要約
ダビデ王は年老いて老人になった。そこで、後継者争いが始まる。
ダビデはソロモンを王とするつもりであったが、
ダビデの2男アドニヤが、ソロモンをしおいて王になろうとした。
彼はエン・ロゲルの泉にダビデの兄弟たち、ヨアブ、祭司エリアブ、ユダの兵士たちを招待し
イスラエルの王として捧げ物をし、祝宴を開いた。
その同じ日、神は予言者ナタンをバテシャに遣わし、ソロモンを王とするように嘆願させた。
王はソロモンを自分の雌馬に乗せ、祭司ツァドク、予言者ナタン、
エホヤダの子ベナヤの3人を伴わせ、エルサレム郊外のギホンの泉で、彼に油を注ぐ。
ソロモンたちがギホンからエルサレムに入城する中、群衆が集まりソロモンを祝福する。
そして、王の寝室まで来る。王はソロモンを祝福し、彼を礼拝した。
この騒ぎを聞いたアドニヤたちは恐れおののき、命乞いをする。
ソロモンは寛大に扱い、アドニヤを殺さなかった.
ソロモンとアドニヤから教えられたこと
王は、神に油注がれた者、神に選ばれた者しかなれない。
人間の願いや、計画によっては王になることはできない。
アドニヤには油注ぎがなかった。
彼は自分の願いから、巧妙に計画を練って王になろうとした。
しかし、神が定めた王ではなかったので、その計画は失敗に終わった。
「油注がれる者」とは、神に愛され、神に王として選ばれた者のことである。
神は、ひそかに王を選ばれる。神の油注ぎは隠れたところでなされる。
アドニヤは、主だった人々の前で、王らしく振る舞うことによって、王になろうとした。
生け贄を盛大に捧げることで、王としての資格を示そうとした。
ソロモンは、たった3人を伴って、誰にも告げず、ギホンの谷に行き、油注ぎを受けた。
神に選ばれた王を、人々は知るようになる。
ソロモンがエルサレムに入城する途上、人々は集まって来て、大喜びでソロモンを祝福した。
油注がれた者を民は見逃さない。そのことは必ず人々が知るところとなる。
適応
クリスチャンになること、新生することは、主に油注がれることである。
聖霊の油注ぎを受けることである。これは、神が定めた人にだけ与えられる。
この油注ぎは、ソロモンやダビデがそうであったように、
多くの場合、1人静かに神に対している時に、与えられる。
その結果、その人が新生したことを、自然と教会員達が認めるようになる。
ソロモンを人々が認め集まってきたのと同様である。
そして、教会は彼の新生を祝い、洗礼を施す。
ソロモンを皆が大喜びで迎えたのと同じである。
アドニヤは策略によって、王になれると思った。これが間違いだった。
完璧な計画、お膳立てを整えれば、民が王として迎えると考えた。
しかし、彼を立てることは神のご意志ではなかったため、彼は失脚した。
クリスチャンも同様である。礼拝出席、献金、振る舞いなど、
外側だけを整えても、クリスチャンにはなれない。
神の油注ぎを受けること、内側から新しくされることが全てである。
聖霊の内住を受けて、新しい歩みを始めることが全てである。