- 1 イエスはエルサレムに行く途中、エリコの町を通られた
- 2 この町に取税人のかしら「ザアカイ」がいた
- 3 彼はイエスを見るために、いちじく桑の木に登った
- 4 驚いたことに、イエスがザアカイに声をかけ、彼の家に泊まった
- 5 人々は、イエスがザアカイと親しくされることを非難した
- 6 ザアカイは悔い改めた 罪を告白し、罪のつぐないをした
- 7 イエスはザアカイの救いを宣言した
- 7.1 考察1「救いは神によって与えられる。人の功績によらない。」イエスからザアカイに近づかれた結果、ザアカイは悔い改めた。(神の主権による救い)
- 7.2 考察2 神は救われる者をあらかじめ定めておられれる。 イエスは「ザアカイの家に泊まらなければならない」と言われた。(救いの予定)
- 7.3 考察3 イエスに声をかけられた瞬間に、ザアカイに変化が起きた。 真の悔い改めは、心と行いに変化が起きる。 このことは聖霊によって、一瞬にして徹底的になされる。(神が与える救いの確かさ)
- 7.4 考察4 神は罪びとを捜し出して救う。自分は罪びとだと思うなら希望がある。 イエスは、ザアカイを捜し出して救った。 (どれほど罪深い者であっても、神に救えない魂はない)
イエスはエルサレムに行く途中、エリコの町を通られた
それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。ルカ19:1
- イエスはエルサレムに向かっておられた。十字架にかかられる日は近づいていた。
- エリコの町に入る直前、イエスは生まれつきの盲人をいやされた。
盲人は神をあがめイエスについてきた。これを見た人々も神を賛美した。
盲人のいやしはエリコの町の人々に知れ渡っていたと思われる。
この町に取税人のかしら「ザアカイ」がいた
ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
- エリコの町は交易の要衝。イスラエルの3大都市の1つ。オリーブ、バルサム油の産地。
- 取税人たちは、この地方からは高額な税を集めることができた。
ザアカイは取税人たちのかしらであったため、特別に金持ちであった。 - 取税人は、ユダヤ人であったが、民衆から嫌われていた。
- 裏切り者 敵国ローマのために働いていたから。
- 罪びと 不正をしていた、人々をだまして金を集めていた。
取税人とはどういう人か
取税人は、ローマ政府のために、ユダヤ人から税金を取り立てる人。取税人になる権利は、競売によって決められた。それため多くの場合、地方の有力者や金持ちがなった。彼らは、毎年ローマに一定額を納める義務があった。ローマ政府は税率について定めなかったため、取税人たちは不正に多く集めて、その差額を自分のもうけにしていた。
ザアカイとはどういう男か
彼は取税人の中でもかしらにまでのし上がった男だった。ローマに取り入って、ユダヤ人からは容赦なく取り立てることができたずるがしこい男であった。彼にも良心が痛むことはあったかもしれない。しかし、金と安楽な暮らしへの欲望を抑えきれず、取税人を続けていたのだろう。
彼はイエスを見るために、いちじく桑の木に登った
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。ルカ19:2,3
- ザアカイは背が低かったので、イエスを見ることができなかった。
群衆がイエスを取り囲んでいて、彼はイエスを見ることができなかった。 - 彼のために場所をゆずる人はなかった。(彼は人々から嫌われていた)
- そこで、イエスが通る道を先回りして、前方の木に登った。
当時、大人が走ることや木に登ることは、恥ずかしい行為とされていた。
おそらく、いちじくの木の大きな葉に隠れて、こっそりとイエスが通るのを待っていたのだろう。
なぜザアカイは、大人げないことまでしてイエスを見たかったのか
ザアカイはイエスのうわさを聞いていたと思われる。
1、ユダヤの教師たちとは違う考えを持った方。
2、律法で救われないとされる人を救うことができる方。
3、罪びとの友になられる方。
4、取税人のレビが弟子にされている。
5、他の弟子たちも無学な漁師たちである。
これらのことを聞いていたと思われる。
とにかくザアカイはイエスに興味を持った。ユダヤ教によっては、彼の救いは不可能だった。
彼には、律法学者たちとは違った救い主が必要だった。
驚いたことに、イエスがザアカイに声をかけ、彼の家に泊まった
イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。ルカ19:5,6
- イエスのほうからザアカイに声をかけた。
ザアカイから声をかけたのではない。イエスのほうから、木の上でのぞき見しているザアカイを見上げて声をかけた。 - イエスは彼の名を呼んだ。「ザアカイ、降りてきなさい」
イエスに会ったことがないのに、イエスは彼の名前を知っていた。
これは、イエスがザアカイの全てをお見通しであること、彼が犯してきた全ての罪をご存じであることを意味する。このようなことは神にしかできない。ザアカイはイエスが「人となられた神」であると知った。 - イエスは、彼の家に泊まられた。「あなたの家に泊まることにしてある」
イエスはザアカイの家に泊まることを決めておられた。
なぜなら、それはザアカイが救われることは、神の計画であったから。
そのため、イエスはザアカイと関わりを持たなければならなかったから。
- ザアカイは大喜びしてイエスを迎えた。
ザアカイは、皆がメシアだと尊敬するイエスが、自分のような罪びとを救ってくださることを非常に喜んだ。
このときのザアカイの心境は?
