- 2022-05-21
- 2022-10-15
キリスト教綱要3篇21-24章「救いの予定、神の選びについて」
神は永遠の決定により、ある者を救いに定めた。 この教えを無視することは、神に不正を加えるだけでなく、 人に損害を与えることになる。 この教理が理解できなければ、救いの確信を持つことはできない。 なぜなら、自分の決心や行いによって救いを維持するのであれば、失格することもあるが、神が決定した救いであれば […]
神は永遠の決定により、ある者を救いに定めた。 この教えを無視することは、神に不正を加えるだけでなく、 人に損害を与えることになる。 この教理が理解できなければ、救いの確信を持つことはできない。 なぜなら、自分の決心や行いによって救いを維持するのであれば、失格することもあるが、神が決定した救いであれば […]
2祈ることの必要:神に願いを届ける。平安をいただくことができる。 祈りによって、神に願いを訴えることができる。 祈ることによって、心を安らぐことができる。 悩みを主に打ち明けた以上、主に自分の問題を全て知ってもらったと確信できるから。そして主は、自分のために最善の方策をしてくださると確信しているから […]
1キリスト者が持つ自由について正しく知ることは重要 キリスト者の自由を間違って理解している人がいる。 彼らは、「自由」とは神に対してのいっさいの服従を捨てて、自分の思い通りに生きることだと考える。しかし、これはキリスト者の自由ではない。 本当の自由を得ていなけれ、たましいの安息はない。 2キリスト者 […]
18章1:ローマ8:30 「行いに従って報いが与えられる」とは 聖書の中に「行いに応じて報いを受ける」と言われている個所が多くある。これらは、報いが人間の功績に由来すると言っているのではない。神が人に報いを与える順序を示した聖句である。 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになり […]
律法の約束について間違った見解がある 律法を守ることにより義とされると考える人たちがいる 行ないを前提として祝福が与えられる聖書の記述から、彼らは報いを受けることは、信仰のみでなく、行ないにもよると言う。 律法を完全に守ることで天国に入るなら、誰一人入れない。 神は律法を完全に守る者しか義と認めない […]
エフライムに住むレビ人が、ベツレヘムのギブアにやって来た 彼は、めとったそばめを取り戻しに来た。 彼女はその人を嫌って家に帰っていた。4か月実家にいた。19:1-3 「ザーナー」姦淫 何らかの男女関係のもつれでそばめが家を飛び出した。 そばめの父は喜んで彼を迎えた。何日も彼を引き留めた。19:4-9 […]
16:1信仰によって義とされる教理は、善い行ないを廃することにはならない 「信仰」と「良い行い」は結びついていなければならない。 カトリックは行いがなければ信仰もないと教えるが、私たちは信仰が良い行いを生じさせると考える。 カトリックは、義とされる信仰には行ないが必要だと教える。しかし私たちは、義と […]
15章2:私たちの能力は神から与えらえたものである 自分の持つ善いものは神から来ている。 それは自分の功績で得たのではなく、神の憐れみによって与えられた。(クリュストモス) 15章3:私たちの行ないは、汚れているけれども、私たちは神から報いを受ける 善い行ないをしたとしても、私たちは無益なしもべにす […]
14章:2 信仰のない者にも神の恵みとして美徳が宿る場合がある 私は「不信仰の者が持つ美徳が、神の賜物ではない」とか、「正と悪に違いはない」というほど非常識ではない。私は正義と悪は大変違うことを認める。なぜなら信仰のない者が行う義と悪の間にさえ、大きな違いが現れているからである。 信仰のない者の善行 […]
神の栄光を守らなければならない 自分の持っている知恵、富、力を自分の者として誇る権利はない。 それは神が与えたものである。もし自分のものとして誇るなら、それは神の栄光をそこなうことである。 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。 […]