第2テモテ1章「気弱になったテモテを励ます」

あいさつ

1:1 神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
1:2 愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。

気弱になったテモテを励ます

1:3 私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
1:4 私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。
1:5 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。

あなたには純粋な信仰が与えられている。
このときテモテは、反対者たちから苦しめられ、彼らを恐れて尻込みしていたのかもしれません。そこでパウロは、テモテが信仰に立って、福音に反抗する者たちと戦うように、彼を励まします。

第一に、パウロはテモテには、神から「正当的な信仰」が与えられていることを思い起こさせます
この信仰は、はじめ彼の母ユニケに与えられ、それが彼にも与えられたものです。パウロは、テモテが正しい信仰を持っていると確信しています。伝道者に正しい信仰があるなら、誰も彼に勝つことはできません。
なぜなら、彼らは神と戦うことになるからです。(5)

第二に、テモテにはパウロからの祈りの支援があること、パウロがエペソを訪問したいと考えていることを伝えます。
パウロはいつもテモテの純粋な信仰を思い起こしては、この信仰をテモテにも与えてくださった、神に感謝していることを伝えます。その神とは、先祖たち(アブラハム、ヤコブ)が仕え、パウロも仕えている神です。ですから、テモテは、聖徒たちと同じ信仰を持つ者です。

さらに、パウロは彼と再会したいと強く願っていることを伝えます。(4)
(パウロは、エペソの教会を開拓し3年ほど滞在しました。ですから、テモテの状況をよく理解できたと思われます。また、テモテはパウロの伝道で救われた直弟子でしたので、彼のことを強く心にとめていたのであろうと思われます。)

反対者を恐れず、福音を述べ伝えなさい

1:6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
1:8 ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

反対者を恐れて気弱になってはならない。福音を隠してはならない。
テモテは反対者たちを恐れて気弱になっていました。
パウロは、彼を再び奮い立たせる必要を感じています。
パウロが按手をした時に受けた「聖霊」を再び燃え立たせてください。(6)
聖霊の力によって前進しなさい。聖霊は私たちを臆病ではなく大胆にさせます。私たちに伝道する力と、人々に対する愛と慎みを与えてくれます。(7)

「キリストを宣べ伝えること」や「パウロが主に仕えたために投獄されていること」を恥ずかしいことだと思ってはいけません。かえってキリストのために、ばかにされ投獄されること誇るべきことだと知って、ますます伝道に励みなさい。私はキリストのために苦しみを受けていますが、あなたも私と同じように苦しむ者になってください。(8)
(このとき、パウロはローマ政府に捕まって囚人となっていた。彼は自分の死刑が宣告されるのを待っていた。)

私たちが伝える福音は、確かな真理である

1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、
1:10 それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。

私たちが働き人になったのは、神の計画による。
私たちが伝える福音は、神が永遠の昔に計画され実現された確かな真理である。
神は私たちを招き、救いを与え、主の働き人になさいました。このことは、自分から始まった事ではありません。(自分の決心や願いによるのではありません)それは、永遠の昔からの神のご計画と、神からの憐れみによることです。つまり、神は、テモテを選んでエペソの教会を牧会する働きを任せておられると言えるのです。(9)

私たちが伝えている福音は、神が永遠の昔に計画されたものです。
神であり人であられるキリスト現れによって、神の救いの計画が明らかにされました。キリストは、死から復活されました。この事実よって、神の救いの計画が、この世に知らされました。それは、キリストを信じる者は、死後のさばきを逃れ、天国で永遠の命によみがえるということです。
このことが真理であることを、神は、キリストの死と復活によって、私たちに証明してくださいました。(10)

パウロはテモテに対して、「働き人に召された」ことが、神の計画によることを思い起こさせます。また、自分たちが伝えているメッセージが、旧約聖書や預言者たち、キリストの復活の事実に基づく確かなものであることをも思い起こさせています。パウロはこれらの事実を確認することによって、気落ちするテモテを勇気づけています。

1:11 私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。
1:12 そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。
1:13 あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。
1:14 そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。

