「神の福音の理解と愛の配慮によって教会を建て上げる/ 神の力によってなされたパウロの伝道/ エルサレムに献金を届け、ローマからイスパニアを目指す」ローマ人への手紙15章

<ローマ人への手紙15章 要約>

14章に引き続き、兄弟姉妹が、信仰の核心的な事柄のために働き、互いの霊的成長のために助け合うことができるために、信者の交わりにおいて、愛の配慮をすることを勧める。

<ローマ人への手紙15章 解釈> 

Ⅰ 教会に平和をもたらすための実際的な配慮

Ⅰ―1経済的に力がある者は、貧しい者、病気の者を助けなさい。
信仰において力ある者は、霊的弱者の成長を助けなさい。
15:1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

  1. 力のない者=神についての知識が不十分な人への配慮
    みことばを解き明かすこと、または預言によって(当時は神が直接人に啓示を与えることがあった。この働きは、今はない。)霊的に成長させる必要がある。
  2. 力のない者=律法主義的クリスチャンへの配慮
    食べ物のことなどの生活についての律法の規定から完全に自由になっていない人。彼らがつまずくような食事をしないこと。彼らと一緒に食事をするとき、彼らが食べれられない物を食べないように配慮すること。
  3. 力のない者=社会的・倫理的弱者に対しての配慮
    社会的・倫理的に低い立場にある兄弟姉妹がつまずかないように配慮すること。
    貧しい者への配慮。彼らの前で、ぜいたくな食事や服装をしない。
    病気の者への配慮。彼らの不自由を思いやる。生活を援助する。
    夫を亡くした婦人への配慮。(経済的援助、生活の援助)
    罪を犯した人への配慮。(悔い改めたらゆるす、罪を責め続けない)

Ⅰ―2他者の利益になることを行え。
15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとお りです。

各人は教会を建て上げるために、自分を楽ばせるのではなく、隣人の利益をはかり、徳を高めるために努める責任があります。キリストもそのようにされたからです。

Ⅰ―3旧約聖書を学びなさい。忍耐と励まし、希望を得よ。信仰を1つにして主を礼拝せよ。
15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

旧約聖書は、後に起こされる信者たちを教えるために書かれました。ですから、私たちが旧約聖書を学ぶことは非常に重要です。聖書から教えられるなら、忍耐、励まし、天国への希望が与えられます。そして兄弟姉妹が信仰を1つにして真の一致を保って、主を礼拝することができますように。
(当時は旧約聖書のみだったが、今は新約聖書も加えられている)

Ⅰ―4異邦人も受け入れて、一緒に礼拝しなさい。
15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。
15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、
15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あ なたの御名をほめ歌おう。」
15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」
15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」
15:12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」

キリストは割礼のある者として生まれ、ご自身がしもべとなって十字架にかかり、ユダヤ人に救いをもたらしてくださいました。それは、神が父祖アブラハムに与えた約束を果たすためであり、また異邦人も神のあわれみによって救われるためです。

旧約聖書には、異邦人が救われ、主をほめたたえることが書かれています。
イザヤも、キリストは異邦人の主であること、異邦人がキリストを信じるようになることを預言しています。異邦人が救われることは、神の永遠の昔からの計画でした。ですから、ユダヤ人は救われた異邦人を兄弟として受け入れて、互いに愛し合わなければなりません。これが主の御心だからです。10-12

ローマ教会に対するパウロの祈り。
15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

どうか、聖霊が豊かに働いてくださいますように。教会に喜びと平和、希望が満ち溢れますように、とパウロはローマの教会のために祈った。

Ⅱ キリストの「みことば」と「御霊」による宣教

Ⅱ―1ローマの教会を信頼するパウロ。14
15:14 私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。

