ピリピ人への手紙4章「仲たがいを解消して一致しなさい 思い煩いを主にゆだねて、今自分ができる務めに集中しなさい」

教会は信仰に固く立って、戦い続けなさい

4:1 そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。

信仰に固く立ち続けなさい
パウロはピリピの教会を心から慕っていました。パウロは彼らの信仰を高く評価して「私の喜び、冠よ」とまで言っています。彼らは主に忠実で、困難の中にあるパウロを支援し続け、今日まで福音を広めるために働いてきました。(ピリピ1:4、5)
しかし、ピリピの教会の中には勢力争いがありました。パウロを退けて、自分たちが教会を支配しようとする悪い働き人たちがいました。(1:17)

さらに、教会は、常に偽教師によって惑わされる危険があります。
当時から、キリスト者と名乗りながら、キリストに敵対して歩んでいる人が多くいました。彼らは利益を得る目的で教会の交わりに入っていました。(4:18)
このような状況にあるのですから、教会は信仰に固く立つ必要があります。「偽りの教え」や「人の策略」を退けて、神に喜ばれる教会を維持するためです。
このことは、キリストにしっかりと結びつくことによって可能になります。
パウロは教会がしっかりと信仰に立ち、サタンに勝利するように勧めます。

ユウオデヤとスントケの仲たがいを解消しなさい

4:2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。
4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。 

ユウオデヤとスントケ(女性)の不和は教会を弱体化する
ユウオデヤとスントケはピリピ教会の有力な信徒でした。
パウロが手紙を書いた時、彼らは仲が悪かったようです。(2)
彼女たちの信仰は正しいものでした。2人は、真の働き人であるクレメンスやパウロの同労者たちと一緒に、福音を広めるためにパウロにと協力して戦いました。
しかし彼女たちは、信仰以外の事で仲が悪くなっていました。(3)

彼女たちが一致することをパウロは強く願っています。
2人が分裂していることは、ピリピの教会を弱体化させることになるからです。
パウロが仲直りを勧めるほど、彼女たちの影響力は教会にとって大きかったと思われます。
2人が主を第一とし、主に従うなら、仲たがいは解消され、教会が信仰に固く立つことができます。教会は、サタンに力強く対抗することができます。そこでパウロは「主にあって一致する」ように2人に勧めています。
そして、パウロは教会に集う真の信者に、2人の仲直りのために動いてくれるようにお願いしています。パウロはにせの信者に、この務めを頼んでいません。
にせの信者が2人の仲裁に入るなら、2人の分裂がもっとひどくなるからです。

再臨は近い今、信者が覚えておくべき生き方について

4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
 

主が再臨される日は近い、だから困難な中にあっても喜びなさい。
心配事は悩まず主に祈りなさい。願いなさい。そして平安でいなさい。
この当時、信徒たちは非常な困難の中にあったと思われます。
なぜなら、キリストを信じることは命がけのことだったからです。
特にピリピの町は、迫害の強い場所でした。
そのような困難な状況にあっても、「喜ぶように」パウロは勧めます。4節
また、「寛容な心を示すように」勧めます。具体的には、人が自分にした悪をゆるすこと。自分が貧しくても、誰かが困っていれば、信者であっても、未信者であっても助けることです。(寛容をすべての人に知らせる)5節

なぜ、迫害下で苦しむ人達が「喜び」、「寛容」でいられるのでしょうか。
それは、主が来られる日(再臨の日)が近いからです。
信徒達は、主が迎えに来てくださる日を心待ちにしていました。
その日には、主のために自分たちがした働きに対して、報いが与えられるからです。
いっさいの苦しみから解放され、永遠の安息に入ることができるからです。

しかし、主が迎えに来てくださるまでは、信者は地上で戦い続けなければなりません。
恐れることや心配に思う出来事がたくさん起こります。
その時は、自分であれこれと悩んではいけないとパウロは助言します。
心配は神に祈り、神に知っていただきなさいとパウロはすすめます。(6)
そして神が知ってくださっているから、安心しなさいとすすめます。(7)

信者は、生まれる前から定められた神の計画によって救われました。
彼らを救われた神が、この世界を造り、統治しておられます。
そうであるなら、神は私が祈る前から、私に起こる全てのことをご存じです。
そして、それらすべてを働かせて益としてくださると確信できます。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ:28

さらに信者には、最終的に「永遠の命」という幸いが約束されています。
ですから、明日、命を失うかもしれない状況の中にあっても、心の平安を保つことができるのです。これがキリスト者の平安です。4節から7節でパウロが教えたことは、ピリピの信徒たちにとって非常に実際的で役に立つものでした。

