アビメレクの死後、トラ、ヤイルがイスラエルをさばいた
- イッサカル人ドドの子トラ 23年間イスラエルをさばいた。エフライムの山地シャミルに住んだ。10:2
- ギルアデ人ヤイル 22年間イスラエルをさばいた。30人の息子。30頭のろば。19:3-4
アモン人がギルアデ地方を苦しめ、ヨルダン川を渡って来た
- イスラエルがバアルやアシュタロテなどの偶像を拝んだから。
主が彼らを懲らしめたからであった。10:6-8 - アモン人は18年間ギルアデにいたイスラエル人を苦しめた。
されに、彼らはヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、エフライムと戦った。10:9 - イスラエル人は主に助けを叫んだ。彼らは自分たちの罪を認めた。
「あなたに罪を犯しました。バアルに仕えました。」10:10 - 主は彼らの祈りを退けた。
「あなたは何度も罪を繰り返した。わたしはあなたを助けない。」10:11-14 - 民は、偶像を取り除いた。そして主に願い続けた。
- それを見て、主は、彼らをあわれまれた。10:15-16
アモン人が責めてきた。長老たちはエフタをかしらにした
- エフタは父ギルアデが遊女に産ませた子。彼は勇士であったが。長子の権利を奪われ追い出された。
彼は遊女の子であったため、兄弟たちは彼が長子となることを拒んだ。
父の財産を相続してはならないと、兄弟たちは彼を追い出した。トブの地に住んだ。11:1-3 - 彼のもとにごろつきが集まり、1つの軍団となった。11:3
- イスラエルの長老たちは、エフタの元に来て、自分たちの首領となってアモン人と戦ってほしいと言った。
- エフタと長老たちは約束を交わした。「この戦いに勝った後、エフタをイスラエルのかしらにする」
エフタは戦う前、この約束を皆に宣言した。11:7-11
エフタは、アモン人がイスラエルを攻めることは不当なことを証明した。
エフタは、イスラエルとアモンの歴史から、アモン人を説得した。
アモン人たちが「イスラエルがエジプトから上ってきたとき、自分たちの国を取った」との言い分が間違っていることを示した。エフタは順序だてて語った。イスラエルはアモンの地を通過しただけで、不当に侵害したことはないことを証明した。10:12-27
アモン人は聞き入れず戦った。イスラエルは勝利した。
- エフタの説得をアモン人は聞き入れなかった。11:28
- 主の霊がエフタに下り、エフタたちはアモン人のところに進撃した。11:29
- 進撃のとき、エフタは主に誓願を立てた。
「もしあなたが確か見アモン人をわたしの手に与えてくださるなら、私がアモン人ところから無事に帰って来たとき、家の戸口から私を迎えに出てくる、その者を主のものとします。私はその百者を全焼のいけにえとしてささげます」11:30,31 - エフタは、アモン人を激しく打った。アモン人はイスラエルに屈服した。11:22
エフタの誓願が悲劇を生んだ 帰ったとき、1人娘が迎えに出てきた
- エフタが家に帰ったとき、1人娘がタンバリンを鳴らし踊りながら迎えに出てきていた。11:34
- 主に立てた誓願のため、エフタは自分の娘をいけにえとしてささげなければならなくなった。11:35
しかも、彼にはこの娘の他には、男の子も女の子もいなかった。11:35 - 娘は2か月の猶予を願った。彼女は、結婚せずに若くして死ぬことを友人たちと泣き悲しんだ。11:36-38
- 2か月の終わりに、父は娘を誓願のとおりに全焼のいけにえとしてささげた。11:39
- イスラエルはギルアデ人エフタのために年に4日嘆きの歌を歌うことがしきたりになった。11:40
エフライム人は、エフタに抗議した
- エフライム人たちは、エフタが自分たちを戦いに招集しなかったことを講義した。
「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行っ てアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」12;2
エフタはエフライムと戦った
- エフタは、ギルアデの人々を集めて、エフライムと戦った。
エフタは、エフライムを打ち破った。12:4 - ヨルダン川を渡って逃げようとするエフライム人を、彼らのアクセントから見分けて殺した。
ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が、「渡らせてくれ。」と言うとき、ギルアデの人々はその者 に、「あなたはエフライム人か。」と尋ね、その者が「そうではない。」と答えると、その者に、「『シボレテ』と言え。」と言い、その者が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その者をつかまえて、ヨルダン川の渡し場で殺した。 そのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。12:6 - そのとき、4万2千人のエフライム人が倒れた。12:6
- エフタは6年間イスラエルをさばいた。12:7
- エフタの死後、イブツァンが7年間、エロンが10年間、アブドンが8年間イスラエルをさばいた。
彼らには、多くの息子娘がおり(30人とか)、他の部族と婚姻関係を結び平和を維持した。12:8-15
考察1:主は、妾の子エフタを士師として立てた。人が無価値であるとする者を、主は用いられた。このことは私たちにとって大きな慰めである。
エフタは、誰もが認める勇士であった。
彼がアモン人に対して語った答弁は、旧約聖書の記述を正確に伝えるものであった。
このことから、エフタは、父ギルアデの家で十分な教育を受けていたことがわかる。ギルアデの親族たちは、エフタが父の家を治めるにふさわしい器であることを認めていたであろうと思われる。
エフタは父の最初の子であったのかもしれない。申命記には、人間の選択ではなく、好き嫌いではなく、一番先に生まれた者が長子になると定められている。
