「心を騒がせなくてよい。神を信じ私を信じなさい。」イエスの遺言1 ヨハネの福音書14章

イエスが去って行かれると聞いて、弟子たちは不安になった

  1. イエスは弟子たちに、自分が殺されることを預言した。
    過ぎ越しの食事中、ユダがイエスをうらぎるために部屋を出て行ったときに話した。

子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがた は来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。ヨハネ13:33

  1. ペテロや弟子たちはこのことばを聞いて不安になった。

シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができま せん。しかし後にはついて来ます。」ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」ヨハネ13:36,37

  1. 弟子たちはイエスがいなくなることを恐れた。弟子たちはイエスを頼りにしていたから。
  2. 自分たちはついて行けないことを知らされた。
  3. 弟子たちは、イエスがいなくなったら、どうしたらいいのかと不安になった。

イエスは弟子たちを安心させる 自分は天に場所を備えに行く
準備ができたら迎えに来る

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くので す。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」ヨハネ14:1-4

  1. 心配したり、あわてたりしてはいけない。神の幸いな計画を信じて安心しなさい。
  2. 私はもうすぐ死ぬ。それは、あなたがたの天国での場所を備えるためである。
    用意ができたら、あなたがたを迎え入れるためにもう一度来る。
  3. 私が天の父のもとに行くことを、あなたがたは知っているはずだ。(私は神の子だから)

イエスが神につながるただ1つの道、真理、命

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6,7

  1. イエスが神への道
    イエスを神との仲介者とする信仰だけが、天国に入ることができる道。
    他の神々や宗教は、神と人とのへだてを仲裁することができない。
    それらを信じても天国にはいれない。
  2. イエスが真理
    イエスは神が定めた真理をこの世に示された。
    その教えはもちろんだが、イエスは人格、生涯を通して、神の真理とはどのようなものかをこの世に現わされた。
  3. イエスがいのち
    イエスは、ご自分を信じる者が神の命にあずかることができる道を開いた。
    この奥義は十字架の死と復活によって備えられた。

与る(あずかる)とはどういう意味か。
与るは、英語でparticipate in  / to take part inと表現されることば。

例えば、「お招きにあずかる」「ごちそうにあずかる」「利益の分配にあずかる」
与る(あずかる)とは、自分が造り出したのではない何か(食べ物、お金)を得る特権が与えられること。

「イエスの命にあずかる」とは、信者にイエスの命が分け与えらえること。
つまり、神の命によって生かされる者になることを意味する。

私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。1コリント10:16
信者はキリストの血の効力を受ける者にされた。つまり彼らは、キリストが流した血によって罪がゆるされる特権を与えらえた。・・信者が自分たちの力で得たのではなく、100%神の恵みによって、すばらしい特権が与えらえたことを意味する聖句。
この聖句は「与る、あずかる」の意味を良く表していると思う。

イエスを知ることは、父なる神を知ること

あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

  1. イエスを知れば、父なる神を知ることができる。
    天地創造の神は霊ですから、私たちは父なる神を見ることはできない。
    しかし、イエスは肉体を取ってこの世に生まれてくださった神。
    ですから、イエスを通して私たちは神を知ることができる。イエスのことばと行いは、父なる神と完全に一致していた。イエスは、自分の教えは自分のものではない、父なる神の教えを語っていると言われた。だから、私たちは神を見れなくてもいい。イエスを知ればよいから。新約聖書に書かれた弟子たちの証言があるから。

わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありま せん。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。ヨハネ14:10,11

弟子たちはイエスより、もっと大きなわざを行う

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父 のもとに行くからです。ヨハネ14:12

  1. イエスを信じる者は、イエスのようなわざを行うようになる。
    初代教会の使徒たちは、イエスがなさったような奇跡を行った。
  2. 弟子たちは、イエスがなさった宣教より広範囲に伝道を行った。彼らは世界に福音を広めた。
    これは質ではなく活動範囲が広げられたことを意味する。
  3. イエスが天にあげらえることによって、イエスの影響力がなくなるわけではない。
    かえってイエスの影響力が多くの人におよぶことになる。
    イエスが弟子たちのために、天でとりなす祈りの力によって、弟子たちの宣教が進み、イエスへの信仰が広まり、イエスの影響力が全世界に及ぶようになることを意味する。