4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

正しいことに心を留めなさい パウロから学んだことを実行しなさい
信仰に固く立つために、もう1つ重要なことがあります。
それは、「良いことに心をとめる」ことです。
「愛すべきこと」「評判の良いこと」「徳と言われること」に関心を持ち、実行することです。(8)
パウロから教えられたこと、パウロを見て学んだことを実行することです。
信仰は知っているだけでは無意味です。信仰は働かせてこそ価値があります。「信じるだけでなく、信じて行う者になれ」とパウロは勧めています。(9)

ピリピ教会のリバイバルを喜ぶ

4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。

今回、ピリピから贈り物があったことを喜ぶ
ピリピの教会は教会が誕生した時からずっとパウロに物資を送ってきました。
ところが、これが何かの事情で一時途絶えていたようです。
再び支援が始まったことをパウロは喜んでいます。(10)

4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

貧しいから贈り物を喜んでいるのではない。
私は贈り物が示すこと、つまり教会が力を取り戻したことを喜んでいる。
パウロは贈り物を受け取ったから喜んでいるのではありません。
ピリピの教会が支援を再開したのを見て、教会のリバイバルを喜んだのでした。
パウロは「貧しいから喜ぶのではない」と言います。(11)
その証拠に、彼は、富むことにも貧しくなることにも、どのような境遇にも満ち足りることができると言います。(12)
それはキリストによって強められることによってできるのです。(13)

4:14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
4:15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
4:16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
4:17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
4:18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
4:19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
4:20 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

支援が再開されたことで、教会の霊的成長を喜ぶパウロ
ピリピ教会に感謝し、彼らの祝福を祈る
ピリピの教会は、よくパウロと困難を共にして戦いました。(14)
彼が、迫害のためにピリピを去り、テサロニケに行っても、さらに激しい迫害にがあり、最後にはギリシャへ逃げなければならなかった時、彼に物資を届けて、くれたのはピリピ教会だけでした。
この時パウロは、本当に苦しい戦いの中にありました。(15)
テサロニケにいた時でさえ、ピリピの教会は2度までも物資を送ってパウロを助けました。彼らは、命を失う危険を犯して、パウロを支えたのです。(16)

ピリピの人教会は、本当にパウロと患難を共にしてきた教会でした。
このことを覚えているパウロは、彼らを心から慕い、彼らの霊的祝福を喜んでいます(17)
エパフロデトが持って来てくれた贈り物に感謝し、神が彼らの必要を満たしてくださるようにと祈っています。(18-20)

4:21 キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。私といっしょにいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。
4:22 聖徒たち全員が、そして特に、カイザルの家に属する人々が、よろしくと言っています。
4:23 どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。

終わりのあいさつ
教会の聖徒ひとりひとりにパウロは挨拶を送ります。

<ピリピ人への手紙 考察と適応>

教会が信仰に立ち、サタンに強く対抗するための秘訣

各人が主に結びつくこと (下の具体的方法を成功させる原則)1節

信徒たちが「主と固く結びつく」ことが、教会を強くする秘訣です。1節
そのためには、聖書を学び、主から教えられたことを実行することが重要です。

また、模範となる人の実践を見習うことです。(4:9)
そのための一番の模範はキリストです。キリストが示された謙遜と従順を覚えていることは助けになります。(2章)このことにより、他者と調和して働くことができるようになります。

各人が主に聞き従う歩みをするならば、教会は一致できるでしょう。各人の賜物が組み合わされて力強く伝道ができるでしょう。反対者たちから攻撃を受けても、励まし合って耐え忍び、しっかりと信仰に立ち続けることができるでしょう。すべてのカギは、各信者が御霊に従順に歩むことです。

考察1 教会が、霊的に強くなるための具体的な方法

1.各人が主に従う。信者間の不和を解決する 2、3節

ピリピ教会には、有力な2人の女性信者がいました。
彼女たちの間に不和があったため、教会が一致してサタンに対抗する力を失っていました。
このように、教会員の間に不和がある時、各人の賜物を組み合わせて働かせることができず、結果として教会がサタンに対抗できなくなります。
ですから、各人が主に従って、教会員の間に仲たがいがないようにしなければなりません。

2.各人が心配を神にまかせて、安心して今の課題に取り組む 6、7節

困難に立ち向かい信仰に固く立ち続けるためには、どんな時にも変わらない平安を持つことが重要です。困難が来る度に、落胆して戦う意欲を失うようでは、サタンに勝利することはできないからです。

困難な状況にあって平安を保つためのキリスト者の秘訣は、心配事を自分で悩まず、主に祈って任せることです。主に任せて、主が解決してくださると安心することです。
そうすれば、自分でコントロールできない問題で力を消耗することなく、目の前にある自分が処理できる課題に全力を尽くすことができます。
そうしているうち、あなたの力を超えた問題を、神が解決してくださるのを見ることでしょう。
各信者が、このようにして平安を保つとき、困難な状況にあっても、サタンに力強く対抗する教会になることができます。

