「あなたがキリスト者だということで迫害する人たちが困っていたら助けなさい。彼らの救いのために祈りなさい。」ルカによる福音書6章26-36節

あなたがキリスト者だというので迫害する者、攻撃する者を愛しなさい

あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。ルカ6:27

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。マタイ5:43,44

  1. 敵」とは異教徒。律法学者は敵を憎めと教えた。
    ユダヤの社会では、敵とは異教徒である異邦人(外国人)を意味した。律法学者たちは敵を憎め、敵と関わるな、挨拶もするなと教えていた。
  2. イエスは、迫害者たちに良くしてやること、彼らの救いのために祈るように教えた。
    この教えは、当時の常識をくつがえす新しいものだった。

    1. 「敵」とは、イエスへの信仰を嫌って迫害する者、クリスチャンを攻撃する者。
    2. 「迫害者たちが救われるように。イエスを信じることができるように祈れ。」とイエスは信者たちに言った。

復讐してはならない。善をもって敵をキリストのものとしなさい

  1. 迫害する者のために祈りなさい。
    あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。ルカ6:28
    この信仰をきらってあなたを迫害する者のために、彼らが救われるように祈りなさい。
  2. 復讐してはならない。復讐は神にまかせなさい。
    愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをす る、と主は言われる。」ローマ12:19

    主が摂理によって、彼らにあなたを攻撃させておられるのですから、彼らに奪わせておきなさい。取り返してはならない。彼らがあなたを打つなら打たせておきなさい。復讐は神に任せておきなさい。
    主は、時期にかなってあなたを助けてくださる。またあなたに必要な物は与えてくださださる。
  3. 敵に善を行え。善によって迫害者をキリストのものにしなさい。
    1. 敵が困っていたら助けなさい。彼らの必要を満たしてあげなさい。
      あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。ルカ6:27
      もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるので す。ローマ12:20
      迫害していた者が、飢えていたら食べさせる。渇いていたら飲ませる。つまり敵が困っていたら、助けるようにと言われている。敵は驚くだろう。そして信者たちを迫害することを止めるだろう。この信仰に入る者も現れるかもしれない。これがクリスチャンの伝道の方法だ。
    2. 敵が要求している以上のことをしてやりなさい。
      あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。マタイ5:41
      ローマは手紙の伝達が発達していた。ユダヤ人は、命令が下れば飛脚に宿泊、食料を無償で提供した。ときには、手紙を届けるために走ることもあった。イエスは、敵を助けるために、強制的にするのではなく、自発的に頼まれたこと以上の援助をせよと教えた。
    3. 敵の攻撃によっても、あなたはゆるがない。信仰を捨てないことを敵に知らせなさい。
      この信仰は、全てを失っても、あまりある価値があることを、あなたの身をもって、敵に知らせなさい。
      あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。ルカ6:29
      しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。マタイ5:39,40
      すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。マタイ6:30

      「敵に片方のほおを打たれたとき、もう一方のほおを向ける」とは、ただ「こっちの方も打ってください」と言う意味ではない。次に打たれると予想されるほおを敵に向けることで、先の攻撃が何のダメージも与えなかったことを示す行為。つまり、敵が自分の肉体を痛めても、自分の霊はダメージを受けない。敵の打撃が自分の霊まで滅ぼすことはできないことを、敵に知らせる行為と考える。たとえこの信仰のために、痛めつけられても、全てを失っても、この信仰には、それをおぎなってあまりある価値があることを、敵が知るきっかけになると考える。
    4. 見返りを期待せず、敵に与えなさい。しかし相手にとって真に助けとなるものを与えなさい。
      ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。ルカ6:34
      こ自分の私欲のために助けることができるのに、助けないことを戒めていることば。
      しかし、「求められた通り何でも与えよ」という意味ではない。
      浪費癖を放置したま、いくらでも援助するとか、ギャンブルのために金を与えるわけにはいかない。私たちが持つものは、神から与えられたもの。私たちは、それを賢く管理する責任がある。
      相手にとって真に助けになるものを、賢く見分けて与えることが重要である。
    5. 敵が救われるために役立つものを与えることが最善である。パウロの例
      パウロは、こじきに金を求められたとき、「イエスの信仰によって立って歩け」と命じた。
      彼は足がなえていたために働くことができなかった。パウロは彼に、体の回復とイエスへの信仰を与えた。これは良い例である。

この善行は、真の信者が失われた人たちを愛する思いから実行される

  1. イエスの教えは、徹底した自己犠牲を要求する。常識の範囲を超えている。
    自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。ルカ6:32,33/マタイ5:46,47
    今日の常識は、「自分を守ったうえで、できる範囲で困っている人を助ける」ということである。
    イエスの命じる善行は、私たちの常識をはるかに超える高い道徳基準を要求している。
    常識からすると、してはいけない領域にまで及んでいる。
  2. イエスを本当に知った者は、失われる魂に対する愛から、自発的に自分を犠牲にする生き方を選ぶ
    なぜ、イエスは弟子たちにこの命令をなさったのか。それは、キリストを本当に知ったときに、このことが可能になるからだ。これらは、失われていく魂に対する悲しみ、あわれみからなされることだからだ。何とかして1人でも、イエスの福音を受け入れて永遠の命に入ってほしい。この願いがあるからこそ、迫害者たちに対して寛容を示すことができるからだ。
  3. イエスの死こそ、この一番の例である。
    イエスの死こそ、その一番の例である。イエスは、ご自分を嫌ってののしる者のために、命を捨てられた。十字架での究極の苦しみを味わわれた。イエスの十字架は、失われる魂に対する愛からなされたことであった。

信者はこの世で迫害を受ける。神の摂理がそう命じるなら、あなたができる援助を誰にでも行いなさい。そのような生き方を神は喜び、あなたは天で報いを受ける。

  1. このようなことを実践するなら、あなたは、天国で報われる。
    そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがた は、いと高き方の子どもになれます。ルカ6:35/マタイ5:45
  2. 神は、ご自身に感謝しない人類に恵みを与えておられる。あなたも、神が機会を与えてくださるなら、同じようにするべきである。
    なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。ルカ6:35
    天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせ てくださるからです。ルカ6:35
    天の父は、ご自分を信じない者、嫌う者に必要な物を与えて生かしておられる。
    そのように、信者も、主が摂理によって機会を与えておられるなら、敵に対して寛容を示すことが、神に喜ばれることである。そのように実行するなら、天で報いを受けるであろう。

まとめ

イエスの教えは、私たちが実行することをためらうほど厳しいものです。
しかし、この命令は、未信者に与えられてはいません。イエスの弟子たち、イエスを真に信じるものたちに対して与えられた命令です。
そして、信者にとってはこれらの戒めは、理解できるものであり、実行することができるものとなるのです。なぜなら、彼らはイエスから受けた絶大な恵みをいただいたからです。
与えられた信仰が、この世の何にも増してすばらしいことを知っているからです。

あなたも、このような信仰を与えられ、イエスのことばを喜ぶ人になりたいと思いませんか。
イエスの内に、ゆるがない平安を得たいとは思いませんか。

 

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今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?