「ダビデの生涯1」羊飼いからイスラエルの戦士になるまで

1 次の王になる油注ぎを受ける Ⅰサム16章

主はサムエルに仰せられた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」1サムエル16:1

  1. 油注ぎはひそかに行われた。サウル王は知らない。
  2. エッサイには8人の息子がいた。末の子ダビデが選ばれた。
  3. その後、ダビデに主の霊が激しく下った。16:14
  4. ダビデは、いつもと変わらず羊を飼いとして暮らした。

1-1考察 預言者サムエルはサウルのことで悲しんだ。主は彼に希望を与え、新しい王を見せた。

サムエルは、自分が油を注いだサウルが、神に背くことを見て悲しんだ。しかし、主は「いつまでサウルのことで悲しんでいるのか。私はサウルを退けている。さあ行って新しい王に油を注げ。」と、彼に使命を与えた。私たちも、伝道しても信じない人のために悲しんでいてはいけない。新しい人に福音を伝えよう。主は、きっと新しい出会いを与えてくださる。

1-2考察 誰もが、資格がないと思っていたダビデが次の王に選ばれた。

預言者サムエルは、次の王に油を注ぐため、エッサイの息子たちを招いた。
エッサイは、末の息子ダビデを除いた7人の息子を連れてきた。
彼らは立派に見えた。しかし、主は彼らを選んでおられなかった。

エッサイは、末息子のダビデを野に残していた。
ダビデはサムエルの前に出ることはふさわしくないと考えられていたからである。
(ダビデには何らかの事情があった。彼が不義の子か、異邦人との子であったからであろう。)

ところが、エッサイがサムエルに会わせることをためらったダビデが、主に選ばれた。
ここに、私たちにとっての励ましがある。

人生には多くの失敗があり、生まれつきハンディーを背負うことがある。
私たちは、自分の人生は終わりだと絶望する。
しかし、主はしばしば私たちの常識をくつがえされる。

主は、この世で高く評価される賜物を与えられた者ではなく、人から低く見なされ、忌み嫌われている者たちを高く上げ、ご自分の栄光を現わされる。

モアブの女「ルツ」はエッサイの祖父ボアズと結婚し、エッサイの父オベテが産まれた。
イスラエル人はモアブ人と付き合わなかった。
ところが主は、モアブの女が、キリストが誕生する家系に加わることをゆるされたのである。

ダビデが王に選ばれたことも、このことと同様である。彼は兄弟からのけ者にされていた。

「私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。」詩編69:7

これらのことから、主の目は、人が見逃すような低い状況の中にも、しっかりと届いていることを知ることができる。主の哀れみは、最も低いところまで及ぶ。
この真理は、私たち罪人にとっての大いなる慰めである。

★ダビデの出生についての考察は、別の記事に詳しく書く予定です。

家族にとって、この油注ぎは何かの「間違い」だと思われたのだろう。その証拠に、彼らはダビデに油注がれた後も、彼に対して横柄な態度を変えていない。ダビデもまた、羊飼いとして今まで通り過ごした。しかし、主に選ばれた者は、主が定めた人生を歩むよう導かれる。ダビデの場合もそうであった。彼は、間もなくして、サウルに召しかかえられた。

2 サウル王の道具持ちになる 1サム16:15~

主の霊はサウルを離れ、主からの悪い霊が彼をおびえさせた。そこでサウルの家来たちは彼に言った。
「ご覧ください。神からの悪い霊があなたをおびえさせているのです。わが君。どうか御前にはべるこの家来どもに命じて、じょうずに立琴をひく者を捜させてください。神からの悪い霊があなたに臨むとき、その者が琴をひけば、 あなたは良くなられるでしょう。」1サム16:14~16

  1. 家来たちはダビデを推薦した
  2. ダビデはサウルの道具持ちになった。王はダビデを非常に愛した。16:21

2-1考察 主はサウルの精神を病ませた。これにより、ダビデはサウルに仕えることになった。

サウルは不安に陥った。これが、神に背く者の報い。人々の前では勇敢に振る舞っても、夜1人になると、怖くて眠れない。荒れ狂い、叫び、恐怖に震え上がった。このことは、家臣たちも気づいて心配した。1サム16:16

