エペソ人への手紙5章「光の子らしく歩みなさい」「夫は妻を愛し、妻は夫に従いなさい」

<エペソ人への手紙5章 要約>

聖霊によって新しい心が与えられ、天国が約束されている信徒たちに対してパウロは助言する。
各人が置かれている立場ごとに、実践すべきことを伝える。
また、2人が信者である夫婦の正しいあり方について助言する。

<エペソ人への手紙5章 解釈>

Ⅰ 聖霊を受けて新生したあなたがたは、罪から離れなさい

 5:1 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

Ⅰ―0 「ですから」とは、  
救われたあなたたちは、1章から4章で説明した立場を与えられた人だから、
5章、6章で語ることを実践しなさいと言う意味です。

1章から4章で明らかにされた救われた人の立場は、次のようなものでした。

  • 救われた人は、永遠の昔からの神に選ばれ、救いに定められていた。
  • 彼らは、生まれつき神の怒りを受けるべき、罪過の中に死んでいた者であった。救われることに関して、全く無力な者であった。
  • そのような彼らに、神は聖霊を与えて、心を一新させ、創造主を信じることを可能にした。
  • あなた方は、自分の意志や努力によって救いを獲得したのではなかった。
    それは、一方的な神の恵みによって与えられた。
  • だから、救いを受けたことを誇ることはできない。
    神に感謝して、神に喜ばれる歩みをする。

5章、6章の勧めは、救われていない人に対して語られていないことを、私たちは理解しましょう。
救われていない人が求めるべき第一のことは、「良い行い」ではなく、「救い」だからです。
御霊を持たない人の善行は、自分を誇る思いを強くさせるだけだからです。
自力による善行に励んでいたパリサイ人たちが、イエスを十字架につけたからです。

「信仰(キリストへの信仰)から出ていないことは、みな罪」だからです。
ローマ書14章23節

しかし、御霊をもつ、救われた信者の場合は別です。
彼らは、御霊によって、神に喜ばれる良い行いができるのです。
ですからパウロは、彼らに良い行いに励むように勧めます。

Ⅰ―1 ゆるし合い、仕え合いなさい。
キリストは、信者とされた人々の罪をゆるすために、ご自分の命を捧げられました。
ですから、私たちもまた、悔い改めた友をゆるし、交わりを回復するべきです。
自分が正しかったから、救いが与えられたのではありません。
自分は、罪に死んでいたのに、神が救ってくださったことを忘れてはいけません。そして、他の兄弟姉妹対して、キリストの愛を土台とした交わりを持たなければなりません。

5:3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。
5:4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。
5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。
5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。

1-2 汚れた言動を止めなさい。悪い友人から離れなさい。
キリストに罪はありませんでした。罪を犯すこともありませんでした。
ですから、1節に言われていた「神にならう」者になるならば、汚れた行いから離れなければなりません。
そして、3節から7節には、具体的な指導が続きます。

1.性的な罪から離れなさい。
性的な罪を犯してはいけません。それらを語ることもいけません。3節

2.言葉を聖く保ちなさい。悪い言葉を使ってはならない。
言葉が聖くなければなりません。わいせつな話や下品な冗談、愚かな話を避けることなどです。
かえって、神に感謝することを語るべきです。4節

3.神が自分に与えてくださったもの以上を、欲しがってはならない。
貪欲(どんよく)神が与えた以上を欲しがることは罪。5節

4.他の神を拝むことだけが、偶像礼拝ではない。
不品行も、どん欲も偶像礼拝である。だからこれらから離れなさい。
このようなことをする者は、天国に入ることはできない。5節

5.あなたに罪を犯させる友人から離れなさい。
金儲けや快楽を約束して、あなたに罪を犯させる友人がいます。
また、あなたの欲望を刺激して不品行を犯させる人がいます。
また、ある人は、救われることができない「むなしい」ことばであなたを説得し、偽りの約束を信じさせて、間違った福音を信じさせるかもしれません。
ですから、彼らと仲良くして、罪を犯してはなりません。
自分を過信してはいけません。彼らから離れなければなりません。7節

Ⅱ 光の子らしく、悪をさばき、正義と真実に従って生きなさい

5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。
5:9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。――
5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