宣教のために受ける苦しみは恥ではない。主は真実であり、働き人への報いを用意してくださっている。
神が定めた救いの計画が、福音と呼ばれるものです。この福音を伝えるためにパウロは教会の働き人として任命されました。(11)
パウロは、主の働き人になったために、迫害や困難を受けて苦しんでいます。
しかし、パウロはこのことを恥だとは思っていません。なぜなら、パウロは信じている方(神)がどのような方か良く知っているからです。その方は真実で偽りのない方で、私がその方(神)に任せた「私の救い」を、確かに保ち、天国で与えてくださると確信しているからです。(12)
ですから、テモテはパウロから教わったことを手本にして働きなさい。(13)
テモテに与えられた正当な信仰を、聖霊によって保ちなさい。正当的な信仰にとどまることは、人間の努力によらず聖霊によることがわかります。(14)

忠実な弟子と不忠実な弟子

1:15 あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました。その中には、フゲロとヘルモゲネがいます。
1:16 オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけてくれ、また私が鎖につながれていることを恥とも思わず、
1:17 ローマに着いたときには、熱心に私を捜して見つけ出してくれたのです。
1:18 ――かの日には、主があわれみを彼に示してくださいますように。――彼がエペソで、どれほど私に仕えてくれたかは、あなたが一番よく知っています。

かつてパウロはアジヤにおける伝道で、多くの信者を獲得することができました。(使徒19、20章)しかし、彼が捕えられローマに移送される時に、アジヤの信者は彼を離れ、彼を助けることはありませんでした。エペソの教会と親交があったフゲロとヘルモゲもパウロを裏切りました。このことは、テモテも知っています。(15)

パウロを裏切る信者がいた反面、彼を最後まで助ける信者もいました。それがオネシポロです。彼と彼の家族はエペソに住んでいました。オネシポロは用事でローマに立ち寄った際、パウロが牢に入れられていることを知りました。オネシポロはパウロが囚人となっていることを恥じとは思いませんでした。その時、教会ですら、パウロについての関心が薄れかけていたのでなはいかと思われます。そのような中で、オネシポロは、パウロを熱心に探し出して、彼を援助しました。(16、17)

多くの人がパウロを離れる中、オネシポロは最後まで彼に仕えてくれました。パウロはオネシポロの働きを感謝しています。そして神が彼の働きに報いてくださるようにと祈っています。彼は、エペソでも忠実な働きをしていました。そのことをテモテは誰よりも良く知っていました。(18)

<第二テモテ1章 考察>

考察1 クリスチャンが、反対者から苦しめられ気落ちするとき、勇気を得て、再び戦うために、知っておくべきこと。

 1.信仰を世に示すことは、イエスの命令である。このことを思い出すことによって、クリスチャンは勇気を得る。

テモテやパウロが伝道した時には、反対者たちに殺されることも覚悟しなければなりませんでした。キリストへの信仰を否定する者たちはこの世で力を持ち、クリスチャンを探し出しては、殺していたからです。
このような状況では、牧会者や信者が伝道する勇気を失い、自分たちの信仰を守ることだけに専念することも起こりえます。

しかし、クリスチャンは信仰を隠してはいけません。それを世に示すようにと、イエスから命令をうけているからです。
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5章14~16節)

2.自分のために祈っていてくれる人がいることを知ることによって、クリスチャンは励ましを受ける。3、4、5節から

パウロは、テモテのことを日夜思っていました。(3)
テモテを訪問して直接彼を励ましたいとまで考えていました。(4)
パウロは、テモテを信仰の始めから知り、彼が忠実に主の働きを担ってきたことを知っています。パウロにとってテモテは信頼できる同労者です。

パウロはテモテのことを自分の子供のように思っていました。
自分のために、祈りが捧げられていることを知る時、クリスチャンは大きな励ましを受けます。

3.正当な信仰が、反対者に勝つ強力な武器であることを知ることによって、 クリスチャンは勇気を得る。5節から

「正しい信仰」によってのみ、偽りの教えを退け、反対者に打ち勝つことができます。そして、「正しく神を信じる信仰」は、人間が努力して得ることができるものではなく、神が与えてくださる賜物です。ですから、パウロはテモテに良い信仰について神に感謝しています。3節
これらのことから、神から純粋な信仰を与えられたテモテは、神の好意、神の指示のもとに教会の世話を務めていると言えます。困難な務めに直面する働き人にとって、これほど心強い保証はありません。

