- 2022-04-10
- 2022-06-14
キリスト教綱要2篇10章「古い契約と新しい契約の類似」
旧約の聖徒たちも天国をあこがれ求めていた 彼らの苦難に満ちた人生がそれを証明している 旧約の聖徒たちは天国を求めていた。彼らの生涯は苦難の多いものであった。 それは、彼らがこの世ではなく、天にさらによい生活があることを認めていたからであった。 苦難に満ちたアブラハムの生涯 彼は、神の命令を受けて故郷 […]
旧約の聖徒たちも天国をあこがれ求めていた 彼らの苦難に満ちた人生がそれを証明している 旧約の聖徒たちは天国を求めていた。彼らの生涯は苦難の多いものであった。 それは、彼らがこの世ではなく、天にさらによい生活があることを認めていたからであった。 苦難に満ちたアブラハムの生涯 彼は、神の命令を受けて故郷 […]
2編8章11:律法は、神との関わり方、隣り人と関わり方を教える 第1に守るべきこと 神と正しく関るように=神を礼拝し、神に従うこと 第2に守るべきこと 隣人と正しく関わるように=隣人を愛すること 聖書は、第1の戒めを守る者は、第2の戒めも守ることができると教える。 第1の戒めを守らない者は、第2 […]
神からの報酬は人間の功績が生み出すという考えに反論する 人間の功績(努力や成果)が、神の恩寵を来たらせるのではない。神は功績を生み出すために、まず人間に賜物を与える。神の恩寵(恵み)が人間の功績を生み出しているのだ。 ローマ書8:29、30は、私たちの救いと完成は、すべて神が成されたことだと言ってい […]
2編4章3:悪は神の許容ではなく、神の主権的介入によって起こる 人は、強制されてではなく悪を行う。 人が悪を行うとき、その意思はいやいや反抗しつつ、無理に悪魔に従わせられるのではない。人は、悪魔のささやきに同意して、強制ではなく、自ら悪をおこなう。 神は人間が悪を選択することを「予知」していたとする […]
2編3章1/人は罪人として生まれ、神に反抗する性質をもつ このことが正しいとする証拠 イエス・キリストの証言 肉の思い(生まれながら人の思い)は神に敵対し、神の定め(律法)に反抗し、従うことができない。 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ […]
2編2章1/ 神から独立した人間固有の善は存在しない 人間が最高に造られた時でさえ、「神の形」似せられて造られたにすぎない。 人間は固有の善をもつことによってではなく、神にあずかることによって祝福を得る存在である。 聖書は、人間が最高の栄誉の頂点に立ったときも、「『神の形』にかたどってつくられた」と […]
第2編1章 自己認識の方法を誤ってはいけない 一般に言われる自己認識は、自己のすばらしさを見つけるもの。しかし、それは自己賞賛に終わる傾向にある。 真の自己認識は、神の基準から見た自分の不完全さを知って謙遜になることである。その不完全さを回復するために、神に助けを求める願いが起こされることである。 […]
第1篇16章 神は摂理により世界を統治する 神はご自身世界を造っただけではなく、造ったもの全てを個別的摂理によって、 1羽のすずめに至るまで、支え、守り、配慮する。 神は人間に能力と理性を吹き込んだだけで、あとのことは、人間に生来備わる能力にゆだねておられると考えることは愚かである。 どのような人物 […]
第1篇7章 いかにして聖書の権威を認めることができるか 「聖書の権威を判定するのは教会である。教会が認める限りにおいて真実である」と言われているのは誤りである。 教会の基礎は予言者と使徒の教えである。(エペソ2:20) 教会ができる前から、この教えは存在していた。 この教えを承認した所に教会が作られ […]
第1篇1章 神認識と自己認識の関係について 神を認めること無しに、本当の自己認識はない。 我々の賜物はすべて神から与えられているから 我々の生存は神に決定権があるから 我々は、自分についての悲惨や自分に対する不快感を抱かなければ、神を渇望することはない。 自己について無感覚な状態、つまり自分の賜物に […]