<エペソ人への手紙1章 要約>
神の天地創造の前からの計画に従って、救いが与えられた真理が明かされる。
救いは、自分から努力して得るものではなく、神からの賜物です。
神は各人に目的をもって救いを与えます。それは、救いを得た人間ではなく、救いを与えた神がほめたたえられるためです。また、神が集めた信者たちで構成される教会を建て上げるためです。
<エペソ人への手紙1章 解釈>
- 1 Ⅰ 天地創造の前から神に選ばれて救われた
- 2 Ⅱ 神の最終的な計画 キリストを最高権威とする世界(天国)を出現させること
- 3 Ⅲ エペソ教会への助言 神を知る知識を増し加えなさい
- 3.1 考察1 地球が造られる前からの選びによって救われた。 だから信者の地上での歩みと天での完成は保証されている。3-6、11節
- 3.2 考察2 神は、長いプロセスを経て「キリスト」を到来させた。それは私たちがキリストをメシヤだと知るため。このことを無視する罪は重いことを知らなければならない。7-10節
- 3.3 考察3 神の偉大な計画は「御国」の完成。御国に入れられることを期待して、信仰の歩みを進めよう。10-14,21節
- 3.4 考察4 常識や理性を用いて、神を正しく知ることはできない。 神についての正しい知識は「みことば」と「御霊」によって与えられる。17-19
- 3.5 考察5 教会の最高の権威はキリスト。教会は、キリストの支配に服従しなければならない。22-23節
Ⅰ 天地創造の前から神に選ばれて救われた
Ⅰ―1救われた人は、神から祝福を受けた人。
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
救われた人は、神に祝福された人です。彼らは「霊的な祝福」を約束されています。「霊的祝福」とは、救いや永遠の命、天国を相続することなどです。
律法(行い)によって得ることができなかった祝福を、神は与えてくださったのです。ですから、救われた人は神をほめたたえなければなりません。
Ⅰ―2天地創造の前から、救いに選ばれていた。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
私たちの救いは神の計画によるものです。神はこの世界が造られる以前から、私たちを選んでおられました。救った人たちの罪をゆるし、神の前に立つことができるようにして、天国に集めようと計画されたのです。神はご自分の思いのままに、滅びゆく私たちを選び、愛の思いをもって救ってくださったのです。
Ⅰ―3なぜ救いが神の定めによるのか。
それは、「キリストによる救いのわざ」がほめたたえられるため。
1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
救いが人の行いによらず、神の計画によって与えられるのはなぜでしょうか。
それは、神が愛される御子キリストによって成就された救いの恵みがほめたたえられるためです。救いを受けた人は、キリストの血による「罪のゆるし」を受けました。「罪のゆるし」は、その人が良い人だったからではなく、神の一方的なあわれみによって与えられました。
ですから、感謝と賛美は神にのみに捧げられるべきことになります。
神はこのようにしてご自身が栄光を受けられることを望まれたのです。
Ⅱ 神の最終的な計画
キリストを最高権威とする世界(天国)を出現させること
Ⅱ―1「キリストを王とする国」を造ることが神の最終的な計画。
1:8 神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、
1:10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。
神はクリスチャンたちに神の奥義を知らせてくださいました。神の計画は、すでに死んだ信者たち、またキリストの再臨の時に生きている信者たちをキリストの下に集めて、ご自身が王である国を造られるということです。
Ⅱ―2ユダヤ人の救いは神の計画による。
その目的は、メシヤの到来を知った彼らに神をほめたたえさせるため。
1:11 私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなりました。私たちは、みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。