そこで琴をかなでる評判の良い若者をサウルに推薦した。それがダビデであった。
ダビデは、王の家臣からの要請でサウルに仕えるようになった。
主は、サウルの精神を病ませ、ダビデが王に仕えるきっかけを与えた。

人の計画によらず、神の計画に従ってダビデは導かれていた。

3 敵の大男「ゴリアテ」を倒す 17章

おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。・・・
すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。1サム17:45,46

  1. ペリシテ軍の大男ゴリアテ 身長2m58cm(6キュピト半)
    600gの長やり、青銅のかぶと、5~6kgの青銅の胸当て、青銅のすねあて
  2. ゴリアテは40日間、夕暮れに現れ、1対1の戦いを挑んだ。
    しかし、イスラエル軍の中に戦う者はいなかった。
  3. サウル王は、戦いに勝った者に報酬を約束した。
    大金、王の娘との結婚、家族は兵役と税金を免除する。
  4. 兄たちの様子を見に来ていたダビデは、戦うことを申し出た。(報酬を3度も確認した)
  5. ダビデは、よろいをつけず、石投げ、自分の杖を持ち、川でなめらかな石5個をとった。
    ゴリアテが近づいて来た時、彼のみけんに石を命中させて殺した。
    ゴリアテの首を彼の剣で切り落とした。17:45~47

3-1考察 ダビデにはゴリアテに勝つ戦略があった。羊飼いとして熊をしとめた経験があった。

ダビデは、信仰だけでコリアテに向かって行ったのではなかった。彼には、戦略があった。

彼は羊飼いだった。熊は羊を襲って来る。そのとき、彼は熊を石で撃ち殺していた。
ダビデは、ゴリアテも熊と変わりないと考えた。
羊飼いとして、しっかりと働いてきたことが、このとき役にたったのだ。

私たちは、今の仕事を無意味だと思ってはいないだろうか。
自分はもっと重要な仕事をする器だと思っていて、今の仕事を適当にしていないか。

主の働きのための召命は、いつも突然に与えられる。それは、普段の仕事を工夫し、忠実になす者の上に下る。小さな、何気ないことが、将来の大きな仕事に役立つのだ。
ダビデがその良い例であるといえる。羊飼いとしてのスキルが戦場で役に立ったのだ。

重要な地位を与えることは主が決められると。これは私たちの領域ではない。
私たちとしては、今与えられている仕事を、心をこめてすることである。
このことを覚えていきたい。

3-2考察 ダビデは、「主の御名のための戦いは、主が勝利させてくださる」と確信した。

ゴリアテは2m80cmの大男、先頭の経験も豊富で、鎧、兜で身を包み、長い槍を持っていた。

それに対してダビデは若く、戦闘の経験もなく、鎧もつけず、武器は石だった。
どう考えてもダビデが負けると人々は思ったことだろう。しかし、ダビデの思いは違っていた。

この戦いは「主の誉れを守るため戦い」であった。
ゴリアテに負けるなら、イスラエルの神が無力であることになる。

「私に力がなくても、主はご自分の御名がはずかしめられないために、必ず私を勝たせるであろう」とダビデは確信していた。そして、ダビデが信じた通り、主は彼の放った石を一発目で、ゴリアテの急所に命中させてくださった。戦闘経験のない若い男が、勇士ゴリアテを倒すようにされ、ご自身の力をペリシテ軍に見せつけた。

このことから、主の栄誉を守るのための戦いは、主が助けて勝利させてくださることを知る。

4 サウルはダビデをねたむ

ダビデは、サウルが遣わす所どこででも勝利した。イスラエルの人々はダビデを愛した。サウルはダビデをねたんだ。

人々は歌った。「サウルは千を打ち、ダビデはマンを打った。」
「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」
その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。18:7,8

  1. その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で泣きわめいた。
    ダビデはいつものように琴を弾いていた。サウルは、手にあった槍をダビデに投げつけた。

サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。18:12

  1. サウルは娘ミカルを妻にしていい。その代わりペリシテ人の皮100枚を持ってこいと条件をつけた。(これで、ダビデは死ぬだろうと考えた)しかし、ダビデは期限を過ぎる前に、ペリシテ人の陽の皮300枚を持って来た。

