第1列王記3、4章「知恵を求めたソロモンと王国の繁栄」

要約

ソロモンの夢に神が現れ、「何が望みか」と聞く。
ソロモンは、自分のために長寿や富を求めず、民をさばくための知恵を求めた。
このことは主の御心にかない。主は知恵を与えるだけではなく、彼に富と名誉も与えると約束する。
彼が神に従って歩むなら、彼の王国は絶えることがないと約束された。
人々は、神が彼の内にあってさばきをするのを認めた。

ソロモンのうわさを聞いて、外国からも、人々が彼の話を聞きに来るようになった。

教えられたこと

1.私たちは神の知恵を求めるよりも、まず「この世の知恵、富、祝福」を求める。
私たちが、神に求めるものといえば、お金や仕事、健康などである。
そして、それらの願いがかなえられない時には神をのろい、神はいないと結論する。
たとえ、求めるものが与えられたとしても、これらは、ちょっとしたきっかけで、一瞬にして消え去るものである。
たとえば、もうけ話にだまされて大金を失う、家庭を築き子供ができても離婚するなど
、結局のところ、変わらず自分を守ってくれるものではない。

 

2.神の知恵をいただくことが初めである。これ無しの祝福は一時的でいつか消滅する。
ソロモンが求めた「知恵」は、この世の「処世術」とか「学力の高さ」ではない。
彼が求めた者は「神の知恵」であった。神を知り、愛し、神に従う中で、与えられる知恵である。
神は全知であって、全ての人の思い、過去、現在、未来を知っておられる。
その方が啓示される知恵は、この世の知恵をはるかに勝ってすぐれている。
そして、それに信頼する者を失望させることがない。
しかし、この世の知恵は私たちの期待をうらぎる。

 

3.神の国と神の義がこの世に現れることを願う信仰、
つまり自己中心ではなく神中心の信仰を確立することが一番重要である。
この世のことは、神が面倒をみてくださる。

この世の祝福を求める信仰は、失望に終わる。
人は、神が自分の必要を満たしてくれるなら、信じると言う。しかし、これは順番が逆である。
神の国、神の義を求める信仰、つまり神を最上の宝とする信仰、
救われる信仰を持つことが緊急で第一に必要なことである。

そうすれば、神がこの世のことは面倒を見てくださる。
ソロモンが神の知恵を求めたので、神が彼に知恵だけではなく、繁栄を約束されたことと同様である。
また、このように信仰を持つ者は、神が与えてくださる分で満足する。

金持ちたちが、有り余る財産を得ても、決して満足しないようなことにはならない。

4.神によって知恵を授けられた人を、人々は認める。信頼する。
確かに、ソロモンの内に神がおられ、さばきをおこなっておられることを、
イスラエルの民は見て、認めた。そして彼に恐れを感じた。彼を尊敬した。
神の知恵に満たされた人を、人々は認める、信頼するようになる。

ソロモンの知恵を聞くために、外国から人々が訪問してきたように、
私たちも、神の知恵に満たされる時、それはつまり、神の義を求める信仰を持つことであり、
神を一番の宝とする信仰を持つことであるが、、、
その時、人々は私たちの内に働く神を認め、助言を求めに来るようになるであろう。

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