第2列王記15章、第2歴代誌26章「ユダヤの王、アザルヤ=ウジヤの生涯、彼が高ぶった時不治の病に冒された。命の決定権は主にあること、主を第一に頼って生きることを学んだ。」

アマツヤの子「ウジヤ」ユダを52年間治めた。

アマツヤの子ウジヤは16歳で王になり、エルサレムで52年間王であった。第2歴代26:1-3、第2列王15:1-2

彼を教えるザカリヤが存命中は神を求めた。神は彼を栄させた。

  1. ウジヤが神を求めていた間、国は栄えた。それで、彼の兵力は並外れて強くなった。2歴代26:5
  2. ペリシテ人の町々を攻略した。アラビヤ、アモン人も従わせた。ユダは並外れて強くなった。2歴代26:6-10
  3. エルサレムの城壁を強固にし、牧畜、農業を発展させた。2歴代26:10、
  4. 36万7千5百人の強力な戦闘部隊をもっていた。2歴代26:11-14
    盾、やり、かぶと、よろい、ゆみ、石を用意した。
  5. 彼は、最新鋭の兵器を造らせて使用した。彼の名声は遠くの国々にまで鳴り響いた。2歴代26:15

ウジヤの名声は鳴り響いた。その時、彼は高ぶった。

  1. 国が強くなった時、ウジヤの心は高ぶり不信仰の罪を犯した。2歴代26:16
  2. 祭司の権威を得ようとして、神殿に入り香を焚こうとした。
    それを祭司アザルヤと他80人の祭司たちが彼の前に立ち塞がって止めようとした。
    彼が祭司たちに怒りの思いを持った時、突然彼のひたいにツァラアトが現れた。
    主が彼を打たれたからであった。2歴代26:16-20

彼は神に打たれた。死ぬ日までツァラアトに冒された。

  1. 彼は、死ぬ日までツァラアトに冒され、人里から離れて住んだ。主が彼を打たれたからである。2歴代26:21、第2列王15:5
  2. ウジヤの子ヨタムが国を管理し、人々をさばいた。2歴代26:21

神の定めより、自分の定めを優先した。これがウジヤが犯した罪。私たちは神の定めを犯さない者でありたい。

国は栄えたとき、ウジヤは高ぶった。祭司の権威を持とうとした。これは、主に対する重大な罪であった。
だから、主は彼を止められた。彼は不治の病になった

ウジヤが主を求めていた間、主は彼を祝福して国を栄えさせた。彼の兵力は増し加わり、領土は拡大した。
最新鋭の兵器を開発し、敵を打ちのめした。彼の名声は遠くまで鳴り響いた。

これらの繁栄は、彼が神に従ったので、彼のために神が成してくださったことであった。しかし、ウジヤは高ぶった。
祭司は、神の言葉を王に取り次いだ。王の上に権威を持った。王は祭司の助言に従う立場にあった。
しかし、高ぶったウジヤにはこのことが気に入らなかった。
王の上に権威があるべきではない。王が全てにおいて最高の権威を持つべきであると考えた。
神は、祭司の務めはアロンの家系かレビ族でしか務めることができないと定めておられた。
しかし、すぐれた
王である自分は、特別であると、神殿に入り香を焚こうとした。

このことを神は非常に怒られた。これは彼が絶対に冒してはならない罪であった。
なぜなら。これは、神よりも高い権威をウジヤが持つことを意味したからである

彼の心の高ぶりが頂点に達した時、神は彼を打たれた。彼をツァラアトで冒し、彼の権威を取り去った。どんなに名声をほしいままにした人であっても、神の前には虫けらに過ぎない。彼は一瞬にして転落させられた。そして、死ぬまで、孤独な人生を歩ませられた。
しかも、神は彼の治世を長くして、その苦しみを増し加えられた。(52年の治世)

私たちも、主の定めよりも自分が正しい思うことに従って行うなら、ウジヤと同じ罪を犯すことになる。
主は、そのことを喜ばれない。主は忍耐深く私たちを導びいてくださる方であるが、時にはきびしく戒める方でもある。
主に対して犯す罪は重い。このことを覚えておきたい。

人の命は主の手の中にある。人を生かし、病に伏させ、死を迎えさせるのは主である。

私たちは、医学や科学技術の進歩が私たちの命と安全を守ってくれるのだと考えます。
しかし聖書を読むと、神が私たちの命の決定権を持っておられることがわかります。
神は、ご自身を敬って従う者に祝福を与え、ご自身の定めに聞き従わず、己を誇り、主に頼らない者の祝福をひかえられます。彼らを病気や貧困などのさまざまな方法で悩ませておられます。

私たちは命に関して、まず第1に主に頼ることを知る必要があります。
そして、必要であれば医者の治療を受けることです。医療は神が用いられる道具です。
この順番を間違えてはいけません。

クリスチャンにとって「死」は「天国への入り口」です。
主を信じたときに、永遠の命、もはや死ぬことのない命が約束されたからです。

人を1日でも長生きさせることが、今の治療の目的です。
しかし、果たして長生きするだけが、幸せな人生でしょうか。
人生の、幸、不幸は、長さとは必ずしも比例しません。その人らしく充実した人生を送ったかどうか、その人が神から与えられた使命を果たしたかどうかが、幸せを決める
からです。

最近は、「人生100年」と言われます。この言葉は、私たちが皆、100年間生きることができる時代になったと思わせます。しかし、だまされてはいけません。あなたの命は明日取り去られるかもわからない、頼りないものです。そして、高齢になるほど、この世が与えてくれた楽しみを味わうことができなくなります。体力が衰えて、旅行に行けなくなり、グルメも以前のように楽しめなくなります。自分の死期が迫っていることにおびえ、できなかったことを後悔し、孤独に生きる人が多くなります。

ところが、死期が近づいても、クリスチャンには希望があります。
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは。すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として使者の中からよみがえられました。」1コリント15:19~20
クリスチャンが抱く希望は、実際に復活されたキリストの約束にもとづいています。キリストは死んで復活されました。キリストを信じる私たちも、キリストと同じように、死んでも復活して天国で永遠に生きることができるのです。あなたも、この幸いな希望を持つ者となってください。

神との平和を持っているかが人生を決定する。その平和を実現できるのは主イエスのみ。主イエスへの信仰をもっているかが、人生で一番重要である。

あなたが、もしキリストを信じていないのでしたら、あなたは神の怒りの下にあります。
なぜなら、この世界を造られた方は、キリストだからです。神は、私たちに聖書を残し、キリストをこの世に生まれさせ、死んで生き返らせ、キリストこそ神であることを証明しておられます。これ以上、どのような証拠が必要でしょうか?
神との平和を持つことが、人生の幸不幸を決定する一番重要な要素です。ウジヤの生死を神が決められたことを、私たちはこの章で知りました。天地を造られた神は、1人1人の人生を創造し導いておられます。ですから、神との関係が断絶していることは、人生のナビゲーターを見失っていることになるのです。

しかし、今から約2000年前、私たちが神と和解する道が備えられていたのです。
キリスト・イエスが、私たちと神との仲介者となり、神との平和を持つことを可能にしてくださったのです

私たちは、神の忍耐に終わりがあることを、聖書から学んできました。あなたに対する神の忍耐がいつ終わるか、誰にもわかりません。だからこそ、信じていないなら、今日、キリストを信じて、神との平和を得てください。また、救いについてよく知らないで信じた人は、神との平和をまだ持ってい可能性があります。
ですからこの機会に、ぜひ自分の信仰を吟味して、主イエスに従う人生を歩んでください。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?