エリヤがエリシャの見ている前で、生きたまま天に上げられた。2列王記2章
- エリヤが天に挙げられる日が来た。エリシャはエリヤを離れずついていった。
エリヤはエリシャにとどまるように言ったが、エリシャは「決して離れない」と言ってエリヤについて行った。 - ベテルでも、エリコでも預言者たちは、エリヤが「今日天に上げられる」ことを知っていた。
- ヨルダン川に来た時、そこに50人の預言者が離れて立ち、2人を見守った。
エリヤは外套で水を打って、川の水を両側に分け、2人は川を渡った。 - エリヤはエリシャが見ている前で、天に上げられた。
2人が歩いていると、火の戦車と馬が現れて、2人を分け隔てた。そしてエリヤはたつまきに乗って天に上っていった。 - エリシャにエリヤの2倍の力が宿っていた。
エリシャは自分の外套を裂き、エリヤの外套を拾い上げて戻ってきた。彼がエリヤの外套でヨルダン川を打つと、水が分れた。 - エリヤの死体を探したが、見つからなかった。
預言者たちはエリヤの死体を3日間探し回ったが、見つからなかった。 - エリシャは奇跡をするようになった。エリコの水を飲めるようにした。
これらの事の後、エリコの住民が水のことでエリシャに相談する。水が悪いから流産するというのだ。エリシャは塩を水源に投げ込み、「主が水を良くされた」と言った。その通りになった。 - ベテルで子供たちがエリシャをからかった。エリシャがのろうと熊が子供を引き裂いた。
ベテルに行くと、子供達がエリシャを「はげ頭」と言ってからかった。エリシャが彼らをのろうと、2頭の熊が現れて、42人の子供達を引き裂いた。
考察
考察1、神は、エリヤの昇天に際して、多くの証人を立てられた。その理由は何か?
1、神は、信者を生きたまま天に引き上げることを、後の世代に知らせるため。
エリヤの昇天から、携挙も文字通りに起こると信じることができる。
エリヤが昇天したのだから、エノクが挙げられたことは、本当であった。また、信じがたいことですが、世の終わりに、信者たちが生きたまま上げられる「携挙」も、本当に起こるでしょう。
<エリヤが生きたまま上げられた証拠>
・ エリヤがいつどこで昇天するか、他の預言者たちは、前もって知らされていた。そして、その預言通りになった。
・ エリヤの目の前でエリヤは天に昇っていった。(エリシャの目撃証言)
・ 50人の預言者たちが3日間エリヤを探したが、見つけられなかった。
預言者たちでさえ、信じられなかったのです。そして確かな証拠を求めたのです。このことがかえって、聖書の記述が真実であると思わせる要因になっています。これらのことから、エリヤが昇天したことは確実です。そして、私たちも生きたまま挙げられることは、ありうることだと信じることができます。
2.エリシャがエリヤの真の後継者であると人々が認めるため
預言者たちは、預言通りに事が起こったことを聞いて、異論無くエリシャをエリヤの後継者として迎えたと思われます。また、エリシャがエリヤの外套を身につけていたことも、そのしるしとなったでしょう。
3.エリシャが起こした奇跡は彼がエリヤの2倍の力を受けた証拠
エリシャは、エリヤと訪ねた同じ町を通って帰っていきました。その町々で行う奇跡を見て、人々は、エリシャがエリヤの力を継承していることを知ることができました。
・ 預言者たちが見ている前で、ヨルダン川を分けて渡った。
・ エリコでは、人々が水を良くしてほしいと願いました。エリシャは、簡単に彼らの問題を解決しました。
・ ベテルでは、彼をのろった子供達が、熊に裂かれました。
考察2、エリシャをからかった42人の小さな子供達がm熊にかき裂かれた。このことをどう理解すれば良いか?
この当時、人々の信仰が堕落して、主の預言者に対して尊敬の思いを持たなくなっていた。つまり、預言者の語ることばをないがしろにしていたと思われます。大人達のこのような姿勢が、子供達の態度にも現れたのでしょう。彼らは大胆にも、エリシャを罵倒しました。子供達を殺す預言者なんてありえない、不道徳だ、だから聖書は間違いが多いと言わないでください。主は、この出来事によって、神を敬わない民に対して警告を発しておられるのです。事実、この事を知ったサマリヤの人々は震え上がったと思います。そしてエリシャに授けられた権威を認め、彼の預言を重く受とめるようになったと思います。
考察3、主の働きのための後継者は、主が選ばれた人を任命しよう。人間の情や義理で決めてはならない。
人には弱さがあり、1人の人がする仕事には限界があります。そこで神は、次の働き人を立てて、ご自身の仕事を引き継がせます。エリヤの次にエリシャが立てられたように、私たちの働きを継続するために、神は次の後継者を起こされます。
神の霊が下り、預言者が起こされます。エリシャが後継者となったとき、人々は、彼に主の霊がとどまっていることを認めました。人々は彼が起こす奇跡を見ました。
私たちは、誰が自分の後継者かわからない場合があります。特に、子供達にその資格がないように思われるときがそうです。
そのようなとき、主の働きのための後継者は、神が決められることを忘れてはいけません。
神は必要なときが来れば、私たちにそれが誰だか教えてくださるでしょう。
エリシャがエリヤの働きを引き継いだように、私たちの働きを引き継いでくれる、ふさわしい人材を、神は送られるでしょう。
伝道、牧会の継承者を選ぶとき、この原則を守ることは非常に重要です。
神の霊を豊かに受け、神のことばを解き明かすことができなければ、神のための良い働きはできないからです。
ですから、人間の情とか、教会への経済的貢献とかではなく、神が選ばれている人を任命することが重要です。
皆が祈って、この方なら良いと平安を持てる人、その人が神が備えた人です。
私たちは、祈りによってそれが誰であるかを教えられるでしょう。