ユダヤ人であるパウロたちは、天国を相続する者になりました。これは、計画を皆実現される神の目的によります。つまり、救われたユダヤ人たちは、神によってあらかじめ救いに定められていたのです。さらに、私たちが救われた後、何をするのかも神は定めておられるのです。
神がユダヤ人を救った目的は、待ち望んでいたメシヤが、本当に現れたことを知った彼らに、神の栄光をほめたたえさせるためです。
Ⅱ―3異邦人が救われることも神の計画だった。
その目的は、全ての民族が神をほめたたえるため。
1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
異邦人(ユダヤ人以外の外国人)たちは、自分たちを救う神の力である福音を聞き信じました。
そして彼らが救われたことの証拠として、神は聖霊を彼らにくだされました。
聖霊は異邦人たちが救われたことの保証です。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(新改訳)
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。(新共同訳)
異邦人も神の民に加えられることは、世のはじめから定められていましした。
それは、ユダヤ人だけではなく、すべての民族が神をほめたたえるためです。
Ⅲ エペソ教会への助言 神を知る知識を増し加えなさい
Ⅲ―1神を知りなさい。そのために知恵と御霊の啓示が与えられるように。
1:15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、
1:16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。
1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
信者は、初歩の段階にとどまるべきではありません。他者を教えることができるまでに成長しなければなりません。そのためには神を正しく知らなければなりません。御霊が神を知る知恵と啓示を与えてくださいます。私たちは御霊に助けを祈りつつ、聖書を学ばなければなりません。
Ⅲ―2神の恵みの素晴らしさを知りなさい。
1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
エペソの信者たちが神を信じたことで、与えられた希望とは何でしょうか。
それは、天国です。そして天国で彼らが受け継ぐものです。それらがどれほど素晴らしいものかを知ることができるようにとパウロは祈ります。
パウロは天国を見た人です。天で与えられる信者の栄光を知っていました。
信者が、将来与えられる栄光の素晴らしさを知っていることは重要です。
なぜなら、現在、信仰を保つために受ける苦しみなどは問題にならなくなるからです。
Ⅲ―3神の偉大な力を知りなさい。
1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、
神は偉大な力を持っておられます。その力の偉大さは、キリストを蘇らせたほどです。しかし神の力はそれだけにとどまりません。それは、キリストを王としてこの世と次に来る世を支配させるほどに力強いものです。
クリスチャンたちは、神の偉大な力を知る時、困難に立ち向かう勇気を得ることができます。なぜなら、力ある方が自分の味方であり、自分を助けていてくださることを知ることができるからです。
Ⅲ―4キリストは、今の世界と次の世界の「最高権威」です。
1:20天上においてご自分の右の座に着かせて、
1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
キリスの権威は、世のいかなる強力な支配者の権威よりも勝っています。
またキリストは、次に来る世においても最高の権威を持つお方です。
Ⅲ―5キリストが教会の「最高権威」であることを知って、キリストに従いなさい。
1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
神はキリストに、いっさいのものを支配する権威をキリストにお与えになりました。信者の集まりである教会もその例外ではありません。
教会を支配する方は、キリストです。教会は、キリストを「かしら」とし、信者たちを体の各部分とする、神のために働くキリストの器官です。ですから信者たち1人1人は、キリストに聞き従わなければなりません。そうでなければ、その集合体である教会が、神の御心を十分に行うことができないからです。
<エペソ人への手紙1章 考察と適応>
