第2列王記8章16節から9章「アハブの子ヨアブとイゼベルの死。神の預言が成就した。神を第一とすることの大切さと、詳細に渡る神の御手を見た。神の摂理を認める者は幸いである。」

要約

ヨシャパテの子ヨラムがユダの王になる。イスラエルでは、アハブの子ヨラムが王であった。ユダの王ヨラムの妻はアハブの娘。彼は父と違って、主の目に悪を行った。アラム王ハザエルが攻めてきたときは、アハブの子ヨラムと共に戦った。アハブの子ヨラムはハザエルとの戦いで負傷し、イズレエルで療養していた。ユダの王ヨラムはお見舞いに行く。そのころ、エリシャは1人の預言者を将軍エフーに遣わし、エフーに油を注ぎイスラエルの王とする。そして、イゼベルを殺して野ざらしにせよ、アハブ一族、および一族に関わる全ての者を殺せと命じる。エフーは軍勢を率いてイズレエルに攻め込む。事の重大さを知らない2人の王は、エフーを迎えに出てナボテの所有地であった畑で彼と出会う。エフーは2人の王を殺し、アハブの子ヨアブの死体をナボテの畑に投げ捨てた。次に、イゼベルを窓から突き落とさせ、死体を犬が食らうままに放置した。すべては、預言者エリヤが語った通りに実現した。

観察

観察1.王を立てるのも、王を引き下ろすのも神の御心による。
エリシャに神の預言が下り、その預言の通りに事が成就しているのを見る。やはり、人間のいとなみを超えた神の御心が、全てを決定しているのだと確信する。そして、偶像に仕え主の御心を損なう王は退けられるのを見る。

観察2.愚像を拝む王は、一時繁栄を極めるが、最後には神のさばきを受けて悲惨な最後を遂げている。
アハブの子ヨアブも、ヨシャパテのヨアブも主の目に悪を行った。彼らはバアルに仕えた。金の子牛を拝んだ。神はねたむ神。ご自身以外の神を礼拝する者を忌み嫌われる。そして、ご自身の恵みから断ち切られる。

観察3.アハブについてエリヤが預言した事は全て実現した。偶然はない。全ては主のご計画どおりに実現した。
アハブの子ヨラムが負傷した。それでユダの王ヨラムがイズレエルにお見舞いに来た。2人の王はエフーと出迎えに行った。エフーが放った矢は、一発でアハブの子ヨアブの心臓を打ち抜き、王は即死した。ちょうどそこがナボテの畑であった。そして、王の死体を畑に投げ捨てた。
これは、偶然が重なって実現したのではない。主が、全てを計画の通りに生じさせて起こったことである。偶然で片付けるには、あまりにも偶然が度重なり過ぎている。その証拠に、イゼベルに対する預言も、ことごとく成就している。

観察4.エフーは主の油注ぎを受けたことで奮い立った。アハブの悪を滅ぼす勇気を得た。兵も彼に従った。
エフーは、アハブの側近であったようだ。彼はアハブがエリヤに会って預言を受ける現場に同席している。(25節)アハブの悪に心を痛めていたのかもしれない。しかし、反対の声を上げることもできず、悪を引き継ぐアハブの息子のためにも仕えていたと思われる。しかし、エリシャから油注ぎを受けた彼は、アハブ一族の撲滅が主の御心であり、自分にその使命が与えられた事を知る。そこで、普通では考えられない行動に出た。2人の王は、エフーの反逆を想定していなかった。一切警戒をしないで、エフーを出迎えに来ていることから、わかる。主は、ヨアブが信頼していた側近を用いて、彼を排除された。

適応

適応1、あなたには、神よりも愛着を感じる対象がありますか?それとも神があなたにとっての、一番の愛の対象ですか?
主は、ねたむ神。ご自分だけに愛を要求される方です。
主はねたむ神です。ご自身だけに愛を注ぐ者を恵まれます。アハブの子ヨアブたちは、他の神バアルを礼拝し、神の前に悪を行い続けたために、破滅させられました。
私たちも、家族、仕事、趣味であっても、それらが自分にとって主よりも大切なものであるなら、バアルの神を拝んだヨアブと同様です。そのような状態で祈っても、主が恵みを施してくださることを期待できないと知る必要があります。
適応2、全ては主の計画のもとに起こる。偶然はない。摂理を知るなら、過去の後悔、将来の不安から解放される。
ヨアブや、イザベルが死に至った過程を見るとき、それらが、神の詳細にわたる御手によって起こされたことを知ることができます。これらは偶然に起こった事ではありません。
私たちに対しても、神は同様にされます。起こったことは全て神のご意志のもとに起こったのです。また、これから起こることも全て、神の御手が働いて起こるのです。この真理を受け入れるとき、私たちは過去の後悔、将来の心配から解放されます。なぜなら、私が神の聖徒であるなら、神は私のために全ての事を働かせて益とされるお方だと、聖書は証言しているからです。神が詳細にわたって関与されているのであれば、これほど安全安心なことはないからです。
適応3、主の御心であれば、事は必ず成就する。働き人が聖霊の油そそぎを受けているかどうか、その働きに主の後押しがあるかどうかが、一番問題としなければならない点である。
エフーは、位の高い将軍でしたが、油注ぎを受けるまでは、アハブを倒す行動を起こせませんでした。神の後押しがあると確信したからこそ、実行する勇を得たのです。また、神がエフーの働きを成功させてくださったから出来たことでした。
そのように、聖霊の油注ぎを与えられて新生した者だけが、主のための働きに立ち上がることができます。アハブのような強大な反対勢力に対しても、戦いを挑む勇気が与えられます。そして、不可能と思えるような事が実現するのです。主が、その働きを後押しして成功させてくださるからです。エフーがアハブに代って王となり、イスラエルからバアルを根絶やしにしたように、主の働きが大きく実を実らせる時が来るのです。
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