- 2024-10-17
第2コリント6章「恵みを無駄にせず正しい実を結ぶ/非常な忍耐と愛による宣教/偶像から離れよ」
神とともに働く者として懇願する 「恵みをむだに受けてはならない」1―3 にせ教師たちが信徒の信仰をゆがませた。 パウロがコリントを去った後、彼が伝えた福音とは別の福音を教える「にせ教師たち」がやって来ました。そのため、信者たちは誤って信じ、実行するようになっていました。 神に義とされた恵みを無駄にし […]
神とともに働く者として懇願する 「恵みをむだに受けてはならない」1―3 にせ教師たちが信徒の信仰をゆがませた。 パウロがコリントを去った後、彼が伝えた福音とは別の福音を教える「にせ教師たち」がやって来ました。そのため、信者たちは誤って信じ、実行するようになっていました。 神に義とされた恵みを無駄にし […]
死後の復活に希望と目標を置いて生きることが重要である キリスト者は天国に国籍を持つ者である。 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。エペソ2:19 キリスト者はまだ見ていないものを待ち望む その日には、天国に入れられる。主にお […]
神は永遠の決定により、ある者を救いに定めた。 この教えを無視することは、神に不正を加えるだけでなく、 人に損害を与えることになる。 この教理が理解できなければ、救いの確信を持つことはできない。 なぜなら、自分の決心や行いによって救いを維持するのであれば、失格することもあるが、神が決定した救いであれば […]
2祈ることの必要:神に願いを届ける。平安をいただくことができる。 祈りによって、神に願いを訴えることができる。 祈ることによって、心を安らぐことができる。 悩みを主に打ち明けた以上、主に自分の問題を全て知ってもらったと確信できるから。そして主は、自分のために最善の方策をしてくださると確信しているから […]
1キリスト者が持つ自由について正しく知ることは重要 キリスト者の自由を間違って理解している人がいる。 彼らは、「自由」とは神に対してのいっさいの服従を捨てて、自分の思い通りに生きることだと考える。しかし、これはキリスト者の自由ではない。 本当の自由を得ていなけれ、たましいの安息はない。 2キリスト者 […]
18章1:ローマ8:30 「行いに従って報いが与えられる」とは 聖書の中に「行いに応じて報いを受ける」と言われている個所が多くある。これらは、報いが人間の功績に由来すると言っているのではない。神が人に報いを与える順序を示した聖句である。 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになり […]
律法の約束について間違った見解がある 律法を守ることにより義とされると考える人たちがいる 行ないを前提として祝福が与えられる聖書の記述から、彼らは報いを受けることは、信仰のみでなく、行ないにもよると言う。 律法を完全に守ることで天国に入るなら、誰一人入れない。 神は律法を完全に守る者しか義と認めない […]
16:1信仰によって義とされる教理は、善い行ないを廃することにはならない 「信仰」と「良い行い」は結びついていなければならない。 カトリックは行いがなければ信仰もないと教えるが、私たちは信仰が良い行いを生じさせると考える。 カトリックは、義とされる信仰には行ないが必要だと教える。しかし私たちは、義と […]
15章2:私たちの能力は神から与えらえたものである 自分の持つ善いものは神から来ている。 それは自分の功績で得たのではなく、神の憐れみによって与えられた。(クリュストモス) 15章3:私たちの行ないは、汚れているけれども、私たちは神から報いを受ける 善い行ないをしたとしても、私たちは無益なしもべにす […]
14章:2 信仰のない者にも神の恵みとして美徳が宿る場合がある 私は「不信仰の者が持つ美徳が、神の賜物ではない」とか、「正と悪に違いはない」というほど非常識ではない。私は正義と悪は大変違うことを認める。なぜなら信仰のない者が行う義と悪の間にさえ、大きな違いが現れているからである。 信仰のない者の善行 […]