- 1 大祭司アナニヤがペリクス総督の官邸に来た パウロがローマの治安を乱す一派の首領だと訴えた
- 2 パウロはペリクス総督の前で弁明した 自分は、ローマ政府に反抗する者ではない
- 3 私は、ユダヤ人が異端とする信仰のために訴えられた しかし私の信仰は、彼らが信じていることを否定していない 彼らの信仰を土台として信じるべきものであって、異端ではない
- 4 パウロはユダヤ人たちの証言がウソであることを 総督ペリクスに訴えた
- 5 ペリクスはキリスト教について詳しかった それで裁判を延期した、パウロにある程度の自由を与えて監禁した
- 6 数日後、ペリクスは妻のドルシラと一緒にパウロの話を聞いた 神の審判の話になると彼らは聞くのを止めた 自分たちに刑罰が与えられることを恐れたからだった
- 7 ペリクスは退任するまでの2年間パウロの裁判を延期した
パウロから金をもらおうとして、何度も彼を呼び出した
祭司長たちからもワイロをもらおうとたくらんだ
- 7.1 考察1 福音を聞いて信じる人、判断を先延ばしにする人の違い。 罪が与える世の快楽、利得に魅惑されるか、それらのむなしさを知って次の世で与えられる永遠の命にあこがれるか、これが「信じるか」「信じないか」を分ける。(パウロと総督ペリクスの対話から考える)
- 7.2 考察2 パウロの命はローマ政府によって守られた。彼がローマの市民権を持つことを、神は宣教の広がりのために用いられた。神は、宣教者、信者たちの生まれ育ちなどのあらゆる状況を、将来ご自身の働きに用いるために、彼らが救われる以前から備えさせている。
- 7.3 考察3 パウロの弁明から思うこと。 ユダヤ教徒はキリスト教に敵対している。しかし彼らはこの信仰を受け入れることができるはず。彼らこそ、この道の正しさを証明できる立場にある。
- 7.4 考察4 現在の福音に対するイスラエルの反抗から思うこと。
大祭司アナニヤがペリクス総督の官邸に来た
パウロがローマの治安を乱す一派の首領だと訴えた
24:1 五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。・・・
24:5 この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。
24:6 この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕えました。
24:7 [本節欠如]
24:8 閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」
- パウロがカイザリヤに到着してから5日後に、大祭司がやって来た。
- 大祭司はパウロがユダヤの治安を乱す一派のリーダーだと訴えた。
パウロはペリクス総督の前で弁明した
自分は、ローマ政府に反抗する者ではない
24:11 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。
24:12 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。
24:13 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。
- ローマの治安を乱す行動はいっさいしていない。
- 彼らの訴えに証拠はない。私は無罪だ。
私は、ユダヤ人が異端とする信仰のために訴えられた
しかし私の信仰は、彼らが信じていることを否定していない
彼らの信仰を土台として信じるべきものであって、異端ではない
24:14 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
24:15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
24:16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
パウロは、自分の信仰はユダヤ教を否定するものではないことを主張した。
本来、ユダヤ人が信じるべき信仰なのだ。つまり、私が伝えている信仰は、旧約聖書を土台として、その上にすえられるべき神の真理なのだと弁明した。
- 自分はユダヤ人たちと同じ「父なる神」に仕えている。
- 自分が伝えている信仰は、ユダヤ教の上にすえらえられるもの。
- 事実、自分は律法を重んじ、預言者たちのことばを全て信じている。
- 義人も悪人も(父なる神を信じた人も信じなかった人も)死後に復活して、神のさばきを受けることを信じている。
そして、「父なる神」への信仰を持つ者は、神のさばきを逃がれ、天国に入ることができる希望を持っている。 - 私が伝える信仰の道は、彼らが訴えるような異端ではない。
この道は旧約時代の信仰の上にすえられるべき正当なものである。
パウロはユダヤ人たちの証言がウソであることを
総督ペリクスに訴えた
24:17 さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。
24:18 その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。
24:19 もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。
24:20 でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。
24:21 彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです。』と叫んだにすぎません。」
- 私が宮で供え物をしていると、アジヤから来た数人のユダヤ人がいた。
- ユダヤ人たちは、私が異邦人を宮に連れ込んで、宮を汚したと言いふらして暴動を起こした。
- 私は宮で、ユダヤ人と一緒だった。宮の中に異邦人の弟子を入れることはなかった。
- 私が議会に引き出された時も、ただ一言「死者の復活のことで訴えられている」言っただけだった。私は議会で言い争うことはなかった。