考察1 地球が造られる前からの選びによって救われた。
だから信者の地上での歩みと天での完成は保証されている。3-6、11節
考察1-1クリスチャンは「救い」「聖化」「栄化」が保証されている。
信仰者は生まれる前から救いに定められています。クリスチャンは救いの確信を持つことができます。なぜなら救いが神の計画によるからです。
また、信者には聖霊による内的な保証も与えられています。
さらに聖霊は、救いを保証するだけではなく、信者を聖化します。
ですから、信仰者の歩みは、神によって「救い」「聖化」「完成」がなされる、保証された歩みです。
考察1-2救いに選ばれたことを誇ってはならない。
自分に価値があったから、神から救いに選ばれたのではありません。
神があなたを「救う」と決めたから救われたのです。ですから、クリスチャンには、選ばれたことを誇る資格はありません。むしろ身に余る光栄として、神に感謝をささげるべきです。
考察1-3あなたが救われた目的を神は定めておられる。
神は導きの中で、必ずあなたに知らせる。
その人がクリスチャンになってから何をして神に栄光を帰するかをすら、その人が救われる前から、神はあらかじめ定めておられます。ですから、信者は神のための奉仕を探しまわる必要はありません。
私たちが神の栄光のために何をするかは、時に応じて神が知らせてくださいます。このことは、神のために良い働きをする機会を逃してはならないと思う焦り、逃した機会を悔やむ後悔から私たちを解放してくれます。
考察1-4全てにおいて神に栄光を帰する。これが、神が信者に望む生き方。
神は、救った者たちによって、ご自分がほめたたえられることを望まれました。私たちは神をほめたたえるために救われたのです。ですから、救われた人が、神がほめたたえられるために働き、人生に起こるすべてにおいて、神に栄光を帰すことを神は望んでおられます。
考察2 神は、長いプロセスを経て「キリスト」を到来させた。それは私たちがキリストをメシヤだと知るため。このことを無視する罪は重いことを知らなければならない。7-10節
考察2-1神は、メシヤを到来させるまで長い時間をかけられた。
神は長い待ち望みの期間の後、救い主を誕生させました。
長い間の待ち望みが与えられた理由は、イスラエルの人々に、神に従えない罪があることを自覚させるためでした。そしてイスラエルの事例を通して、異邦人たちにも、自分たちの罪を悟らせるためでした。
キリストはユダヤ人として生まれたにもかかわらず、ユダヤ人はキリストを十字架にかけて殺しました。しかし神はキリストを復活させて、キリストが神であることを証明しました。さらに、異邦人にも救いを与えられました。これら全ての出来事は、神によってあらかじめ計画されていたことでした。
私たちにご自身を知らせるために、神はこのように長い過程を用意なさったのです。
考察2-2この神の配慮を無視する罪は重いことを知らなければならない。
神がこれほどまでに私たちのために配慮してくださったにもかかわらず、私たちがそれでも神を信じないなら、死後に神の裁きを受けても当然だと言えるのではないでしょうか。
この世で一番重要なことは、「キリスト」を救い主として信じることです。
1人でも多くの方が、「キリスト」を自分の救い主だと信じることができるようにと祈ります。
考察3 神の偉大な計画は「御国」の完成。御国に入れられることを期待して、信仰の歩みを進めよう。10-14,21節
考察3-1神は必ず御国を実現させる。
神の最終的な計画は、キリストを王とする国の実現です。
私たちは、将来実現する神の国に加えられるために救われました。
この世には、悪が満ち、神を知らない人たちはこの世を大いに楽しんでいます。
しかし、私たちクリスチャンは、神は、ご自分が定めたことを必ず実現されることを知っています。いつかこの世は終わり、神の国が到来します。
考察3-2御国に入る幸いを、今から喜んで歩んでいこう。
ですから、クリスチャンになったために、この世で多くの困難を経験しなければならなかったとしても、将来、御国に入れられることを今から喜んで、信仰の歩みを進めていきましょう。神の偉大な力が自分を救ったこと、そして最後まで自分を導いていることを知って勇敢に前進し続けましょう。
御国の実現を大いに期待して、神から与えられた歩みを進めて行きましょう。
考察4 常識や理性を用いて、神を正しく知ることはできない。
神についての正しい知識は「みことば」と「御霊」によって与えられる。17-19