正しい信仰を持つなら、反対者を恐れる必要はありません。7節
神が伝道者の味方であり、反対者と戦ってくださるからです。
反対者たちが荒れ狂って信仰者を苦しめたとしても、彼らは神の被造物にしかすぎません。彼らは、神の計画を変えることはできません。

さらに、彼ら最後は永遠の滅びです。私たちが手を下す必要はありません。
神が、彼らのしわざに応じて、その報いをお与えになるからです。2テモテ4章14節

考察2 大胆に、反対者たちに対抗するための秘訣 14節より

1.自分が正当な信仰を保っていなければ無理である。

まず第1に重要なことは、伝道者が正しい信仰にとどまっていることです。
このことは、聖霊によって可能であると聖書は語ります。14節

私たちのまわりには、多くの教師や信仰についての書物があります。
しかし、それらを、無批判に受け入れるのではなく、御霊に聞くことによって判別するという姿勢が重要です。

2.御霊による強めによって、反対されても大胆になることができる 7節

反対者を恐れて、福音を語らないとか、福音に薄めるということはあってはなりません。反対者を恐れることなく、大胆に福音を宣べ伝えることです。このことは、御霊が信者に力を与えて実行させると聖書は語ります。7節

危機的な状況においては、伝道者を特別に力づけてくださる聖霊の働きがあるのです。普段できなかったような大胆な行動ができるように、神がさせてくださるのです。ですから、私たちは、今、そのような信仰が、自分にあるとはいえなくても、恐れる必要はありません。必要な場面が来た時には、神が私たちに力を与えてくださるからです。

3.自分だけでなく、他の働き人も、苦しみながら伝道していることを知ることで、励まされて、反対者に対抗することができる

テモテは、反対者から攻撃されて苦しんでいました。
エペソでの牧会の状況をパウロは良く分かっていました。
エペソはパウロが開拓した教会だからです。
ですから、テモテの苦しみが、手に取るように実感できたと思います。

この時、パウロがパウロもまた、苦しみのただ中にありました。
再びローマで捕えられ、牢獄の中で死の宣告を待っていたからです。
そのパウロが「私と苦しみをともにしてください」とテモテに書き送っているのです。

自分だけが、苦しんでいるのではない。自分と同じように、いや自分よりもっと苦しんでいる兄弟姉妹がいることを知ることによって、伝道者は戦う勇気を得ます。

4.伝道で受ける苦しみを誇りとすることで、反対者たちに立ち向かうことができる 8節

パウロは、「主の囚人であることを恥じてはいない」と言います。8節

「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。(マタイ5:11,12)

5.神のために苦しみを受けることは、光栄なことだと知ることによって、反対者たちに立ち向かうことができる

キリストために受ける苦しみは、キリスト者にとって光栄なことです。
キリストは、罪人を救うために壮絶な苦しみを受けられました。

クリスチャンは、キリストの苦しみを苦しんでいるのだと言われます。
「私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」(コロサイ1:24)

今も罪人たちの反抗によって、神ははずかしめられています。苦しみを通して、キリスト者は「キリストの苦しみ」を知るように導かれます。このことを知ることを通して、神をこれほどまで苦しめる罪人に対して、神が罪びとに与える、「憐れみ」「救い」が、受けるに値しない者に与えられる恵みであるかを知るようになるのです。

6.自分の働きが、神から任されていると知ることで、反対者たちに立ち向かうことができる。9節

働き人は、自分が神によって任命されていると知ることによって大いに励まされます。特に自分の働きが、永遠の昔からの神のご計画による、ということを理解することは非常に有益です。なぜならこの真理によって、伝道者はどのように困難な状況が生じても、自分の働きを全うできるのだ、という確信が与えられるからです。

パウロはこのことが真理であることを認めています。「それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵によること、この恵が永遠の昔からのものであること」を説明しています。(9)