3.相手が信者、未信者を問わず善を行い、キリスト者の寛容を示す  5、8,9節

各人が善を実践することによって、教会が霊的、物質的に強くされます。
その場合、信者間の助け合いを優先するべきことは当然です。
しかし、未信者に対しても、神が機会を与えてくだされば、善を行うべきです。
未信者への援助を通して「キリストのかおり」が世に放たれるからです。

言い換えると、未信者は、信者から助けられることによって、信者の良い行いの源泉であるキリストを知ります。
信者を通して、キリストの品性や人格の一端に触れます。
つまり、「キリストの素晴らしさ」が世に伝えられるのです。
このことは、人々が教会に敬意を払うことにつながります。
信者が、教会への理解を深め、彼らに伝道がしやすい状況を作ります。

しかし、その際に信者が忘れてはいけないことがあります。
それは、良い行いの源泉は、自分ではなくキリストだということです。
自分の力で善をする人は「自分の素晴らしさ」を広めます。
しかし、キリストにあって善を行う人は、「キリストの素晴らしさ」を伝えることができます。

そして、困難な状況にあっても、信者が未信者にキリストの香りを届けられる生き方をすることで、教会は未信者の魂を主のものとなし、サタンに対抗することができます。

考察2 教会における女性の役割についての考察

パウロは「男性と女性の関係」をバランスよく理解していました

当時、女性が教会で預言することは、当然のこととされていました。
預言者アンナ イエスをメシヤだとわかった人 ルカ2:36-38
ピリポの4人の娘たち  使徒21:8-9
コリント教会での礼拝で女性が預言していた 1コリント11:5
教会の礼拝中に質問して、礼拝の秩序を乱す女性たちがいました。

パウロは彼女たちに対して、礼拝では黙っていなさい。
質問があれば、家で夫に聞きなさいと命令しました。
礼拝中に質問する 1コリント14:34-35
髪を振り乱して、女性の性的魅力で男性を支配しようとする女性たちに対して、
被り物をするように命じました。1コリント11:5
女性は惑わされやすいので、男性に従うように言いました。1テモテ2:9-15

パウロは女性が男性を支配することをゆるしませんでした。1テモテ2:12、
しかし、その直前の聖句で、男性は暴力や言い争いではなく、神に祈って問題を解決しなさいと命令しています。1テモテ2:8

女性は男性に仕える存在であること書いた、そのすぐ後に1コリント11:6-10
男性が女性から生まれたこと、女性を抜きにして男性はありえないことを書いて、男性が自分の立場を悪用して女性を支配することがないようにバランスをとっています。1コリント11:11-12

女性には男性に対する従順が求められますが、それも主にあってという条件をつけて、男性が主との正しい関係にある時に、女性は自らの意志で従うことができると教えています。エペソ5:22
また、男性は女性を奴隷のように自分に都合のいい道具として妻を扱ってはいけないこと。
キリストが命をささげらえたように、妻を命がけで保護することを男性に命じています。

妻が信仰の純潔さを保つことができるように、女性を不品行から守るようにしなさいと男性に命令しています。
妻と夫の関係を、キリストと教会の関係と、原理と実践において同じであると言っています。エペソ5:22-33

パウロの手紙の中に、彼が女性たちに心を配っていたことがわかる箇所がたくさんあります。
これは彼が、男性と女性をともに尊重していたからであると思われます。
パウロは女性蔑視の人ではありませんでした。
女性の人数を数えなかったほど、女性の地位が低く見られていた時代に、パウロは、神の啓示によって教えられ、現代にも通用する、男性と女性に関するバランスの良い感覚を持っていました。

パウロは女性たちと協力して働いていました

新約聖書を読めば、福音宣教のために、女性が大いに関わっていたことがわかります。

ルデヤはピリピで始めに起こされた信者でした。彼女は自分の家を宣教の拠点として提供し、パウロを助けました。使徒16:11-15
ユウオデヤスントケはピリピの有力な信者で、パウロのために働きました。
彼女たちの和解は、ピリピの教会にとって重要な問題でした。ピリピ4:2
パウロは執事のフィベをコリント教会に遣わしています。ローマ16:1-2
これらのことから、パウロが女性を信頼して共に働いていことがわかります。

また、パウロの手紙の最後のあいさつには、沢山の女性の名前が出てきます。
彼は、女性たちと良い関係を保って仕事を進めていたのでしょう。
女性たちもパウロを慕っていたと思われます。それはパウロが親しく女性たちに語りかけている手紙の内容からわかります。パウロも彼女たちの働きに感謝していました。パウロは女性たちと和合して働きを進めていました。このように男性と女性が親しくある姿は、本当に心暖まるものです。

上記のことから、私は、
「女性が男性を助ける」秩序を保つなら、女性も教会で用いられてもいいと考えます。
しかし、その際には、その女性の信仰について、慎重な吟味が必要だと考えます。