パウロはユダヤ人教会が知恵をもって、教会内のさまざまな実用的・霊的問題を解決できること、そして、互いに訓戒し合って、間違った信じ方、誤った教えから自分たちを守り、正しい信仰を保つことができることを確信していました。パウロはローマ教会を信頼していました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
Ⅱ―2パウロの使命は「みことば」と「聖霊の力」によって、異邦人を救うこと。
15:15 ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。
15:16 それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入                                                                                                                   れられる供え物とするためです。

 パウロには、異邦人を救う使命が与えられていました。
この手紙をローマ教会宛に書いたのも、「神の福音」は何かを確認してもらうためでした。正しく理解して信仰してもらいたいとパウロは願っていたからです。
そのために、パウロは神から任命されて、教会を教える働きをしているのです。

彼が神から任された仕事は、異邦人たちの信仰を整えること。彼らが聖霊によって神と和解し、神に喜ばれる奉仕ができるようにすることです。

Ⅱ―3パウロは主に用いられた器にすぎない。宣教の成果は主がなしたこと。
15:17 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。
15:18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。

 パウロは、使徒の中では、誰よりも多くの人に福音を宣べ伝えた使徒でした。しかし、彼は自分の功績をいっさい誇りません。ただ、キリストにあって誇るとだけ言っています。それは、その働きのすべてが究極的には神がなされたことだと知っていたからでした。

彼は行く先々で、神が奇跡をなされること、神が御霊を注いで人々を回心させることを見てきたからです。彼は、神の働きによって人が救われることを知っていました。ですから、伝道の成果を自分の働きだと言うことはできませんでした。そのため「自分は神がしてくださったことの他はいっさい語らない。」と18節で語っています。神が人々を救ってくださったのです。パウロにではなく、神に栄光が帰せられるべきだからです。

Ⅱ―4主は、宣教のことば、不思議をなす力、御霊の力によって人々を救った。
15:18キリストは、ことばと行ないにより、
15:19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。 

パウロは、10年に満たない年月でエルサレムからマケドニヤ北部のイルリコに至るまで宣教しました。これは交通が不便な当時の状況からおどろくべきことです。

このように驚異的な働きができた理由は、神がなされた宣教だったからです。

パウロのことばも行いも、究極的には主が彼に与えてさせたものです。また、宣教にともなうしるしや奇跡、聖霊の働きによって、人々が救われました。パウロはこの神の働きを目撃してきたのです。
ですから、彼は宣教の成果は自分の働きではなく、神の力によることだと証言しています。
今の時代の宣教もこの原則は変わりません。私たちは伝道しますが、究極的に人を救うのは神です。神の力が働かれる時に、罪びとの心の目が開かれるのです。このことを覚えて、自分に関する責任をしっかりと果たした上で、神に頼って伝道に関わって行きたいと思います。 

Ⅱ―5パウロは、人々が述べ伝えなかった地域に伝道した。
15:20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。
15:21 それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」

 神のみわざによって、エルサレムからイルリコに至るまで福音がくまなく述べ伝えられました。
パウロは「他の人が建てた土台の上に建てないようにした」と言っています。
他の人が労苦して得た実(救われた人、開拓した教会)を、自分が奪うようなことにならないように配慮したということです。

未開の地への伝道は、異邦人の使徒としてのパウロが望むことでした。
まだ一度もキリストを聞いたことがない人たちに、福音を知らせたいと願うパウロの熱心から出たことでした。

Ⅲ パウロの伝道旅行計画

Ⅲ―1パウロの伝道旅行計画 ローマからイスパニアへ行きたい。 
15:22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、
15:23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたの で、
15:24 ――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいる からです。――

 この地方(イルリコに至るローマ帝国東部)に福音を広めて、自分の働きは十分果たしたと判断したパウロは、次にローマへ、そしてイスパニア(今のスペイン)に福音を伝えようと計画します。

パウロはローマを訪れることを長年希望していましたが、今までアジヤ地方の伝道に忙しくしていて、何度も訪問を妨げられていました。しかし、アジヤ地方での成果によって、開拓した教会を自立させて、自分の働くべき所がなくなったと言えるようになった今、彼はそこで安住することなく、次の未知なる世界に伝道しようと計画します。

