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信仰義認

  • 2023-03-24
  • 2023-05-12

「行いによるのではなく、信仰によって義とされる」ローマ人への手紙3章

人間の不信実と神の真実、信仰による義認 この章では、人間の不真実と神の真実、すべての人は罪人であること。行ないによって、義とされないこと。信仰によってのみ、義とされることを説明します。 <ローマ書3章 解釈> ユダヤ人も異邦人も公平にさばかれるなら、ユダヤ人には特権はないのか? では、ユダヤ人のすぐ […]

  • 2022-05-16
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇16章「この教理を擁護する」

16:1信仰によって義とされる教理は、善い行ないを廃することにはならない 「信仰」と「良い行い」は結びついていなければならない。 カトリックは行いがなければ信仰もないと教えるが、私たちは信仰が良い行いを生じさせると考える。 カトリックは、義とされる信仰には行ないが必要だと教える。しかし私たちは、義と […]

  • 2022-05-14
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇14章「義認の始まりとその継続する発展(聖化)について」

14章:2 信仰のない者にも神の恵みとして美徳が宿る場合がある 私は「不信仰の者が持つ美徳が、神の賜物ではない」とか、「正と悪に違いはない」というほど非常識ではない。私は正義と悪は大変違うことを認める。なぜなら信仰のない者が行う義と悪の間にさえ、大きな違いが現れているからである。 信仰のない者の善行 […]

  • 2022-05-13
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇13章「価なしの義認において心得るべきこと」

神の栄光を守らなければならない 自分の持っている知恵、富、力を自分の者として誇る権利はない。 それは神が与えたものである。もし自分のものとして誇るなら、それは神の栄光をそこなうことである。 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。 […]

  • 2022-05-12
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇12章「価なしの義認」

12章2:神が正しいとする義について考える 人間の視点からではなく、神の視点からの義について論じる。 「人は神の前に義であることはできない」という結論に達する。主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。詩編130:3 12章2:人には義と見えても、神にはそうでは […]

  • 2022-05-11
  • 2022-06-14

キリスト教綱要3篇11章「信仰義認とは何か?その定義」

11章2:行いによる義認と信仰義認のちがい 「行いによって義とされる者」は、完全に聖い行いによって神を満足させなければならない。 「信仰によって義とされる者」は、キリストの義を着ることによって、罪人でありながら神に義人と見なされる人である。 11章3:信仰による義認は、どのようになされるか? キリス […]

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?