弟子たちに与えられる恵みの約束
1.祈りをかなえる

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。ヨハネ14:13,14

  1. 祈りがかなえられる約束
    求める者にイエスへの愛と従順があることを前提とした約束。
    イエスの名によって祈れば何でもかなえられるのではない。神は利己的な願いはかなえない。イエスはそのような祈りを一度もされなかった。ここでは、イエスを愛しイエスに従う人の願いをかなえるという約束。そのような人は利己的な願いをしない。神の戒めに従い、神の御心に沿った祈りをする。その祈りをかなえてくださるというのだ。
  2. 伝道のため、困難が予想された弟子たちを大いに慰める約束。
    世界宣教のために弟子たちは多くの困難にを克服しなければならない。
    イエスは彼らの祈りや必要を天から聞いてかなえてくださるださるというのだ。
    イエスのために命の危険を犯す弟子たちにとって心強い約束。

弟子たちに与えられる恵みの約束
2.聖霊を送る

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。ヨハネ14:16

<聖霊の働き、特性とは何か。>

  1. 助け主なる方
    ここで用いられている「助け主」は、ギリシャ語でパラクレートス。
    パラカレオー(そばに呼ぶ)の受動の意味の形容詞を名詞化したもの
    弁護を必要とする者の弁護をするために呼ばれた人のこと。一般的には、助けるために呼ばれた人。
    イエスが生きていた間、イエスは弟子たちを助けられた。御霊はイエスの役割を代行してくださる。
  2. 真理を教える。
    しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのこ とを思い起こさせてくださいます。ヨハネ14:26
    御霊は真理を教える霊。御霊の霊感と照明によって、イエスが語ったことが思い起こされ、気が付かなかった心理が明らかにされる。
  3. 信者のうちにとどまり、信者を助け続ける。
    その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。ヨハネ14;17
    父なる神は天におられ、イエスはこの世に来られたが、今は父のもとにおられる。

    しかし聖霊は、信者に宿り、信者とともに住む。決して離れることのない方。
    信者に真理を知らせ、助けを与え、父なる神にとりなしをしてくださる。

    私たち信仰者にとって、神の臨在はありがたい。
    イエスが生きておられたときは、イエスに関わることができた人だけが助けられた。
    しかし聖霊は、時と場所の制限を受けることなく、全世界の信者を同時に助けることができる。
    この賜物を送ってくださった神に感謝がつきない。
  4. 世(未信者)は聖霊を受け入れない。知らない。
    不信仰な人はイエスのどんな奇跡についても無感覚。
    たとえ死人がいきかえっても信じない。ルカ16:31
    イエスを愛しない者はイエスも父も聖霊も受け入れない。その働きを否定する。

弟子たちに与えられる恵みの約束
3.平安を与える

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。ヨハネ17:27

  1. この世が決して与えることができない平安。
    酒、遊び、
    快楽によって一時的にいやなことを忘れ、心の平安を保つことはできる。しかし、現実は変わらない。このようなものに熱狂することで、後で苦しむようになることが多い。(不、病気、貧困)イエスが与える平安はこれらとは違うもの。
  2. イエスが与える平安は心の平安。
    イエスが与える平安は、この世の楽しみや成功によって与えられる平安とは違う。
    それは、「魂が救われた」「天国に入る」確信によって与えられる心の平安。
    この世の出来事に左右されない、どのような状況にあっても持つことができる平安。
    たとえ、貧しくても、病気でも、死ぬときでさえ変わらない平安。
  3. 苦しみのときも持つことができる平安。
    イエスは十字架で苦しまれたときも、この平安を持っておられた。
    使徒たちもそうだった。彼らは、迫害に会い、殺される危険の中にあっても、この平安を失うことはなかった。
  4. イエスが与える平安は、御霊が結ばせる実。
    しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。ガラ5:22,23
    この平安は、人間が努力して見せる「にせもの」の平安とは違う

    それが「にせものだ」という理由は、その人たちのクリスチャンらしい振る舞いが、ちょっとした不都合な出来事によって、すぐ化けの皮がはがれて本性がむき出しになるから。
    イエスが与える平安は、人間が造り出すものではなく、神の御霊が生じさせるもの。
    御霊を宿した信者に、神が実のらせてくださる人格の実。
  5. 平安は信仰によって義と認められた罪びとに与えられるギフト