7.福音に確信を持つことで、反対者たちに立ち向かうことができる。10節

伝道者は、福音に確信を持つことによって勇気を得ます。

自分が伝えていることが偽りであれば、そのために命を捨てることはできません。しかし、福音は人間が知らなければならない重要な知らせであることの確信があるならば、困難があってもこの知らせを伝えなければならないと思う熱意が起こるのです。

福音を告げ知らせることは、この世で一番尊い働きです。なぜなら、この知らせを受け取るか否かで、人が死後天国へ行くか、地獄へ行くかの、永遠の場所が決まるからです。

8.天国で与えられる報いを待ち望むことによって、反対者と戦うことができる。12節

パウロは、自分が神に任せたもの(救い)を、今の苦しみの後、天で、神が与えてくださることを確信していました。神は真実な方で、約束を破ることができない方だからです。12節

確かに、伝道することには困難がつきまといます。特に神にとって有益な働きをする働き人を、サタンは強く攻撃するものです。正しい福音を宣べ伝える人が苦しめられ、時には命を奪われることがあります。

しかし伝道者には、神から「天国での永遠の命の約束」が与えられていることを忘れてはいけません。神は、必ずその約束を伝道者に果たしてくださることを確信していなければなりません。私たちは、将来与えられる報いを思う時、今の困難が小さく見えてきます。そして、将来の報いを待ち望みつつ、今の困難を耐え忍び、伝道を続けることができるのです。

<聖書に出て来る語句について調べたこと>

1章5節にある「信仰が宿る」の意味

第2テモテ1章5節の「宿る」にあたるギリシャ語原語は νοικέωenoikeō です。
この動詞は以下のような意味を持ちます:

  • 住む、居住する(to dwell, to inhabit)
  • 内にとどまる、定着する(to take up residence within)
  • 継続的に存在する(to remain or abide in)

この語は新約聖書で、神の霊や信仰、愛、罪などが人の「内に住む」ことを表す際に使われます。
つまり、単なる一時的な訪問ではなく、深く根付き、影響を与える存在として描かれています。

2テモテ1:5の文脈での意味
この節では、パウロがテモテの「偽りのない信仰」が、まず祖母ロイス、そして母ユニケに「宿り」、今はテモテにも「宿っている」と述べています。この「宿る」は、以下のような意味合いを含んでいると考えられます:

  • 信仰が外から来て、内に根付いた:つまり、彼らがキリストを信じるようになったという変化があった。
  • 信仰が人格の一部となった:単なる知識や感情ではなく、生活や行動に影響を与えるものとして定着した。
  • 信仰は継承されたように見えるが、人から伝えられたというのではなく、テモテの内にも宿ったという意味である:ユニケからテモテへと信仰が「伝わった」ように見えるが、テモテ自身にも聖霊が降り、信仰が宿ったと言う意味である。

信仰は外から来て、彼らの内に住むようになったという理解は、ギリシャ語の「ἐνοικέω」の意味と完全に一致しています。これは、単なる知的同意ではなく、心の中に住み、人生を形づくる信仰です。

ギリシャ語「ἐνοικέω」について、もう少し調べた。

  • 「中に住む」「内に宿る」という意味の基本動詞。
  • 「ἐν(en)=〜の中に」+「οἰκέω(oikeō)=住む」から成る合成語。
  • 単なる一時的な滞在ではなく、継続的・恒常的な居住を示唆する語です。

聖書的な用法
この語は新約聖書で以下のように使われています:

  • 聖霊が信者の内に宿る(ローマ8:11
  • 罪が人の内に宿る(ローマ7:17
  • 信仰や愛が心に根付いている状態(第2テモテ1:5

つまり、パウロが「あなたの中に宿っている偽りのない信仰」と言うとき、一時的な感情や表面的な信仰ではなく、深く根付き、継続して働いている信仰を意味しています。

イメージで捉えると
「ἐνοικέω」は、まるで信仰が心の中に家を建てて住んでいるようなイメージです。信仰がその人の人格や行動に影響を与え続ける、そんな深い関係性を表しています。

 

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