エペソ人への手紙4章「信仰の一致を保ち教会を建て上げよ」「古い人を脱ぎ捨て新しい人を着よ」

<エペソ人への手紙4章 要約>

パウロは、教会を建て上げるようにエペソの信者たちに勧める。
それは、信仰の一致のもとに、与えられた賜物を結び合わせて働かせることによって可能である。
これらのことを実行するためには、各人が古い自分の自我を脱ぎ捨てて、「新しい人」である「キリスト」を着なければならないと説得する。

<エペソ人への手紙4章 解釈> 

Ⅰ 御霊の一致を保ちなさい
1-6節

4:1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

Ⅰ―1召しにふさわしく歩むことによって、御霊の一致を保ちなさい。
「召された」とは、神に呼ばれたという意味です。

救われた人は、神の計画を実現するために、神に呼び出された人です。
彼らは、神から与えられた召しにふさわしく歩むために救われたのです。
しかし、残念ながらそのように歩んでいない者たちもいました。
そのために、教会の一致が乱されていたのでしょう。
ですから、パウロは、召しにふさわしく歩みなさいと言っています。

4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
4:4 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
4:5 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
4:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

Ⅰ―2「謙遜と愛をもって忍び合う」ことによって、御霊の一致を保ちなさい。
お互いに謙遜であり、柔和であるように努めて、兄弟に寛容を示すこと。
兄弟が罪を犯しても、悔い改めれば、交わりを回復すること。
愛をもって兄弟の不完全さに寛容に対応すること。
これらによって、兄弟との平和な関係を築くようにパウロは勧めます。(2、3節)

Ⅰ―3「信仰の一致を保つ」ことによって、御霊の一致を保ちなさい。
私たちが礼拝すべき父なる神は1人です。ですから主は1つ、信仰も1つ、バプテスマも1つです。
いくつもの信仰があるのではありません(5節)

父なる神は、最高の権威を持っておられ、救われた人に内住され、救われた人を支配しておられます。ですから、各人が召しにふさわしく歩み、主に聞き従うなら、教会は一致できるのです。
★本当に救われた信者は、一致できるものです。召しにふさわしく歩まないとき、間違った教えの風に吹きまわされるとき、一致が破壊されます。ですから、パウロは、自分の語った福音に立ち、召しにふさわしく歩むことで、エペソの信者たちに「一致を保ちなさい、一致を失ってはならない」と言っているのです。(6節)

Ⅱ 神は、各人に賜物を与えている
それらをふさわしく働かせ、結び合わせなさい

4:7 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
4:8 そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」
4:9 ――この「上られた。」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
4:10 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。

Ⅱ―1神は、救いと賜物を与えておられる。

互いの賜物を組み合わせて良い働きができるように、
神の量りに従って、各人に賜物が与えられている。
神のお考えに従って、それぞれの信者に違った賜物が与えられています。
1人の働きだけで十分だといえる賜物はありません。賜物は、互いの賜物を組み合わせなければ良い働きができないように配分されています。(7節)

キリストは死んで復活され、罪びとに、救いと賜物を分け与えられた。
キリストは死んで復活され天に昇られました。天に昇られたことによって、キリストは最高の権威を獲得されました。その権威によって、昇天されたキリストは、サタンや罪、死に勝利されました。
そして戦いの戦利品として、罪人に救いを与えられました。
それだけでなく、救われた罪人たちに、賜物を分け与えられたのです。(8節)

キリストは天に座しておられた神です。罪人を救うためにこの世に下り、人となって生まれてくださったのです。(9節)そして、死んで復活されることによって、罪が支配するこの世から、罪人を救い出し、罪人に神の賜物を与えられたのです。(10節)

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
4:14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。

Ⅱ―2神は、教会を建て上げるために必要な賜物を持つ人を与えておられる。

神は教会に教職者を任命している。
神は、ある人たちを、使徒、預言者、伝道者、牧師や教師に任命しました。
また、これらの人たちに奉仕をするための賜物を分け与えられました。(11節)
その目的は、彼らに信徒の信仰を整える働きをさせることによって、教会を健全に建て上げるためです。(12節)

教師たちの役割
第1、信徒の信仰を成長させ、信仰において一致させる。(12節、13節)
第2、信徒を間違った教えから守る。
彼らの信仰が成長することによって、「人の悪だくみ」や「間違った教え」によってだまされないようにする。(14節)
第3、信徒たちが真理を伝道できるように指導する。信者同士が、愛をもって、真理を語り、互いの徳を高めるため、未信者に正しく神を伝えるためです。(15節)

4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。 

Ⅱー3 互いの賜物を、愛をもって結び合わせることで教会は建て上がる。
各人がキリストの命令に従って、分け与えられた力にふさわしく働くことが重要です。
自分に任されていない働きをしようとしてはいけません。
1人だけで完結できるような賜物は、誰にも与られていません。
自分にない賜物を、他者の賜物によって補うように、神は定めておられます。
他者を愛する思いから、他者のために、自分に与えらえた賜物を用いていかなければなりません。
信者は、兄弟を愛する思いを持って、他の兄弟と賜物を組み合わせて働かせる時、お互いが強く結びつき、共に成長することができます。その結果、健全な教会が建ち上がります。

