第1列王記9章1-9節「ソロモンに神が語られた約束」

神がソロモンに語られたことばから

神はソロモンが建てた宮を、他の神々の宮からは区別された。ご自身の宮とされた。
この宮に向かって祈る民の願いを、特別に扱われるためである。
聖句

「あなたがわたしにの前に願った祈りと願いをわたしは聞いた。
わたしは、あなたが私の名をとこしえまでも置くために建てたこの宮を聖別した。
わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」3節

ソロモンの時代、神殿に向かって祈りが捧げられた。
神殿に向かって祈ることは、彼らをエジプトから連れ出した神、
天地創造の神に祈ることであった。

そして、神は神殿に向かって祈る祈りに目を注ぎ、心にかけると約束された。
つまり、その祈りを特別に扱い、祈る者の願いを叶え、守ろうというのである。
なんという素晴らしい約束であろうか。

私たちが神の宮 神は私たちを聖別し、祈りに心に留めてくださる
現在イスラエルに神殿はない。それは戦いによって破壊された。
しかし、神は聖霊を信者に与えられ、聖霊を宿す信者の体をご自身の宮とされた。

ソロモンに語られたように、私たちが祈る祈りに目を留め、心に置くと言われるのである。

 

神の定めと命令を守る限りにおいて、イスラエルの国の繁栄は続く。
しかし、神を捨て、他の神々を拝み、仕えるなら、たちまち滅び、宮も廃墟となる。
神がイスラエルの民に特別な配慮をして王国を永遠に続くものとしようとの約束は、

王は民が神に対して忠実である限りであった。神は彼らの不信仰を知っておられた。
だから、ご自分を捨て他の神を拝んだ場合についても詳細に語られた。
彼らは、きっと自分たちはそのような愚かなことにならないと思ったであろう。
しかし、ソロモンの時代にすでにその兆候は始まるのである。

聖書に啓示された神から離れるなら祝福を失う
私たちも同様である。聖書に書かれた戒めを守らず、聖書に現わされた神を捨てて、
他の神々を拝み仕えるなら、イスラエルと同様の結果となる。

この世において、心に平安がなく、苦しみ、最終的には、天国に入れないことになる。

真の神から彼らを引き離すものは、他の神々への宗教行為であった(偶像礼拝)
この当時、神礼拝に伴う飲食やお祭りが人々の最大の娯楽であった。

日本でも、収穫の後の「秋祭り」や「だんじり」を人々は待ち望んで参加した。
そして他の神々への礼拝は、人間の肉欲を満足さることを礼拝の行為としている。
たとえば、神殿男娼、神殿の娼婦がいた。彼らと寝るための部屋さへ用意されていた。
フリーセックスができ、これが礼拝の行為であって、罪ではないのである。
なんと都合の良いことであるか。
このように、儀式化しなくても、祭りにはいつも敗退的
な行為がゆるされる雰囲気がある。
そして、人々はこれを好む。だから、他の神々に心引かれ、真の神を捨てることになった。

ソロモンもその1人であった。神は彼の祈りを聞き、彼の王国を確かなものにされていた。
しかし、彼はそばめたちの拝む神に魅了されていった。
神が何度も彼を戒めたが、彼は悔い改めなかった。
神は
ダビデとの約束ゆえに、彼の存命中に王国を滅ぼすことはしなかった。
しかし彼の死後、王国は分裂し、バビロン王国に滅ぼされてしまう。

私たちを真の神から離すものは何か?それはイスラエルのように他の神を拝むことではない。
神よりも自分を満足させる、さまざまな娯楽である。
今の時代は、宗教行事が人々の一番の娯楽ではない。

今は、祭り以外に多くの娯楽がある。たとえば、ゲームや映画、スポーツ、コンサート
などである。ある人はワークホリックになるし、ギャンブルにはまる人もいる。
これらを楽しむために、多くの時間とお金が費やされる。

また、ある人は性欲を満たしたい為に、アダルトビデオ、ガールズバー、ホストクラブ、
女の子を紹介してくれるカフェなどに通う。最近はサービスが多様化し充実している。
これらが無ければ生きていけない。自分の人生で一番大切なものである、
神よりも自分を満たしてくるものであると、あなたが思うなら、
それはあなたにとって偶像になっていると言える。

あなたがもし、真の神の内に本当の満足を見いだすことができないなら、
あなたもソロモンやイスラエルがたどった道をたどることになる。

これらの偶像は、最後まで変わらずにあなたを満足させることはできない。
神を喜びとすることができた人は幸いである。彼ら決して失望させられない。
天国は彼らのものである。

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