Ⅲ―2まず、献金を届けるためにエルサレムに行く。
15:25
ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。
15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。
15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたの ですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 しかし、ローマに行く前に、エルサレムにいる貧しい聖徒たちに、マケドニヤとアカヤ地方の教会から集めた献金を届けに行くことになっていました。

(献金を集めた動機)

  1. 異邦人はユダヤ人から霊的な賜物を受けた。だから物質的賜物によってお返しをするべきである。

(献金の目的)

  1. 経済的に困窮するユダヤ人キリスト者を助けるため。
  2. ユダヤ人教会から霊的な祝福に預かったことの感謝を現わすため。
  3. 異邦人教会とユダヤ人教会の間に良い関係を築くため。
    当時、律法の慣習を守るユダヤ人教会には異邦人教会に対する差別意識がありました。異邦人教会から助けられることによって、ユダヤ人教会が異邦人教会の霊的成長を認め、より親密な関係になることをパウロは期待したのではないでしょうか。

Ⅲ―3エルサレムを訪問して後、ローマであなた方と会い、そしてイスパニアへ行く計画。
5:28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。
15:29
あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

エルサレムへ献金を届けた後、ローマに行き、教会の人々と会って、それからイスパニアへ行く計画を立てました。
パウロはこの旅行の成功を信じています。エルサレムへの献金の奉仕の成果をローマの教会の人々に報告できるだろうと信じていました。          

Ⅲ―4私が危険から守られるように祈ってほしい。
15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。
15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。
15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

 しかし、パウロには大きな不安がありました。エルサレムにはパウロを憎むユダヤ教信者がたくさんいたからです。また、異邦人に奉仕するパウロを喜ばしく思っていないユダヤ人キリスト者がたちいることも知っていました。

パウロにとって、エルサレムに行くことは死の危険をともなうことでした。
それで、自分のために祈ってほしいとローマの人たちに切に願っています。
この祈りの要請にパウロの必死な思いを感じます。本当に危険なミッションであったことがわかります。

命の危険を冒してまでこの献金のわざを成し遂げたかったのはなぜなのかといつも思います。もし、パウロがエルサレムに行っていなければ、イスパニヤ方面へも宣教が進んでいたであろうと残念に思います。しかし、彼の計画は神から発したことであって、神の計画を成就するために、神がパウロに行わせたことだったのでしょう。
パウロは、ローマの教会に霊的一致と愛の交わりによる平和が与えられるようにと祈っています。

 

<ローマ人への手紙15章 考察>

考察1 兄弟姉妹が、正しい「神の福音」理解持ち、信仰において一致することが何よりも必要。これがなければ、健全な教会は建ち上がらない。

考察1-1パウロは「神の福音」教会に思い起こさせた。

パウロは、神の福音により祭司の務めを果たしていると言っています。

パウロの書いた手紙は、諸教会に神の福音を思い起こさせるためであったのです。神についての理解において諸教会を一致させることが、パウロが一番苦労したことでした。

考察1-2キリスト者の一致は、神についての知識の一致からはじまる。

キリスト者の一致は、その神の福音を聖書から学び、神についての正しい理解に達し、信仰において一致することなしには成り立ちません。

いろいろな信じ方があるのではありません。使徒たちは神についての理解において一致していました。新約聖書を読むならば、彼らがどのように理解していたかがわかります。パウロはこのことを良く理解していました。ですから、彼は諸教会の信仰を正すために、努力を惜しみませんでした。