Ⅲ キリストに教えられたように生きよ
古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着よ

4:17 そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
4:19 道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。
 

Ⅲ―1キリスト者は、神を知らない人と同じように生きてはならない。
彼らは神のさばきを恐れず、自分が望むまま罪を行っているから。

キリストを信じた人は、もはや神を知らされていない人と同じように生きてはいけません。(17節)
未信者の知性は暗くなっており、本当の神を知ることができず、かたくなに神を拒んでいます。(18節)

彼らは、神との関係が断たれているために、道徳的に無感覚になっています。
そのため、自分のからだを情欲にゆだねて、結婚以外の性的関係を持ち、神が罪だとする、あらゆる汚れた行いを自分の思うままに行なっています。(19節)

4:20 しかし、あなたがたはキリストのことを、このようには学びませんでした。
421 ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

Ⅲ―2真理はキリストの内にある。
あなたがキリストから学ぶならば、正しい生き方ができる
キリストは情欲に身をゆだねるようにとは教えませんでした。私たちは、聖書を調べてキリストの教えを知り、キリストから教えられなければなりません。
ほんとうに神から教えられる人は、罪に自分の身をまかせることはしません。
かえって自分の身を聖く保とうとします。

4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

Ⅲ―3 キリストが教えた真理とは、
「古い人を脱ぎ捨てて、心の霊において一新されること」だった。
心が一新されたあなたがたは、一新された歩みをしなさい。

 キリストの教えとは「古い人の死と、聖霊による新生」。
4章23節の解釈から新生についてわかること。

23節の「新しくされる」は、ギリシャ語アナカイオオーで、起源・根源において一新されると言う意味のことばです。
新約聖書の中では、この箇所だけに使われています。(エペ4:23のみ)
他の聖書個所にも「新しくなる」という言葉はありますが、ギリシャ語アナカイノオーが使われています。
これは、性質上の一新を意味することばです。(2コリ4:16、コロ3:10)
つまり、エペソ4章26節で、パウロが語っている真理は、「回心したとき、心の中心まですっかり新生した」という意味になります。

ですから、古い人と新しい人の間には、何の関連もありません。
パウロが言いたかったことは、古い人の上に新しい人を着るとか、古い人と新しい人を縫い合わせることではありません。
「古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着る」ことは、継続ではなく断絶であり、進化ではなく新創造です。(新聖書注解より)

つまり、救われた人は、御霊によって心の中心から新しくされたという意味です。
これが救いのプロセスです。このプロセスを経ないで「信じました」と告白しても、その人はまだ救われていません。そのような人に対して、パウロは語っていません。

パウロは、新生がキリストの一番重要な教えであったことを、救われてエペソ教会に集まる信者たちに思い出させています。
新生した人であるから、新生にふさわしい歩みをしなさいと、エペソ教会に集う信者たちに、パウロは勧めているのです。

キリストが教えた「新生」とはどのようなものでしょうか。
生まれながらの私たちは、欲に惹かれて罪を犯す生き者です。
このままでは、死後神にさばかれて、永遠に苦しむ場所に送られてしまいます。

生まれながらの人は「古い人」と呼ばれます。
この「古い人」を脱ぎ捨てて、新しい人を着ることが「新生」です。

「古い人を脱ぎ捨てる」とは、自分の悪い部分を改善したり、除いたりすることではありません。罪人である自分を嫌うことです。その自分を生かしてはならないと心から願うことです。

「新しい人」とは、御霊です。キリストご自身です。
「新しい人を着る」とは、御霊が与えられることによって「キリスト」が心の内に住んでくださり、キリストを根源とする新しい人になることです。その結果、神に喜ばれる新しい歩みができるようになることです。
このことは、一方的な神の憐れみによって起きると聖書は語っています。

★キリストは、「古い自分に死んで、神の霊によって、新しく生まれなさい」と教えられたのです。

Ⅳ 良い行いの具体的な指導

4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

内住の御霊にしたがった時の、具体的な指導が書かれています。

<エペソ人への手紙4章 考察と適応> 

考察1 神の召しにふさわしく歩むとは、どのような歩みか。

 1-1 互いの賜物を組み合わせて、召された目的を実現する歩み。

1人で何もかもできるような賜物は、誰も与えられていません。(7節)
各人に欠けたところや、得意なところがあるように、賜物は配分されています。

互いの賜物を組み合わせて、はじめて神の目的が達成できるように設計されています。
これは神の知恵によります。私たちが高慢にならないためです。また他者を必要とすることによって、他者を尊敬することを学ぶためです。また神の国のために、さまざまな人が貢献できるように神が定められておられるためです。

