った実践が始まります。実際カトリック教会は、このように指導しています。

そうではなくて、むしろ逆です。
聖霊のバプテスマを受けた者は、水のバプテスマを受けることを望み。
聖霊のバプテスマを受けた者に、教会は水のバプテスマを授ける。これが正しい順番です。

考察3-2聖霊は、神から与えられる賜物。人を新生させる。
聖霊は、内住した人を捨てることはない。

ですから、救われるためには、聖霊のバプテスマを受けることが絶対に必要です。聖霊を受けた人は新生します。新生は、人生の目標が変わるレベルの変化ではなく、新しい心が与えられ、神の支配の中に入れられ、説明することが難しいですが、全てが新しくされる経験です。
そして、聖霊は人間が自由に得たり捨てたりできるものではなく、神が定めた人に、定めた時に下されるものです。そして聖霊は、一度人に内住されたら、決してその人を見捨てることのない方です。

ですから、本当の意味で救われた人=新生した人は、救いを失うことはありません。聖霊はその人に内住し続け、その人のためにとりなし続けるからです。

考察3-3神は、救いに呼び出した者に聖霊を与える。
神に呼び出された者たちは、最後まで信仰を全うする。

この約束(聖霊が与えられる約束)は、神が呼び出される人々に与えられている約束だからです。39節

神が救いに呼び出される人に、聖霊が与えられると約束されています。
神に呼び出される人たちは、神が天地創造前から救いに定めた人たちだと、エペソ1章でパウロは証言しています。
聖霊が与えられたことが、神の永遠の昔からの計画にもとづくものであったことを知る時、自分に与えられた救いが、確かなものであることを知ることができます。ですから、聖霊を与えられて新生した信者は、決して救いを失うことがありません。なぜなら、その人の救いは神が責任をもたれ、神が最後まで保っておられるからです。

考察4 聖霊のバプテスマと水のバプテスマは、「新生」の「しるし」。

「新生」がなければ、バプテスマを受けたと言っても救われていない。彼らの「しるし」は、偽物。

考察4-1「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」は、両方とも「救い=新生」が起きたことの「しるし」。

そして「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」は、両方とも「新生」が起きたことの「しるし」です。
前者は、人々が見える形での「しるし」、後者は、受けた人だけが知る、人からは見えない「しるし」です。聖霊のバプテスマのしるしは、目には見えなくても、生き方自体が変わるため、人々はそれが起こったことを知るようになります。

考察4-2新生をともなわない「しるし」はすべて偽物。

たとえ「水のバプテスマ」を教会で受けても、「聖霊のバプテスマ」を受けたと異言で語っても、その人が新生を経験していなければ救われていません。

彼らの主張する「しるし」は救いに、何の貢献もできない偽物です。

私たちは、儀式を受けることや、霊的な体験をすることで新生することはできません。罪を悔い改め、神から聖霊を受けなければ救われません。
にせの信仰告白ではなく、本当に救われた信仰告白を生み出す努力の必要を切実に感じます。

 

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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?