- 彼らの私に対する訴えは事実ではない。彼らの証言は無効だ。
ペリクスはキリスト教について詳しかった
それで裁判を延期した、パウロにある程度の自由を与えて監禁した
24:22 しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう。」と 言って、裁判を延期した。
24:23 そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。
- 総督ペリクスは、イエスについての出来事を聞いていた。
- 復活を見た人たちの証言について知っていた。
もしかしたら、イエスの墓の入り口を守っていたローマ兵士たちから、彼らの本当の証言を聞いていたかもしれない。ユダヤ人の妻ドルシラから聞いていたかもしれない。 - 彼自身、不思議なことが起きたことに驚いていた。
もっと詳しく知りたいと思っていたのかもしれない。
数日後、ペリクスは妻のドルシラと一緒にパウロの話を聞いた
神の審判の話になると彼らは聞くのを止めた
自分たちに刑罰が与えられることを恐れたからだった
24:24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
24:25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。
- ペリクスは手段を選ばずに利用して、今の地位を勝ち取った男だった。
- 妻のドルシラも、権力を得るために彼女の前の夫から奪い取ったのだった。
- 彼らの過去は罪に満ちていた。だから、さばきの話を聞くことを恐れた。
ペリクスは退任するまでの2年間パウロの裁判を延期した
パウロから金をもらおうとして、何度も彼を呼び出した
祭司長たちからもワイロをもらおうとたくらんだ
24:26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。
24:27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。
- ペリクスは、囚人から金を受け取れば、彼らの刑を軽くしたり釈放したりしていた。
パウロが信者たちから金を集めることができる人物と見込んだペリクスは、パウロを度々呼び出したが、パウロは自分の刑を軽くしてもらうために金を払うことはなかった。 - ペリクスは総督としての在任中、パウロを監禁しておいた。
ユダヤ人祭司たちに恩を売るためだ。
使徒の働き24章 考察
考察1 福音を聞いて信じる人、判断を先延ばしにする人の違い。
罪が与える世の快楽、利得に魅惑されるか、それらのむなしさを知って次の世で与えられる永遠の命にあこがれるか、これが「信じるか」「信じないか」を分ける。(パウロと総督ペリクスの対話から考える)
<福音を信じなかった人たち>
1.ユダヤ人たち=良い行いによって、すでに義を得ていると思った。
大祭司、議会:ユダヤ教社会の位の高い役職に就く人たち
律法学者、ユダヤ教徒:律法による救いを信じる人たち
- 律法を実践することで天国に入る資格が与えられる。
- イエスによるあがないのわざにあずかる救いは必要がない。
- 自分たちを神との間でとりなす仲介者イエスは必要ない。
彼らは、福音は間違っていると判断した。福音を信じなかった。
2.異邦人たち=罪を犯している自覚はあったが、罪を嫌うことはなかった。
罪が彼らを高い地位に着かせ、快楽を楽しませてくれるから。罪の奴隷。
アテネの裕福な人たち:
「この話はまた聞くことにしよう」
彼らは満ち足りていた。道徳的にも非常に堕落していました。姦淫が日常的に行われており、人びとはそれを問題だとも思っていませんでした。
総督ペリクスとドルシラ:
「今は帰ってよい。おりを見てまた呼び出そう」
ペリクスは、自分の権力を強めるために、シリヤの総督の夫であったドルシラを横取りしたのです。
アグリッパ王とベルニケ:
「あなたはわずかなことばで私をキリスト者にしようとしている」
2人は兄弟であったが、性的関係をもっていました。
- 彼らは罪を犯していた。罪を犯している自覚があった。
時には、良心の呵責に悩まされたことがあったかもしれない。
- しかし、彼らは罪を犯し続けることを止めなかった。
- なぜなら、不正によって今の地位を獲得し、不道徳によって快楽を満足させていたからだ。
- 彼らはこれからも、罪を犯し続ける。彼らは罪の奴隷だった。
罪の奴隷であった彼らは、信じることを先延ばしにした。
- 彼らは、信じるために罪を止めることなど到底できなかった。
- しかし彼らは、パウロの話の真実性を認めていた。
- 死後の審判の話(福音)になると聞くことを止めた。
とにかく、今は楽しめるだけ楽しみたかったから。
彼らは、信じることを先延ばしにしました。罪がもたらす快楽や利得を捨てることができませんでした。このような人は、決断を先延ばししても、死ぬまで信仰を告白することはありません。
<福音を信じた人たち>
1.律法を守ることができなかった。自分の罪を知って、天国に入る資格はないと思っていた。人々も、彼らを「罪びと」だと見なしていた。
取税人ザアカイ、マタイ:必要以上に金を集めて私服を肥やしていた。
サマリヤの女:不道徳な女 夫を5人も変えていた。
らい病人、生まれつきの障がい者(盲人、足なえ):
生まれつきの障害は、罪の結果だと信じられていた。社会から疎外されていた。
イエスのとなりに十字架につけられた罪人:罪を犯して死刑になった男
- ユダヤの人々は、彼らは天国に入ることはないと思っていた。
- 人々は、障がい者が生まれる原因は、彼か、もしくは彼の親族の罪のためだと信じていた。
- 彼らは、自分の罪を自覚しており、絶望していた。
- 彼らは、「イエスによる罪のゆるし」にあずかることで、自分たちの罪がゆるされること聞いて大いに喜んだ。
彼らは、福音を聞いて喜んで信じた。イエスを信じた時、罪に関わる仕事や生き方を止めた。
彼らは罪から離れた。神に喜ばれる新しい生き方を始めた。
上記の人々の反応は、私たちが福音を聞いたときの反応と同じです。
あなたは、イエスを信じますか、それとも判断を先延ばしにしますか?