人がふたりの妻をもち、そのひとりは愛する者、ひとりは気にいらない者であって、その愛する者と気にいらない者のふたりが、ともに男の子を産み、もしその 長子が、気にいらない女の産んだ者である時は、その子たちに自分の財産を継がせる時、気にいらない女の産んだ長子をさしおいて、愛する女の産んだ子を長子とすることはできない。 必ずその気にいらない者の産んだ子が長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初め であって、長子の特権を持っているからである。申命記21:15-17
しかし、兄たちは、エフタが父の妾の子であったため、彼を嫌い、自分たちの「かしら」になることを許さなかった。そのため彼を、追い出した。
ところが、アモン人が戦争をしかけてくる時になって、彼らは自分たちが追い出したエフタに助けを求めた。
ギルアデの長老たちがエフタを説得し、戦いの指揮をとってほしいと頼んだ。やはり、彼らはエフタこそギルアデの「かしら」となるべき器であることを認めていたのだ。
主は、妾の子エフタを士師として立てられた。そのため、彼はアモンの脅威からイスラエルを解放する仕事を見事に成し遂げた。
このことから、主は、人が見下す者、時には罪によって生まれた者をも、主の御用を果たさせるために召されることを教えらえた。ダビデとバテシェバの間に生まれたソロモンもそうであった。また、遊女ラハブからボアズが生まれた。
ボアズはモアブの女ルツによりオベデを生み、、オベデの孫がダビデである。主はイスラエルの王の家系、キリストが生まれる家系の内に、遊女や異邦人が関係するように定められた。
妾の子エフタが士師に召されたことは、私たちにとって大きな慰めです。私たちは、罪深いため多くの過ちを犯してしまう。自分だけではなく、自分の父母や兄弟、先祖が犯した罪の影響を受けて生きている。しかし、主はこれらの無きに等しいと人が思う者たちに心を留めておられることがわかる。そして、人の高慢を砕くために、主は、あえて低くされている者たちに、主の大切な仕事を任せられることがあることを知ることができるからだ。
考察2:私たちが主に誓うことの重大さを知らなければならない。
主が私たちに誓われたことが、確実に果たされることを感謝しなければならない。
旧約の人々は誓願を重んじた。それはただの口約束ではなく、必ず果たさなければならないものであった。
エフタの娘は、主に対して立てた誓いを守るために死んでいった。
たとえ、自分が立てた誓いでなくても、父が主に立てた誓願であったので、守らなければならなかったのである。旧約の人々は、主に立てた誓いを絶対に守った。
主に対して誓ったことを守らなければ、主から厳しいさばきを受けるからだ。
主に誓うことは、私たちが交わす「契約書」以上に厳格に守らなければならない約束であった。
たとえば、エサウは長子の権利を売ることを誓った。そのため、弟イサクが父が長子となった。
あるいは人が口で軽々しく、悪いことまたは良いことをしようと誓う場合、その人が軽々しく誓ったことがどのようなことであっても、そしてそれに気づかなく ても、彼がそれを知ったときには、これらの一つについて罪に定められる。レビ5:4
神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。神は愚かな者を喜ばないからだ。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。伝道者の書5:4-5
さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。マタイ5:33-37
誓願は特別の意味を持つ、非常に重く受け止められるべきものである。
これらの聖句が教えることは、主への誓願は特別に重い意味を持つということです。旧約時代には、「誓願は絶対に果たせ、果たせなければ誓うな」と言われました。キリストはそれをさらに進めて、「あなたたちには完全に誓いを守ることはできないのだから、誓ってはならない」と言われました。
軽く扱われている結婚の誓願。
私たちが主に誓う時が、一度あります。それは結婚において相手と添い遂げる誓いです。この誓いの意味を私たちはどれだけ深く受け止めているでしょうか。結婚の誓いが軽く扱われていることを悲しく思います。
主は私たちに誓願された。その約束は確実に果たされる。これは私たちの希望。
主は、私たちに誓われています。そして、主はこれらの誓いを完全に果たされます。
神だからできるのです。神の誓われた誓願だから確実に果たされるのです。
ここに、私たちの確信と希望があります。神に感謝します。
偶像を拝まず、主のみを礼拝し、主に従う者を、主は守る 申命記8章1-
信じる者に永遠の命を与える。(キリスト)
考察3:彼は異教の影響を受けていた。主からの祝福を得るため、犠牲を払う、神と取引する考えがあった。また、彼は人の命の価値に差をつけていた。
神と取引する思いを持つエフタ 異教の影響を受けていた
神の祝福を受けるために、神によろこばれる「ささげもの」をしなければならないとエフタは考えた。
自分の側で何の犠牲も払わずに、神から恵みだけを受け取ることはできないと彼は思った。
しかしこの考えの根底にあるのは「これだけのささげものをすれば、これだけの祝福を与えてもらえるだろう」という神との取引をする思いです。
これは、異教の信仰の考え方です。彼は、主を信じていたが、異教の影響を引きずっていた。
聖書は恵みは一方的に与えられること 恵みの代価を払うことはできないことを教える
聖書が一貫して説いていることは、人間は神と取引できないことです。
人間は、神の恵みの代価を払うことができないということです。
それは、あまりにも高価で、人間には支払うことができないからです。
また、エフタは人の命の重みに違いをつけていました。神は彼の間違いをさばかれました。
娘の命は非常に重要で、奴隷の命は価値のないもの、いつ死んでも問題ないものとしていました。
それで、軽々しく誓願を立てたのです。奴隷が一番先に自分を迎えに来るだろうと考えていたからです。
ところが、主は彼の考えの甘さを見事にさばかれました。
彼の予想に反して、自分の大切な1人娘が、最初に迎えに出て来たからです。
エフタの娘の悲劇は私たちへの教訓
彼の娘の悲劇は、私たちに対する教訓です。主への誓願を軽く扱ってはならないことを私たちが知るためです。