考察1-3自分の考えをいったん脇に置いて、聖書から教えられるなら「神の福音」を知ることができる。その福音を生きる。これがクリスチャンの生き方。

聖書は何と言っているか?このことを第一としていくならば、必ず1つの福音理解に達するはずです。これがパウロが言う「神の福音」です。

この福音において一致すること。時代によって変わる価値観に左右されず、この福音を握って離さず、この福音を生きること。これがキリスト者に求められていることです。 

考察2 伝道は「人間のわざ」ではない。それは「神のわざ」。

 考察2-1パウロは、伝道は神によってなされたと証言した。

パウロは、エルサレムで始まった宣教を、アンテオケからアジヤ、ギリシャ、最後にはローマにまで広めた使徒でした。ユダヤ人キリスト者、異邦人キリスト者を多数生み出し、数々の教会を建て上げた宣教師でした。

その彼が、私の伝道はすべて神の力によって、神が成し遂げてくださったことだと証言しています。このことは驚きです。

考察2-2パウロは、自分の意志に反して、神の恵みによって救われた。

パウロは、自分が神の恵み(価ないものに与えられた祝福)によって救われ、伝道の働きに召されたことを知っていました。すべては神が始められ、神のご計画にそって自分が用いられていることを理解していました。

考察2-3パウロは、神の働きによって救われていくのを見た。

また、伝道するとき、神の不思議な力が働いて奇跡が起き、聖霊の力ある働きによって、人々の心が一新されることを目撃しました。ですから、彼は、人の魂の救いは「神のわざである」と断言することができたのです。

考察2-4私たちもパウロと同じ考えを持って伝道するべき。
神のわざによって救われる人、つまり聖霊によって新生した人を集める伝道を目指すべき。

パウロが宣教は神のわざであると確信していたなら、私たちもパウロと同じ確信に立たなければなければなりません。パウロは神によって召された使徒であり、パウロから私たちは神の真理を学ぶことができるからです。

ですから私たちは、伝道の際に、自分の側の役割を果たした上で、神のみわざによって救われる人が起こされることを期待するべきです。
つまり、聖霊が人の心を一新することを祈り、聖霊によって新生した人を集める伝道です。

異言を出したり、信じる決心したら新生するのではありません。
自分からではない、神からの不思議な働きかけがあって、自己中心が神中心に変えられる心の一新です。今までと心が全く変えられる経験です。

考察3 エルサレムへの献金の奉仕について考えた。

考察3-1殺されるかもしれないことを承知の上で、エルサレムに向かったパウロ。

パウロは異邦人の地に住むユダヤ人たちに、律法を守らなくていいと教えていると、ユダヤ教徒たちから反感を買っていました。また、エルサレムにいるクリスチャンたちは、律法に熱心な人たちで、パウロの信仰を批判する人が多くいました。

考察3-2周りの人が反対しても、エルサレムに行く意志が固かったパウロ。
神が彼の心を、そのように定めておられたのであろう。

しかし、パウロの決意は変わりませんでした。使徒行伝には人々が何度もパウロに警告してこの旅を止めさせようとしたことが書かれてあります。やはりこれは、神様のご計画であったからなのでしょう。神はパウロにエルサレムに行くことを望まれたのでしょう。

考察3-3保守的なユダヤ人教会指導者たち。彼らはパウロを助けなかった。

ユダヤ人教会の指導者たちでさえ、ユダヤ主義的クリスチャンの立場をとっていました。律法を守り、パウロのように確信をもってユダヤの習慣を破ることはできませんでした。当時の状況を考えると、この立ち場を取らなければエルサレムでは教会の指導者として立つことは許されなかったであろうと思われます。

パウロが献金を渡した時も、指導者たちは彼を安全に非難させるのではなく、パリサイ派の人にも理解してもらえるように、神殿で律法の儀式を守るように提案しました。この提案が、人々にさらに反感を抱かせる結果になりました。神殿に異邦人信者を連れ込み、神殿を汚していると思われたからです。

エルサレム教会の指導者たちが、パウロと反対者たちとの争いをとりなした行為は一切記録されていません。彼らはただだまって見守るだけでした。彼らの考えの甘さ、信仰の弱さを知らされます。