1-2神から与えられた力量をわきまえて用いる歩み。

私たちは自分を過信して、他人の領域を犯してしまいます。そのために教会が力を失うことがあります。ですから私たちは、自分に与えられた賜物の配分をわきまえて、教会全体の益のために、他者と調和して働かせることが必要です。

1-3他者を愛する動機で、他者のために賜物を用いる歩み。

与えられた賜物を、他者への愛を動機として働かせることです。(15節)
自分のためではなく、他者の利益のために自分の賜物を用いることです。
賜物は、他者を助けるために与えられているからです。

考察2 信仰において一致することで、教会を立て上げなければならない。

2-1教会は、神についての知識が一致しなければ建て上がらない。

教会を一致させるためには、御霊の一致を保つことが絶対に必要です。(3節)
私たちが礼拝するべき神は1つ、信仰も1つです。パウロも言うように、神に関するいろいろな理解があってもいいのではありません。(4-6節)

教会の一致は、神に関する理解の一致によってしか実現しません。
信仰の一致があるとき、同じ父を持つ神の家族としての意識が生まれます。
神のご計画を実現するために力を合わせることができます。
ですから、教会は信仰において一致することが最も重要です。

2-2信仰の一致を保つために、教師が存在する。
教師の務めは真理を教えること。信徒を成長させること。

私たちは、生まれた時代や環境から影響を受けており、そのままでは、神について間違った理解をします。
そのために、教師が教会に立てられています。
教師は、聖書を正しく解き明かして、信徒の信仰を一致させるために存在します。
真理を教えられた信徒たちは、神の奉仕に役立つ者に成長します。
教師の務めは、信徒たちが自分で聖書から真理をくみ取ることができるまでに成長させることです。
また、間違った教えを見抜くことができるように、神についての知識を豊かに持たせることです。

2-3成長した信徒は、他の信徒を教え、教会の徳を高めるようになる。

成長した信徒は、他の信徒に真理を分かち合うことができるようになります。
兄弟が真理から外れたときには、兄弟に忠告を与えることができます。
その結果、教会員の徳が高められます。
このようにして、成長した信徒たちによって、教会が霊的に強められ、守られることになるのです。

考察3 キリスト者として生きるための奥義を知って、生活に適応することが重要。その奥義とは「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る」こと。

 3-1「古い人」は生まれながらの自己中心な自分。

「古い人」とは、生まれながらの自分です。自己中心で、いつも一番でありたい自分です。「古い人」は神にさばかれるように定められています。「古い人」の思いに従って生きることは、死後確実に受ける自分へのさばきを、さらに厳しいものするだけです。

3-2「古い人」は改善しても、罪を犯す。

キリスト者としての生き方は、「古い人」の改善ではありません。「古い人」は改善しても聖くはなりません。なぜなら、どんなに努力しても、ねたみや利己主義などの悪い思いを心から消すことができないからです。

3-3「古い人」を捨てて、「新しい人」を着ることでクリスチャンになる。
そして「新しい人」を着た人は、良い実を結ぶようになる。

キリスト者の生き方の秘訣は、「古い人」を葬り去って、「新しい人」に自分の主体となっていただくことです。
「新しい人」とはキリストであり、御霊です。
ですから、救われるために、また新しい歩みができるために、私たちに聖霊が与えられる必要があります。
聖霊が与えられるとき、私たちの心は全く新しくされ、古い自分の罪が本当にわかって、古い自分を嫌うようになります。
その人は、心から、御霊によって新しい歩みをしたいと望むようになります。

このことは、神の一方的な恵みによって可能になると聖書は伝えています。
このことを「新生」といます。

「新しい人」による歩みは、目に見える形で現れてきます。
「新しい人」が望むことは「古い人」の望みとは違うからです。

3-4 良い行いは「新生」の結果生じるもの。新生の条件ではない。

しかしここで誤解してはいけないことがあります。
それは「良い行い」は、新生の結果生じる産物だということです。

もし、「良い行い」によって人の信仰を評価するなら、あなたは真理から外れます。
良い行いが、その人が救われていることの証拠にはならないからです。

律法学者たちは良い行いに励んでいましたが、心の中は罪の思いでいっぱいでした。
そのことをイエスも指摘しました。

3-5「新生」の教えを知った上で、キリスト者として生きることが重要。

私たちは、キリストが教えてくださった「奥義」を良く知った上で、生活に適応していかなければなりません。
なぜなら、キリストの教えを良く理解しないまま、自分流でキリスト者として生きるなら、おそらく疲れ果ててしまうからです。最悪の場合、神に喜ばれない歩み方をして、罪に定められてしまいます。

正しく信じて神に自分を委ねていく人は、御霊の実を結びます。
エペソ書の1から3章で、パウロはクリスチャンとして歩む上での重要な奥義を教えてから、4章以降で具体的な実践について語っています。
私たちは神が定めた奥義(原理)を良く知って、その原理に基づいて実践していこうではありませんか。

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