イエスが自分の名を呼んだ瞬間に、彼は全てを悟ったと思われる。イエスが神であること。
自分が罪びとであり、神の怒りの下にあること。イエスは自分を救うことができることを悟った。イエスが彼にこれらを悟ることができるようにした。
人々は、イエスがザアカイと親しくされることを非難した
これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。ルカ19:7
- 民衆は、イエスがザアカイと親しくされることに腹を立てた。
- ザアカイは救われるべきではない。あれは罪びとで自分たちの敵だから。
ザアカイは悔い改めた 罪を告白し、罪のつぐないをした
ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四 倍にして返します。」
- ザアカイはイエスを「主」と呼んだ。イエスを神だと認めた。
- 主に対して、自分の罪を認めて告白した。(心の変化)
- 貧しい人から必要以上に税金を取り立てた罪
- 人をだまして税金を取り立てた罪
- 罪のつぐないを約束した。(行いの変化)
- 自分の財産の半分を貧しい人に施す。
- だまし取った金は4倍にして返す。彼は律法の定め以上のつぐないを実行した。
律法では、5分の1を加えて返すように決められている。(レビ6:5、民数5:7)
- 彼はこのつぐないのために、破産したのではないか。
その結果、取税人を止めることになったのではないかと思われる。
イエスに救われてからも取税人を続けていたとは想像しにくい。
イエスはザアカイの救いを宣言した
イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:8-10
- イエスはザアカイの告白を聞いて、彼の救いを宣言した。
- イエスは、ザアカイがアブラハムと同じ信仰を持つこと
天の御国を継ぐことを認めた。
- 自分は、失われた魂を捜して救うために、この世に遣わされたのだと言われた。
考察1「救いは神によって与えられる。人の功績によらない。」イエスからザアカイに近づかれた結果、ザアカイは悔い改めた。(神の主権による救い)
救いは、神の側からの接近によって与えられる。
イエスの側からのアプロ―チによって、ザアカイとの関係が始まった。
ザアカイはイエスが自分に声をかけるとは思っていませんでした。
ところが、イエスはザアカイの下に来て立ち止まり、木の葉に隠れてのぞき見している彼を見上げて声をかけました。
神は私たちの全てをご存じの上で召す。
罪びとのままの私たちをご自分のもとに引き寄せる。
イエスが、ザアカイの名を呼んで彼を呼び出した。
イエスは彼の名前を呼んで、彼をご自身に引き寄せました。そして彼との関係を始められました。
ザアカイがイエスの名を呼んで、どうか救ってくださいと言ったのではありません。
このことから、救いは神の側からの接近によって始まることがわかります。
神は私たちの全てを知った上で、もう少し清くなってからではなく、罪びとの状態のままで、私たちをご自分のもとに引き寄せることがわかります。
考察2 神は救われる者をあらかじめ定めておられれる。
イエスは「ザアカイの家に泊まらなければならない」と言われた。(救いの予定)
イエスはザアカイに「今日あなたの家に泊まらなければならない」「泊まることにしてある」と言われました。なぜザアカイの家でなければならなかったのでしょうか。
なぜなら、神がザアカイの救いを計画しておられたからです。
神はなぜ、罪びとでユダヤ人から嫌われているザアカイを救われたのでしょうか。
それは、救いは良い行いによって、人間が獲得するものではないことを私たちに教えるためです。
救いは、救われる資格がない、無力な罪びとに対して、神が一方的に与えるものであることを、私たちにわからせるためです。
19章5節「今日あなたの家に泊まることにしてある」の解釈
