23章5―6節「ダビデの最後の言葉から、彼が到達した信仰」 

聖句

まことに我が家は、このように神とともにある。
とこしえの契約が私に立てられているからだ。
このすべては備えられ、また守られる。
まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。
よこしまな者はいばらのように、みな投げ捨てられる。
手で取る値打ちがないからだ。(1970年新改訳)

要約

英語での訳や他の日本語聖書の訳を見ると、この節の要約はこうなります。
わたしの家は神と共にあるではないか、
神は私と確かな、すべてを備えた永遠の契約を結ばれたではないか。
そうであるなら、私の救いと成長を神が増し加えないことがあるだろうか?
いや、神は増し加えてくださる。
しかし、神に逆らう者、神を偽る者は災いだ。彼らは、神に捨てられ破滅に至る。
最終的には、神にさばかれ地獄で永遠に苦しむことになる。

教えられたこと

ダビデの最後のことばは、彼の信仰の確信を告白しています。

1.神が契約した。神は自分を確実に天国に入れるだけでなく、信仰を成長させると信じた。
神は彼と確かな救いの契約をされた。神は、その契約が完了するために、
ダビデの人生に起こるすべての出来事に対する備えをなされ、彼の信仰を守られた。
それだけではなく、神は彼の神への信頼を増し加えてくださったと、告白しています。

神は、彼を物質的にも霊的にも祝福されました。
しかし、これはダビデの信仰が素晴らしかったからではなく、神が彼と契約を結び、
神がご自分の立てた契約を守られたからでした。

ここに、神の一方的な恵みを見ます。
そしてすべての栄光と感謝は神に捧げるべきことがわかります。
私たちの人生も同様です。神は私を選び救いの契約を結ばれました。
この救いは確かに天国を約束するもので、信仰を持ってこの世で生きる時に生じる、
あらゆる嫌がらせ、妨害に対する備えが与えられた約束です。
ですから、安心して、勇気を持ってこの信仰に入り、前進すれば良いのです。
神は私の歩みに先立って、私の道を整えてくださっているからです。
ダビデが持っていた確信は、私たちの確信でもあります。

 

2.彼の到達した信仰の境地は、
「神と共にある者は栄える。神に逆らう者は滅びる」であった。
ダビデの生涯を振り返る時次のような特徴を見ることができます。
○神のみこころを第一として歩んだ
ゴリアテとの戦いでは、神の名誉を守るため、神に信頼して戦った。
戦いの前に、必ず神の意思を聞き、神の命令に従って戦った。

○神に対して正直であった。ウソがなかった
バテシェバのことで罪を犯した時、正直に認め悔い改めた。(サウルと違うところ)

○神に対して清い良心が持てるように努めた 2サムエル22:21-25
自分を殺そうとするサウル王を、殺せるチャンスがあった時も、殺さなかった。
サウルの死後も、サウル一族を自分の手で殺すことはなかった。

サウルは王として君臨した。彼は神の命令に従わなかった。
ねたみからダビデの命をねらった。しかし、彼の心には安らぎがなかった。
ダビデは、神に忠実に生きようとした。しかし、彼の人生には多くの苦難があった。
長い間、隠れ場をさがしてさまよった。
イスラエルの民からも、王に反逆する悪いしもべであると悪口を言われた。
彼に付き従った者達の多くは異邦人であった。
しかし、神は最後には、彼をイスラエルの王に立てる。
イスラエルの人々がそれを望むようにさせ、彼の信頼を回復させる。
結局のところ、神を信じ従うことが、幸せになるか不幸になるかを決定するのだということだ。

苦しみがないことが幸せではない。
たとえ、欲しいものがすべて与えられていても、
サウルのように心に安らぎがない人はいる。
神を知り、神と共に生きること、これが幸せである。
苦しみを通して、苦しみのただ中で経験する神の助け、備えこれこそ幸せである。
多くの苦しみを経験したダビデは、多くの神からの助けをも経験したはずである。
私たちも同様です。多くの苦難は、多くの神体験を産む。
そこから、ダビデのように私たちも神への確信がさらに増し加えられるのではないでしょうか。

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