旧約と新約の対比
旧約(古い契約)は、律法を守ることによって、神の民となり、天国に入るという約束。
新約(新しい契約)は、キリストの十字架による罪の赦しを信じることによって、罪がゆるされ天国に入る約束。
キリストのあがない以前は、神はイスラエル民族と古い契約を交わされた。
キリストのあがないが完成した以降は、あらゆる民族と新しい契約を交わされる。
- 旧約が『文字』の教えであるのに対し、新約は『霊』の教えであり
- 旧約が石の板の上に刻まれているというのに対し、新約は人の心の板に刻まれる.
- 旧約は『死』を宣べ伝えるのに対し、新約は『生命』を宣べ伝える。
- 旧約は『罪に定め』、新約は『義とする』。
- 旧約は『消え失せるもの』であるのに対し、新約は『いつまでも残る』。
- 旧約は『奴隷的』、恐怖を生じさせる。新約は『自由』、信頼と確信得る。
律法は正しいことを命令し、違反する者を罰するのみである。
律法は、人間の罪の性質を変化させたり、矯正したりすることはない。
旧約の時代はイスラエル民族だけに、神を知る恵みが与えられた
- 天地創造の神を知ることに関して、旧約時代は、他の民族は見捨てられていた。
イスラエル民族だけが神に愛され、保護された。彼らだけが神に近づくことができた。他の民族は神に近づくことを拒否された。 - 新約時代に入ると、民族による差別は解消された。全ての民族が神を知ることを許された。
しかし、時が満ちてキリストが現れた。そのとき、神がユダヤ人だけに限っていた恵みが、異邦人に与えらえるようになった。異邦人にも福音が述べ伝えられた。新約時代に入ると、民族による差別は解消された。 - イエスの言動がこのことを証明している。
イエスですら、復活して王となられるまでは異邦人に福音を知らせることを許されていない。異邦人が召されるのは、十字架のわざが完成するまでのばされていたからだ。カナン人の女に対して「自分はイスラエル人のためにだけ遣わされている」と語り、また弟子たちを派遣するとき、ユダヤ人に対してだけ伝道させた。
まとめ:旧約時代も新約時代も神の一貫性は変わらない
- 永遠なる神は、一度命じたことを変更したり取り消したりすることはない。
- 神は救いにおいて、旧約と新約で外的な形式と方法を変えられた。しかし、これは神が一貫性がないということにはならない。
神は、新約時代に入ってから、人は行いではなく信仰によって救われるように、イスラエル人だけではなく異邦人も救われるようになさった。しかし、これは神が心変わりされたということではない。むしろ変化するのは人間であって、旧約と新約の違いは、人間の能力に応じて神が対応された結果である。神の一貫性は変わらない。 - 神が定めたことは、理由が知らされなくても、それが正しくなされたとして私たちは疑わない。
- 神はご自身の欲したもうままになさる権利がある。私たちは、そのことに文句を言う権利はない。
神は欲したもうままに、ある時代には御自身を知らせず、別の時代には再び御自身を現わされる。もともと私たちは神に反抗する存在であるので、神のなさりようにいっさい文句を言う筋合いはない。