イエスがあげられることは信者にとって幸いなこと

14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、 わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。

  1. イエスが去って、父の右の座に着くことによって、根源的な力を帯びて信者と交わることができるようになった
    あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。エペソ2:20-22
    イエスが去ることによって、聖霊が信者とともに住むようになった。これは、神が信者に臨在するようになったということ。信者と神は切ってもも切れない強い関係で結び合わされたことを意味する。

    そのため、神は信者と根本的に交わり導くようになった。
    これは、私たちキリストを信じる者にとって、非常に喜ばしいこと。

真の弟子は、イエスを愛するだけでなく、イエスのことばに従う生き方をする。

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。ヨハネ14:15

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わしま す。ヨハネ14:21


イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところ に来て、その人とともに住みます。ヨハネ14:23

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。ヨハネ14:24

イエスは、ご自分を愛する者はご自分の教えを守ると何度も言われた。

口でイエスを愛すると告白する人がすべて、イエスを主として愛する人とは限りません。
イエスを主=神として愛することは、神のことばに従うことだからです。

その人がイエスを愛することのただ1つの証拠は、その人が神の命令に従うことだといえるでしょう。
私は行いによる救いを信じているのではなりません。行いは救いの条件ではありません。
救いは神によって与えらえるプレゼントです。
そして、神によって御霊が与えられ救われた人は、神に従う暮らしをすることも明らかな事実です。

イエスを愛し命令を守る者は神に愛される。

「神を本当の意味で愛する人は神に愛される」とイエスは言われました。

神に愛されることほど大きな祝福はこの世にはありません。逆に、神にのろわれることほど恐ろしいことはありません。神を信じようと信じまいと、その人の全人生は、神の御手の中にあるからです。

神は、その人にご自身の人格を現わす。

わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わしま す。ヨハネ14:21
イエスは、自分を愛し従う者に、自分を現わすと言われました。
これは聖霊の働きによる人格の聖化のことだと思われます。
キリストのご人格が、イエスに従う信者に現れて来るといわれているのです。
これはすばらしい祝福です。

イエスを愛する者を、イエスは助ける

イエスは「あなた方の願いを父に願ってあげよう」ヨハネ14:13,14と言われました。
イエスに従う信者の祈りは、彼らの信仰の成長にともなって、イエスが願われることと一致していきます。
彼らは、信仰が守られること、人々がイエスを信じることなどを願うでしょう。
そのために必要な助けを神に祈ります。このような祈りに神が答えられないはずがありません。

時には、神が沈黙されて、祈りの答えが与えられないことがあります。また、違った答えを受けて驚くことがあります。ストップさせられることもあります。しかし、その答えが結果的に良いことだったという経験することがよくあります。とにかく、イエスと共に歩む人生はおもしろいものです。

「聖霊」が信者にとって、一番すばらしいプレゼント。

してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たち に、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」ルカ11:13

この聖句で、イエスは「求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか」と、聖霊が何よりすばらしいギフトであることを語っておられます。まさにその通りだと思います。
私たちは、お金や健康、仕事などを第一に求めます。しかしこれらの宝は、いつまでも私たちを楽しませてくれるとは限りません。なぜならこれらは、いつ失うかわからない不安的なものだからです。

しかし、「聖霊」が与えられることは、すばらしいギフトです。
聖霊は、信者に常に臨在して、助け導いてくださいます。
聖霊は、みことばを解き明かして神についての真理を教えてくださいます。
そして真理を知った人は、神に喜ばれる人生の歩みをすることができます。
聖霊はその人の人格を練り聖めて、キリストに似た者へと聖化させてくださいます。
「天国の保証」「神の民とされていることの確信」を与えてくだ
さいます。
信者が祈れないほど落胆している時にも、「父なる神」に正しい祈りを届けていてくださいます。ローマ8:26

これほどすばらしい贈り物はありません。このギフトを与えられる人は本当に幸いです。
そして、この賜物の価値を正しく知る人は、本当に幸いです。

 

 

 

 

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?