5 サウルはダビデを殺すことを決意する 19~20章

  1. サウルは、ダビデを殺すことを息子や家来に告げた。19:1
  2. 主のわざわいの霊が、再びサウルに望む。
    サウルは琴を手にするダビデを、槍で壁に突き刺そうとした。19:10
  3. さらに、逃げたダビデを追わせて殺そうとした。
    妻ミカルが追っ手をだまし、ダビデを逃した。19:12
  4. ヨナタンは父サウルの本心を確かめ、ダビデに知らせた。
    岩に隠れていてください。私が父の心を確かめます。
    あなたが安全なら石の前に、危険なら石の向こうに矢を放ちましょう。20:2~
  5. ヨナタンとダビデは約束をする
    「たとい、私が死ぬようなことがあっても、私の家を絶たないでほしい。」20:15

5-1考察 神が祝福する人を、人は失脚させることはできない

サウルはダビデを殺そうとしたが、殺せなかった。ダビデを打つ絶好のチャンスがきたとき、
ペリシテ人の侵略の知らせが入り、サウルはその場を離れなければならなかった。
彼はあらゆる手を尽くしたが失敗した。それはなぜか。

その理由は、サウルがだびでを殺すことが主の御心ではなかったからである。
主がダビデの命を救われたから、サウルは殺すことができなかったのだ。

このことから、主が祝福する人間を、人は失脚させることはできないことがわかる。
クリスチャンも同様である。主が選び出して救った聖徒たちには、主からの特別な守りがある。

彼らは自分に与えられた使命を果たすまでは、他人が妨害しようが、何をしようが、彼らの働きを止める試みは、一時的に成功を治めたように見えても、最終的にはみな失敗に終わる。
このことに勇気を得よう。反対者の力を必要以上に恐れてはならない。
主の側に立ち、主の御心のために前進していこう。主は必ず守ってくださる。

5-2考察 旧約時代は、神に従う者には「祝福」、従わない者には「のろい」が与えられた。
この明らかな区別は、私たちに対してのメッセージである。
私たちが、いっそう神に感謝し、神を恐れかしこんで仕えるためである。

旧約時代には、主の霊は、人に降りたり、去ったりした。主に従う者には聖霊が豊かに注がれ、彼らは「祝福」を受けた。また、主従わない者からは、聖霊は去り、彼らは「のろい」を受けた。

主の霊はサウルを離れ、その代わりに、主からのわざわいの霊が彼をおびえさせた。1サム16:14

彼には精神異常の様子が現れる。おびえたり、叫んだり、怒鳴ったり。
家臣も病的であることを認めるほどになった。

その一方、油そそぎを受けたダビデの上には、主の霊が激しく下った。1サム16;13

ダビデは、琴が上手で勇敢であり、評判の良い若者に成長した。
彼のうわさは、サウルの家臣が知るほど広まっていた。
サウルに仕えるようになってからは、遣わされる所どこででも勝利を治めた。1サム18:5

人々もダビデを愛した。サウルの娘ミカルもダビデを愛した。

このように、主は、ご自身の霊を宿す者を祝福する。
しかし、主の霊が去るほどに主を怒らせた者に対しては、主は厳しく扱われた。

この明らかな区別は、後の人々に対する教訓としての意味を持つ。

キリストの十字架以降、聖徒の罪は完全に赦されるようになった。もやは、私たちは「過去の罪」の責めを負うことはない。また、聖霊は、いったん聖徒に下るなら、死ぬまで聖徒を離れることはない。
罪がゆるされ天国が約束されているからといって、聖霊の忠告を無視して、自分勝手に罪を犯してもいいということにはならない。新約時代の神も旧約時代の神と同じだからである。
旧約聖書を読むと、罪に対して容赦のない神のご性質を、私たち知る。

キリストの仲裁がいなければ、私たちも旧約の聖徒たちと同じように、さばかれているのだ。
だから、旧約時代の神の厳しい側面を知ることは、私たちにとって益になる。
私たちのキリストに対する感謝が増し加わるからである。

また、私たちが天国を確約されたことに安住して、この世で主の御心に歩むことを怠らないために有効である。だから、新約聖書しか説教しない教会は、信徒を正しく導くことはできない。

私たちとしては、神を恐れかしこみつつ、与えられた恵みの立場(キリストの血によって罪のさばきを受けることがなくなった)を心から感謝して、主に忠実に仕えることである。

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