教会は本来、男性と女性が和合して集うところではないでしょうか。
教会が女性であるということだけで、その女性に与えられている賜物を無視して、用いることを禁止したり、制限したりすることは、神のみこころに反するのではないでしょうか。
パウロなら、そのようには教会を導かなかったはずです。
私たちは、そのことの証拠を、上記で説明してきました。

私は、女性が男性を支配することには反対です。
私自身、「女性が暴走するのではないか」と恐れる者の1人です。
女性はあくまで男性を助ける役割を担うべきだと考えています。

ただ、「教会の益のために女性が男性を助ける」という秩序が守られているのであれば、女性がみことばの奉仕に関わることも可能だと考えます。
主任牧師の負担を軽減する目的で、女性が説教をすることも可能ではないでしょうか。
平日の聖書の学びを担当することもできると思います。

ただ女性なら誰でも良いと言うわけではありません。
不適格な女性が奉仕をするなら、男性を支配することになりかねません。
ですから、教会はその女性の人格や信仰を慎重に吟味しなければなりません。
また、教会は、秩序をもって、女性の賜物を用いなければなりません。

ただ、教会の伝統に反するという理由で、女性の働きを制限することは、聖霊の働きをさまたげるのではないかと考えます。それは、教会の教育や宣教の力を弱めることになると思います。
なぜなら、神が教会のために備えた賜物を、教会が用いないことだからです。

自分たちの教会に与えられた賜物を賢く見分け、
与えらえた賜物を、神が定められた秩序にそって働かせることにより、
男女が調和して働き、教会が力強い群れになることができるのではないかと思う

男性と女性の教会での役割は、昔から議論されてきました。
私たちは、聖書の原理を学び、神が自分たちに与えられている賜物を見分けて、
それらを正しく用いることが、何よりも大事ではないかと思います。
ですかから、これが女性の用い方だというステレオタイプのスタイルはないのではないでしょうか。
教会によって、神様の計画があり、賜物の配分が違い、状況が違うからです。
教会は、自分たちに与えられた賜物を賢く見分け、神の秩序の下に正しく用いていく。
このことができていさえすれば、教会は健全に建て上げられ、力強くサタンに対抗する群れになることができるのではないでしょうか。

考察3 未信者を含めた人々に寛容を示す、クリスチャンの生き方について考える
これは、誰にでもいい人でありなさいという命令ではない。

クリスチャンは、のーを言わないお人よしではない

「あなたがたの寛容な心、すべての人に示しなさい」とピリピ4章5節において、パウロは命じています。
この聖句は、信者は、ただのお人良しでありなさい、どんな人も助けなさい、どのような頼み事も断ってはいけないと言っているのではありません。

信者は、「蛇のように悟く、鳩のように従順」でなければなりません。マタイ10:16

なぜなら、この世はサタンが支配している場所であるため、私たちがただのお人良しであれば、悪い人にだまされて、金銭や命までも奪われることになるからです。また、偽教師、にせ信徒に惑わされることになるからです。ですから、悪い遊びに誘う友人や、神を攻撃する迫害者からは離れなければなりません。

では、パウロが言う「すべての人」とはどのような人でしょうか。
それは、真の信者に対し、また福音ついて理解を示す未信者たちです。

未信者であっても、信者を尊敬して付き合う人、福音に興味を示す人です。
これらの人は、キリストに従う信者たちが、困難な中にあっても喜びを持ち、
寛容を示す生き方を見て、キリストを知ることになります。

なぜ、彼らは喜んでいるのか、平安であるのか。
それは、彼らを生かしておられるキリストに、その秘訣があることを、彼らは信者の存在を通して感じ取ります。
これが「キリストを知る知識のかおり」です。
このことを通して、福音が伝えられ、信者が起こされていきます。

困難や迫害の状況が、かえって宣教を進める結果になることがある
このことは、真の信者によってのみなされます。

にせの信者は、真理を保つことで困難が自分の身に降りかかるなら、福音を曲げるか、信仰を捨てるからです。彼らは困難な状況下で、本当に救われる人を起こすことができません。

 しかし、真の信者にとって、迫害や困難な状況が伝道をさまたげることにはなりません。
このような状況が、かえって真の信仰の価値を、人々が認める機会となることがあるからです。

ちょうど、ローマ皇帝が、人々への見せしめに、コロセウムでキリスト者たちをライオンにかみ殺させたところ、信者たちが喜んで死んでいくので、それを見た人々の中から、かえって信者が起こされ、皇帝はこの見世物を止めたことのようにです。

私たちは、パウロのような激しい信仰の試練は与えられない弱い者ですが、
それぞれ、私たちの力量に応じて神から与えられる試練を、神のすばらしさが現われる良い機会となるように歩みたいものです。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?