信じるか、信じないかは、福音にではなく、聞く人に問題があります。
そして、その判断の責任は、神ではなく、その人が受けるのです。
神に、その責任を帰する余地はありません。神は絶望的な状態にある私たちに対して、私たちが神の恵みを受ける資格がないにもかかわらず、救われる道を備えてくださったからです。
福音は、人が知るべき一番重要な知らせです。なぜなら、人の永遠の運命に関わることだからです。
イエスは死んで復活されました。
ですから、イエスはこの天地を創造された神です。
パウロは、「義人も悪人も復活して神の前に立つ」と証言ました。使徒24:15
パウロは使徒です。神から教えられたことを伝えた人です。
ですから彼の証言は、真理です。
パウロが語ったことばは、好き嫌いに関わりなく、各人の上に成就します。
全ての人は、死後に復活して神のさばきを受けるのです。
そして地獄に行くか、天国に行くかを神に宣告されるのです。
さて、あなたは、どう判断されますか。
判断を先延ばしにされますか、それとも信じますか。
考察2 パウロの命はローマ政府によって守られた。彼がローマの市民権を持つことを、神は宣教の広がりのために用いられた。神は、宣教者、信者たちの生まれ育ちなどのあらゆる状況を、将来ご自身の働きに用いるために、彼らが救われる以前から備えさせている。
神はパウロが救われる前から、彼を世界宣教のために備えておられた。
パウロは、ガマリエルのもとで教育を受け、律法を厳格に守るパリサイ人でした。
このことは、彼がユダヤ人たちと議論するときに大いに役立ちました。彼は旧約聖書から神の計画を論証することができました。
また、彼は異邦人の国キリキヤの出身で、ギリシャ語を話すことができました。このことは異邦人に福音を伝えるために大いに役立ちました。
彼がローマの市民権を持っていたことは、彼を殺害する陰謀から彼を守ってくれました。ローマ政府が彼を保護し、彼にある程度の自由を与えて監禁する状況を与えてくれたからです。パウロは、ローマ政府から保護されていた間に、弟子たちやこの道のことを知りたいと思う人たちと話しができました。さらに、各教会へ書簡を書き上げることができました。
パウロの生涯を振り返るとき、神は彼を呼び出す以前から、神の働きのために必要なことを、彼に備えさせておられたことがわかります。
信じた人の人生は、神にあらかじめ備えらえた歩みと言える。
神はそれらを、ご自分の働きのために益とされる。
私たちがどこに生まれる人か、両親が誰でどのような人か、どのような教育を受けるか、どのような失敗をするかなど、神は将来信者になる人を、彼らが信じる前から、神の働きのために備えさせておられるのではないでしょうか。私たちは信者となって、自分の歩みをふり返る時、自分の人生に起きたことが、神の働きをするために益になったと、告白できるのではないでしょうか。みことばもこのことが正しいことを語っています。
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ書8章28節
考察3 パウロの弁明から思うこと。
ユダヤ教徒はキリスト教に敵対している。しかし彼らはこの信仰を受け入れることができるはず。彼らこそ、この道の正しさを証明できる立場にある。
キリスト教は、旧約聖書を否定するものではありません。かえって旧約の正当性を証拠づけるものです。
今日のパウロの説教から、このことが証明されました。
キリスト教は、ユダヤ人こそ信じるべき信仰です。
イエスは「律法を成就するため」「預言者のことば」を成就するために来たのです。イエスは「律法の1点1画も廃れない私は律法を廃棄するために来たのではない。成就するために来た。」と言われました。マタイ5:17-18
考察4 現在の福音に対するイスラエルの反抗から思うこと。
今もイスラエルはイエス・キリストにつまずいています。旧約聖書だけを神のことばと信じています。
彼らが福音を拒否しているのは、イスラム国家と敵対して終末のシナリオを進めるためなのかもしれません。
私たちクリスチャンが言えることは、私たちの理解をはるかに超えた「神の良いご計画」があるということ、主のなさることはいつも正しいということだけです。
黙示録によって、私たちはこの世界の未来を知らされています。
ですから私たちは、今の時代を見て恐れるだけにはなりません。
また、世の誤った情報に同調することはありません。
私たちが見聞きする情報はいつも正しいとは限りません。
発信する者が創造主と断絶している場合、問題の本当の原因を知らないからです。
私たちは、今の時代のさまざまな情報に惑わされず、判断を誤らず、主の幸いな計画にあずかる者となろうではありませんか。