第2サムエル24章1-25節「神が与えたものに頼り、自分を誇ったダビデの罪」

要約

神はサタンにダビデを誘惑させ、(1歴代21:1)イスラエルとユダの人口調査をさせるように彼を動かす。その調査には9ヶ月と20日もの時間がかかった。登録人数は、イスラエルの兵が80万人、ユダの兵が50万人であった。この報告の後、ダビデは良心のとがを感じる。自分が部下を苦しめて無駄な調査を強いたことに気がついたダビデは、自分の罪を神に告白する。すると神は預言者ガドを彼に遣わし、彼への神罰を選ばせた。「7年間のききんか、3ヶ月間敵の攻撃を受けることか、それとも3日間の疫病か」である。ダビデは、人には容赦はないが、神はあわれみ深いので、もしかしたら神罰を軽くしてくださるかもしれないと期待して、神に直接罰せられる「3日間の疫病」を選んだ。この疫病で7万人が死んだ。

ダビデは民を打つ御使いを見て、「民への神罰を止め、自分と自分の家族を打ってくれ」と願った。そのとき、神はダビデに、御使いがいた場所に祭壇を築きいけにえを捧げるように命じた。そして神罰は止んだ。

 

教えられたこと

人口調査自体に罪は無い。調査をした動機が悪かった。なぜ調査をしたのか?
おそらく、ダビデには勢力が増し加わった自分を誇る気持ちがあったからであろう。
そのことの証明として、兵の数を知りたかったのであろう。
また、彼は兵力がイスラエルを敵から守る決定的手段であると考え、
兵の数を知ることで、イスラエルの安全を知ろうとしたのであろう。
このような動機を神は嫌われた。なぜか?
それは、ダビデにとって神が一番の守り手であることを忘れ、
神からいただいたものが彼を守ると考えたからだ。

ゴリアテと戦った時はどうであったか?ダビデには槍も剣も無かった。
彼にあったのは、神への信頼であった。
その期待を裏切ることなく神は彼を勝たせてくださったのではなかったか。
聖徒たちの戦いは皆そうであった。彼らが一番弱い時に、神が彼らのために戦われ、
彼らを勝利させた。エリコの城を7日間回ることで城壁が崩れ勝利したヨシュア、
アマレクとの戦いで手を上げ続けたモーセ、
たいまつをもって敵に叫ぶだけで勝利したギデオン、
彼らの勝利は、彼らが強かったからではなく、神が戦われたからであった。

私たちも同様である。信仰ではじめておきながら、お金や地位、家族や部下が与えられると、
いつのまにかそれらが自分を守ってくれていると思うようになる。
もっと言えば、をれらが失われるなら、自分は破滅すると思うようになる。
そして、神ご自身よりも、それら神から自分に与えられたものや人に頼るようになる。
しかし、ダビデの場合にそうであったように、神が与えたものは、神が命じられれば、
一瞬にして消え去るものである。
ダビデの場合は、疫病によって7万人が死に、彼の兵力は3日のうちに激減した。
私たちの場合は、どうでしょうか。私たちが神よりもより頼んでしまうものは何でしょうか?
たとえば、
1.家族―病気や死で失われる
2.お金―だまされる、事業の失敗、貨幣価値が下がる、コロナなどで変化する
3.自分の能力―健康を害せば失われる
よく考えれば、いかに、頼りにならいものであるかがわかる。

だからこそ、すべてを保ち、治めておられる神を第一に頼ることである。
持ち物や養う人が増えることは良いことである。
それらが与えられたことを感謝することは自然なことで罪ではない。
しかし、私たちクリスチャンは、それらがいつまでも自分を守ってくれるものではない。
このことを、いつも覚えておく必要がある。
私たちをまもる方である神に、最終的には頼ってなければならない。
私たちの神への期待を神は裏切ることはない。
神は、永遠の視点から(天国を含めた私の人生を考えて)私を守り、私の必要を満たされる。

このことを、24章を読んで教えられた。

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