22章31-35節「ダビデの神への賛歌」               

聖句

22:31 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
22:32 まことに、主のほかにだれが神であろうか。
私たちの神のほかにだれが岩であろうか。
22:33 この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。
22:34 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
22:35 戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。

要約

この歌は、ダビデが敵であるサウル一族から救い出された日に歌った歌である。22:1

この歌は、ききんのことから始まった、ギブオン人たちの要求でサウル一族の子供達が
さらしものにされた日に歌われた歌であると思われる。

ダビデは「神が定めた道は完全である」と神の摂理の完全さを告白する。
彼は忠実に仕えたサウル王から命を狙われ、野をさまよい
、イスラエルの民からは主君を裏ぎる悪いしもべと誤解されてきた。
しかし、今振り返ってみる時、自分が経験した苦難は、神の定めによって起こされたもので、
自分にとって益であったと告白している。
神は最終的に、ダビデに敵対する者たちを滅亡させ、ご自身の栄光を現わされた。
彼らは神の定めに従わなかったからである。そして神に忠実なダビデを王として建てられた。

また、ダビデは「主のみことばは純粋」とも告白する。
彼は、「聖書に書かれたことば」は、信頼できるものだと告白する。
みことばに従うことが自分を破滅から守り、自分の安全のためになると告白する。
なぜなら、神が語られたことは必ず実現するからである。

また、「主のほかにだれが神であろうか」と、
イスラエルの神だけがより頼むべき神であることを告白する。
イスラエルの神は、どのような事態が生じようが、ご自身の民を見捨てない神であって、
他の神々は頼りにならないことを告白する。

そして「この神こそ、私の道を完全に探り出される」と、
この神こそが、本来生きるべき道に私を歩ませてくださる方であると告白する。

ダビデが生まれる前に神がお定めになった計画、
スラエルの王としての人生を神はダビデに歩ませてくださった。
これはダビデが努力して獲得した人生ではない。
これは神が彼を選び、彼に歩ませた人生であった。
そしてこの人生はダビデの能力にふさわしいものであった。
なぜなら、彼はこのことを成すために生まれて来たからである。
だから、戦士としての彼は多くの功績を残し、
王の地位についた彼は、イスラエルを良く治めた。

34,35節においてダビデは「神の助け」があることを告白する。
神は彼の働きに必要な、知恵、能力、彼を助ける人々を与えてくださり、
彼の働きを助けてくださったと告白する。

教えられたこと

ダビデがどのように神を信じていたかを知ることができる。
これらは、宗教改革でカルバンたちが告白した信仰や、私たちが信じる信仰と同じである。
ここに旧約と新約時代の信仰の一致を見ることができる。
ダビデは、神の摂理、みことばの権威、神の主権、全能、予定、
救われた者の安全(保持)を告白している。

ダビデは神の摂理を認めていた。神のなさることは正しいのだと知っていた。
たとえ苦しみが長く続き、助けが遅れている時でも、彼は神に対して罪を犯すことを恐れた。
敵が神に逆らっておごり高ぶる時、彼はさらに確信を深めたのではないか。
神はこのようなことを見逃す方ではない。必ず彼らは滅ぼされると。
だからこそダビデは、サウルのおびやかしに忍耐できたのであろう。
彼は神が必ず聖徒たちを救われることを確信していた。(21-23節を見よ。)
私たちも、このダビデの信仰にならいたいものである。苦難の道に導かれる時、
神が自分を見捨てたのではないかと思われる時こそ、神に不満を述べるのではなく、
神のことばに信頼して歩み、神に従い、
罪を犯すことによって自分を自分で救おうとする誘惑に勝ち、
じっと神の救いを待つ者でありたい。
ダビデがそうであったように、神の救いを確信して待つ者でありたい。

また、彼を王として歩ませたのは神であった。この人生へと神は彼を導いた。
なぜなら、ダビデはこのことを成すために生まれて来たからである。
同じように、私も神に選ばれて信仰に入るなら、
神は私を造った目的を実行させるように、私を歩ませる。
それは、時には自分が想像したこともないような人生である場合がある。
(誰が、ダビデがイスラエルの王になると想像できたであろう)
そして、神は、私に定めた人生の目的を達成させるために、私の働きを支援してくださる。
そのために必要な全てのもの、資金、助け人などを時にかなって与えてくださる。

このようにして、細部に渡った神の配慮の中を歩むことができる人生が
いかに幸いな人生、いかに確かな人生であることか。
このように幸いな人生を歩ませてくださる神に感謝する思いがつきません。ダビデも同じでした。
この感謝の気持ちを歌ったのが「22章のダビデの歌」です。
この歌は、そのまま「私たちの神への賛歌」でもあります。神に感謝!!

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?