アッシリヤを退けたヒゼキヤは、すべての国々から尊敬された
こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬 の目で見られるようになった。(2歴代32:22、23)
アッシリヤの大軍18万5千人が1夜で死んだ奇跡を人々は知った。人々は、このようなすごい奇跡で守られるユダの国の王を尊敬するようになった。
ヒゼキヤは死ぬと宣告された。(38歳頃)彼の祈りに答え、主はいやしを約束した。そのしるしとして、時計の影が10°戻るようにされた。
- イザヤから、死ぬと宣告を受ける(2列王20:1、2歴代32:24)
- 彼は、主にいやしを真剣に求めた(2列王2,3)
- 主は、彼が3日目に主の宮にのぼれるほど完全に癒やされること、彼の命が15年命伸びること、敵の攻撃から国が守られることを約束する。(2列王20:5,6)
- イザヤが、干しいちじくのひとかたまりを腫物に当てると、彼は直った。(2列王20:7)
- ヒゼキヤは、3日目に宮に上ることができる証拠として、神に「しるし」を求めた(2列王20:8)
- イザヤは影が10°進むか戻るかどちらのしるしが良いかヒゼキヤに選ばせた。
ヒゼキヤは影が戻ることを求めた。
イザヤが祈ると、主は、日時計の針の影を10°戻された。(2列王20:9~11)
ヒゼキヤは奇跡を体験して、高ぶった。彼は神を怒らせた。
- ヒゼキヤは非常に富んでいた。さて、ヒゼキヤは、富と誉れに非常に恵まれた。彼は銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、穀物、新しいぶどう酒、油の収穫のための倉庫、および、すべての家畜のそれぞれの小屋、群れの小屋を造った。彼は町々を建て、羊や牛の家畜もおびただしいものであった。神が、非常に多くの財産を彼に与えられたからである。(2歴代32:27~29)
ヒゼキヤは、非常に多くの財産を持つようになった。作物は豊作で、非常に多くの家畜を持っていた。
これは主が彼を祝福されたからであった。さらに、彼は諸国の民、王から尊敬されていた。
- 与えられた恵みに反して、彼の心は高ぶった。そこで神は怒られた。
ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に 御怒りが下った。(2歴代20:25)
ところが、彼は、多くの恵みが与えられるにつれて、自分の才能、他国の兵力に頼り、主を第一に頼らないようになった。
主はバビロンのからの使者を用いて、彼の信仰を試みた
- ある日、バビロンから贈り物を持って使者たちがやってきた。
これは、神が彼の信仰を知るためのテストであった。
バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。(2歴代32:31)ヒゼキヤが癒やされたと聞いたので、回復のお祝いに贈り物を持ってきた。(イザヤ)これは、主が、ヒゼキヤの信仰をテストするために起こされたことであった。彼に与えられたしるし、時間が戻ることを、人々は聞いて驚いていたのだ。そして、このような奇跡を与えられる人を特別に尊敬していた。神の憐れみを受けて、へりくだるのではなく、かえって、特別にすぐれた人物だと思い上がっていたと思われる。そこで、神は彼の心にあることを全て知るため、彼を試された。 - 彼は、自分の国の宝だけではなく、軍事の施設など全てをバビロンの使者たちに見せてしまった。
ヒゼキヤは、彼らのことを聞いて、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、お よび国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。(2列王20:13)ヒゼキヤは、バビロンが自分に贈り物を持ってきたのでいい気分になった。彼らは、自分に仕える小国に過ぎないと油断した。そして、彼らに自分の国の素晴らしさを見せて驚かせようと、国中のすべての財宝を見せた。さらに、彼らが望むすべての物を見せた。(恐らく、使者たちは、ユダが強国である秘密を教えてくださいと頼んだはず。ヒゼキヤは、兵器、兵の数、やぐらの位置など、戦いにおいて重要な秘密をバビロンからの使者に教えてしまったはずである。)しかし、バビロンはこの後、急成長してアッシリヤを倒すほどの強国になるのである。ヒゼキヤのこの行動は、愚かであった。
- 彼は、神のテストに不合格であった。
彼はバビロンと同盟を結ぼうとした。バビロンの力を借りて国を強くしようとした。
そのため、バビロンからの使者に国の全てを見せた。
彼は主のテストに不合格であった。
なぜなら、主は、彼があくまで主にのみ頼ることを望まれていたからである。
国の全てを知った使者たちは、ユダを滅ぼす作戦を練った。
ヒゼキヤの思わくは、あだになった。
ユダがバビロンへ捕囚されると預言が下る。王と民は悔い改めた。
主はヒゼキヤの存命中は、このことは起こらないと約束した。
- 主からユダの破滅の宣告がなされたすると、イザヤはヒゼキヤに言った。「主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せ られます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」(2列王20:16~18)
主は彼の心を知られた。彼の心は己を誇り、与えられた富と権力に頼っていた。そこで、主は、イザヤの口を通して、ユダがバビロンに滅ぼされる未来を預言された。 - ヒゼキヤはへりくだって悔い改めた。しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。(2歴代32:26)この預言を受けて、ヒゼキヤおよびエルサレムの民はへりくだった。
そのため、わざわいはヒゼキヤの代には起こらなかった。 - そこで神は、ヒゼキヤの代では、滅亡しないことを約束してくださった。そのことにヒゼキヤは感謝した。ゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。(2列王20:19)
ヒゼキヤは、自分にあわれみを与え、自分の代にわざわいが起こることを差し止められた神に感謝した。
信仰深い人も、高ぶる危険がある。ヒゼキヤの場合、神が自分に奇跡を起こし、自分の求めに応じてしるしを与えたことが、その原因であった。私たちも、主の奇跡を体験したり、特別な哀れみを受けた時、高ぶる危険がある。
主は奇跡によって、ユダを助け、アッシリヤの大軍に勝利させてくださいました。ヒゼキヤは、このことで他国からの高い尊敬を受けるようになりました。さらに、彼が死の病にかかったとき、主は彼の祈りに答えて、彼の病をいやしれくださいました。それだけではなく、彼が3日で完全に回復するという約束のしるしとして、時計の影を10°戻す奇跡まで起こしてくださいました。これらの奇跡で彼が主にへりくだればよかったのですが、かえって彼の心は高ぶりました。おそらく、主に奇跡を起こさせる自分を誇ったのでしょう。
私たちであれば、なおさらのことです。人がうらやましがるような成功をしたとき、人々から誉められるとき、癒しや奇跡を体験したとき、これらは主がなさったことであるのを忘れます。そして、自分が成したこと、自分が特別に神に愛されているから起きたことだと解釈します。ここから、主よりも自分に、能力や価値を認める思いが成長していきます。主への感謝が薄れていきます。
私たちは、真実を取り違えてはいけません。すべては主が成してくださったことです。ですから、すべてを主に感謝することが、本来の私たちの在り方です。
また、ヒゼキヤがへりくだったとき、主は彼をあわれみました。主は、彼の存命中は、ユダを守ると約束されました。主は、私たちにも同様にしてくださいます。私たちが失敗して、神の前にへりくだる時、主は私たちをあわれんでくださいます。ですから、自分の間違いを認めたとき、自分が高ぶっていたことを知ったときには、主の前にへりくだり、悔い改めましょう。主に罪を隠したままではいけません。恐れずに全てを主の前に明らかにして、完全なゆるしをいただきましょう。全てのことにおいて、自分に功績を帰すのではなく、主に栄光を帰す生き方を進めていきましょう。これが、真のクリスチャンの生き方です。