神があなたの救いを定めておられるので、私はあなたと関わらなければならないという意味
ギリシャ語では、次のような意味があり、両方が採用されています。
1、神の定めにより~するように定められている (~することになっている 新改訳)
2、ある事情により~しなければならない (~しなければならない 新共同訳)
同じ言葉が、イエスがサマリアを通らなければならない(サマリヤの女に福音を伝えるため)
どうしても誇る必要があるなら、弱さを誇るなど(自分の教えの正当性を証明するため)
つまり、ザアカイを救うために、イエスはザカリヤの家に今日泊まらなければならないと言う意味になります。
神はザアカイの救いを定めておられました。
ザアカイの家に泊まったことは偶然起こったことではありません。
これは永遠の昔からの神のご計画に基づいています。
このことから、神は救われる人をあらかじめ定めておられます。
そして、神が救うと定めた人は、人が救われることは不可能だと思うような罪びとでも、必ず救われて全く変えられることがわかります。
考察3 イエスに声をかけられた瞬間に、ザアカイに変化が起きた。
真の悔い改めは、心と行いに変化が起きる。
このことは聖霊によって、一瞬にして徹底的になされる。(神が与える救いの確かさ)
真の悔い改めは瞬間的に起きる。聖霊が降るとき一瞬にして悟るようになる。
ザアカイの悔い改めは一瞬にして起きた。
ザアカイは、イエスに名を呼ばれたとき、自分の罪について、神について一瞬にして全てを悟りました。
わたしたちも悔い改めを経験します。これは聖霊が私たちにのぞむときに起きます。
そのとき一瞬にして神について、自分について悟り、福音を心から感謝することができるようになります。
真の悔い改めは、心や行いに劇的な変化を起こす。
ザアカイは自分の罪を自覚した。罪のつぐないをして、罪から離れた。
真の悔い改めのしるしは、内的(霊的)と、外的(行い、生活)に大きな変化が起こることです。
内的(霊的)には、自分の罪がわかる。神がイエスだとわかる。
外的(行いや生活)には、罪を犯すことを嫌って、良い行いに励むなどです。
ザアカイの悔い改めでこの2つが見事に起きています。
彼は今まで犯した罪を主に告白しました。そして、そのつぐないをしました。
私たちの悔い改めも同様です。心と行いに何の変化も起きない悔い改めは、本当ではありません。
真の悔い改めは、その人の人生を徹底的に変える。
ザアカイの悔い改めは徹底していた。
ザアカイは悔い改めによって、根底から変えられました。
彼は律法の定め以上に、自分の罪のつぐないをしました。これにより彼は破産したのではないでしょうか。それほど、真の悔い改めは人を徹底的に変える力があります。
ザアカイはイエスから救いを宣言されて後、取税人のままでいたとは思えません。
彼は、取税人を止めて神のために働く人になったかもしれません。
ザアカイがどこかの司教になったとか、ユダの代わりに選ばれたマッテヤがザアカイであったとか言う言い伝えが残っています。
神が与えた救いの効果は、確かで、永続する。
ザアカイの救いから、神が与えた救いは確実に人を変えること、そしてその効力は絶大であり、最後まで続くことを知ることができます。
考察4 神は罪びとを捜し出して救う。自分は罪びとだと思うなら希望がある。
イエスは、ザアカイを捜し出して救った。
(どれほど罪深い者であっても、神に救えない魂はない)
神はザアカイを捜し出して救いました。
イエスは、罪びとを捜し出してて救うために来たからです。
私たちは皆、生まれながら罪びとです。
律法を守りきれない、天国に入ることができない存在です。
私も、ザアカイのようだと思うなら、あなたには希望があります。
神が聖霊の恵みを与えてくださるのは、自分の罪を自覚して低くされた人たちだからです。
あなたにも、神の恵みにより救いが与えらえますようにと心からお祈りしています。