考察4-1救われた人にとって、神を知ることは、大きな喜び。
自分の救いについて神がなされたこと、神の偉大さ、全能、全知、将来に約束されている恵みなどなど、神を知ることは、本当にすばらしいことです。
それらを知るために、私たちは聖書を読まなければなりません。
しかし、古い人のままの心で聖書を読んでも、あなたはかえって聖書につまずくでしょう。古い人には、常識とか理性によって理解することしかできないからです。
聖書から本当に神を知る恵みにあずかるためには、御霊によって心が新しくされていなければなりません。パウロが祈っているように、御霊を持つ人は、御霊が聖書の真理を解き明かしてくださり、神を知る知識を増し加えてくださるからです。
考察4-2聖書の一部だけから神を知ろうとしてはならない。
聖書全体から神を理解しなければならない。
聖書の1節に感動して、神を知ったとするのではなく、聖書全体から、神について知っていくことが重要です。そのためには、通読を何回したというのではなく、みことばを味わいながら、1章ずつ、疑問に思うことを調べながら、読んでいくのがよいかと思います。
考察4-3「教師」や「信仰書」を頼って聖書を読まない人はだまされる。
「この先生の話だから間違いがない」と、その人の話を全て信じるのは危険です。間違いを犯さない人間は、1人もいないからです。
また、「信仰書」に頼ってもだめです。信仰書は、著者の神学的な傾向にもとづいて書かれています。もし、その著者の神学が正しくなければ、あなたは間違って説得されることになるからです。自分で聖書を読んで神を知ることをしんどく思って、これらのことに頼るなら危険だと言えます。
考察4-4「教師」や「信仰書」を無批判に信頼しない。
自分で聖書を読み、神を知る知識を増し加える努力を惜しんではならない。
ですから、時間のかかることですが、自分で聖書を読み、調べなければなりません。でも、このことはクリスチャンであれば喜びであるはずです。なぜなら、神の前に静まって、神のことばを聞く時を持つことだからです。
本当に救われた人には聖霊が宿っています。みことばを読むとき、聖霊があなたに真理を悟らせてくださいます。このようにして、神について知り自分の信仰を確立していってほしいものです。そして、間違った福音を聞くなら、それに気づいて退けてほしいものです。
考察5 教会の最高の権威はキリスト。教会は、キリストの支配に服従しなければならない。22-23節
考察5-1教会の最高権威はキリスト。
教会がキリストに従わなければ、御心は実現できない。
キリストは教会で最高の権威を持つお方です。
教会は、キリストの命令に従い、みこころを実現するために存在します。
この節では、教会が「キリストのからだ」にたとえられています。
キリストが頭で、信者は手足です。私たちは頭で考えたことを、体を使って実現します。
もし頭で考えたことを体が実行しなければ、意志したことは実現できません。
同様に、教会がキリストに従わなければ、神の御心は実現されません。
考察5―2教会を構成するのは信者たち。
教会が主に従うために、信者1人1人が主に服従する必要がある。
ところで、私たちの教会にキリストの支配は満ちているでしょうか。
人間の支配が、教会に満ちていないでしょうか。
私たちがキリストに服従しないために、教会が御心を実現できなくなってはいないでしょうか。
教会は信者の集合体です。神はそれぞれの信者に賜物を与えておられます。
教会は、これらの賜物を組み合わせて、神のみこころを行うための器官です。
ですから教会がキリストの命令に従い、主の御心を実行するために、信者1人1人がキリストに従っていなければなりません。
考察5-3教会を監督する人は、主に従順でなければならない。
彼らの判断の責任は重いから。
教会の長老たちは、神の目的を実現するために、信者たちの賜物を組み合わせて働かせる責任を負っています。
そのため、教会の監督をゆだねられている牧師や長老、役員が、キリストに従った判断をしているかどうかが非常に重要です。彼らの従順によって、教会が神の御心を実現できるかどうかが大きく左右されるからです。
教会はキリストが最高の権威を持っておられ、キリストの支配が満ちている場所です。そのためには、各信者のうちに、信者の共同体である教会のうちに、キリストの支配が満ち満ちていなければなりません。
私たちは、キリストのからだなる教会を建て上げる責任を負っているのです。
このことを真剣に受けとめて、それぞれに与えられた責任を忠実に果たしていきたいと思います。