考察3―4エルサレムへ献金を届けたために捕まった。しかしローマまで安全に行けたし、処刑までは身の安全が保障され、比較的自由が与えられえた。

異邦人教会の成長を知ってもらうための奉仕であった。

ただ、この奉仕が経済的な援助のためだけではなかったことは明らかです。
エルサレム教会は貧困の中にありましたが、それ以上に異邦人教会も貧しかったからです。彼らは、ありあまる中からではなく、乏しい中から精一杯の献金を集めたのです。

この献金の一番重要な目的は、ユダ主義クリスチャンたちに、パウロの神学を認めさせることと、異邦人教会の霊的成長を認めさせることではなかったのでしょうか。

パウロは異邦人に律法の慣習を守らなくてもいいと指導していたので、ユダヤ教の慣習を守る信者の中には、パウロの神学に反対する者もいました。

そこで、ユダヤ人教会を助けるほど霊的に成長した異邦人教会の献金を、彼らに届けることで、彼らの誤解を解こうとしたのではないでしょうか。
そのためにも、エルサレムに行くことは非常に危険であることは知っていても、パウロが届ける必要があったのでしょう。

その結果パウロは捕まってローマへ移送された。
エルサレムで捕まったパウロは、囚人としてローマに移送されました。しかしかれは、ローマの市民権を持っていましたので、手荒い扱いはなかったと思います。ローマでは、法定で高官たちに福音を弁明する機会が与えられました。また、幽閉されることで、身の安全が確保されました。幽閉されていても、人々は彼の家へ自由に出入りすることができました。それで、ローマの人々や、信者たちを教えたり、手紙を書くことができました。

考察3-6ローマで、パウロの長く苦しい働きは終わった。
彼は、待ち望んでいた天の安息に入れられた。

パウロはローマで処刑されました。イスパニアへ行く計画は実行されることはありませんでした。神は「ここまでで良い」と彼の働きに終止符を打たれたのでしょう。

死はパウロにとって長年の願いでもありました。彼は、以前、生きたまま天に引き上げられ、天の栄光を見せられていたからです。神は、ローマでパウロを天の安息に入れました。

考察4 祈りについて教えられること。30-32

考察4-1パウロの祈りは神に聞き届けられなかった。

パウロは、エルサレムでの奉仕を終えてから、ローマに行き、さらに、イスパニアへ伝道したいと願っていました。パウロの切なる祈りの要請、力を尽くした祈りにもかかわらず、神はパウロを違った方向へと導かれました。その結果彼は、エルサレムで捕えられ、囚人としてローマへ移送され、ローマで処刑されました。

考察4-2イスパニアへは行けなかったが、
時代を超えて世界中に福音を伝える結果になった。

パウロの功績は、広い地域に伝道をしたことと、キリスト教の教理を確立したことです。彼の書き残した手紙によって、私たちは感謝に尽くせないほどの恩恵を受けています。パウロが解き明かした神の真理こそ私、たちが信じるべき信仰の基準です。神は、それをパウロに書かせて、後世に残すという仕事を彼に与えました。そして彼は新約聖書の多くの書簡を書き上げました。パウロの書いた書簡を通して、当時の人々だけではなく、今に至るまで、全世界の人々に、神の福音は語り続けられています。そしてこれから後もそうなのです。彼はイスパニアへ行くことはできませんでした。しかし、それよりもさらに広い世界に、時代を超えて福音を伝え続けることができたのです。

考察4-3祈りが聞かれなくても、神の考えは正しいことを覚えよう。

このように、たとえ良いと思われることであっても、人の祈りはその通り実現しないことがあります。神のお考えは私たちの理解をはるかに超えて高いからです。ですから神の国の益のために、私たちの考えとは違った道へ導かれることがあるのです。その時には悲しく思われることもあるでしょう。しかし後になって、あの時に、自分の願い通りにならなくてよかったと言えるようになるのです。このことを覚えて、自分の願いが否定される状況にあっても、主の導きに従っていきたいと思います。

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