Ⅱ―1あなたがたは救われて「闇」から「光」となった。
キリストを知らない以前の霊的な状態は「暗闇」でした。
しかし今は、神によって救いが与えられ、この世に神の栄光を知らせる「光」となったのです。ですから、「光とされた者」らしく、正義と真実の内に歩まなければなりません。8節
そのためにはどうすればいいかが以下のように教えられています。

Ⅱ―2光の子らしく善意、正義の内に歩め。そのために主の御心を知れ。
光の子は、善意、正義、真実をこの世に現わします。そのためには聖書を良く調べて、何が真実であり神に喜ばれるのかを知ることです。そして知るだけではなく、神に喜ばれる歩みを実行することです。9―10節

Ⅱ―3悪を明るみに出して、さばきなさい。11節
神を知らない人たち、神に従わない信者たちの不品行や悪を見逃すことが愛ではありません。彼らが隠れて行う悪を、明るみに出さなければなりません。彼らに罪を認めさせて、裁くことです。これが光の子の務めです。11―12節

Ⅱ―4なぜなら、自分の罪を認めて悔い改めた「罪びと」は、「光の子」になることができるかもしれないから。
しかし驚くべきことに、自分の罪を神の前に認めて悔い改めた「罪びと」が「光の子」になります。ちょうどエペソの人たちが回心する前は、霊的に「暗闇」でしたが、悔い改めて「光」となったことと同様です。

自分が神にさばかれる存在であることに気づかない人は眠っている人にたとえられています。彼らは目をさまさなければなりません。自分の失われた状態を知るならば、キリストが命を与えてくださる恵みがわかるからです。14節

Ⅲ 神を恐れ尊敬して、神に従う生活をしなさい

5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
5:21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。

Ⅲ―1 御心にそった歩みができているか、注意していなさい。
キリスト者は、御心に従った歩みができているかどうかを、いつも注意している必要があります。
なぜなら、この世には、キリスト者を信仰から離れさせる多くの誘惑があるからです。賢くない歩みをして罪を犯してはなりません。

Ⅲ―2 時を大切に用いなさい。神に仕える好機を逃さないように。
この書簡が書かれた当時、ネロの迫害により多くの信者が殺されました。
また、ローマ帝国も4人の皇帝が乱立し情勢は不安定でした。

この4年ほど後に、パウロは殉教し、ペテロも殉教しています。
どの信者にとっても、残された時間は短く貴重でした。
だからこそ、生きて主のために働ける好機を逃さないようにと勧めています。
このことは、私たちにとっても同様のことです。15-17節

Ⅲ―3酒に酔って、罪を犯してはならない。
人は、気分がむしゃくしゃする時、いやなことを忘れたいときに酒を飲みます。
そのような時、酒の量が増えるものです。酒に酔って自制心を失う時に、けんかや性的罪を犯しやすくなります。
ですから、酒に酔ってはならないと言われます。
キリスト者は、酒に酔って気分を晴らすのではなく、御霊に満たされて喜びにあふれなさいと指導されています。18節

Ⅲ―3良い日も悪い日も、主をあがめ賛美しなさい。
良いことだけではなく、悪いことの内にも神が働いておられることを認めていくことです。
このことは、全てにおいて神の主権を認めて生きるなら、納得できます。
自分の人生に起きる全てのことを用いて、神は益としてくださると信じるからです。(19、20節)
良い日も悪い日も、キリストを尊って従いなさいと勧められています。(21節)

Ⅳ キリスト者の夫妻のあり方についての助言

5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

Ⅳ―1妻は夫に自発的に従いなさい。
夫と妻の関係が、キリストと教会の関係にたとえられています。
キリストは教会のかしらであり、教会に集う信者の救い主です。
夫は、妻の救い主ではありませんが、キリストが教会を守られたように、妻を保護する存在です。ですから、教会がキリストに従うように、妻は自発的に夫に従順であるべきだと助言されています。
ただし、これは夫がキリストに従っているならば、という前提があってのことであることを忘れてはいけません。

5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
5:29 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。

Ⅳ―2夫は命がけで妻を愛しなさい。
夫は、妻を、霊的、肉体的に「聖い者」に養い育てなさい。
夫は命がけで妻を愛しなさい。
キリストが教会を愛してご自身の命を捧げられたように、夫は、命がけで自分の妻を愛し保護するようにと言われています。25節

夫は、妻を、霊的、肉体的に「聖い者」に養い育てなさい。
キリストは、神に喜ばれる教会を建て上げるためにご自身をささげられました。
そのように、夫は妻を霊的に汚れのない者、神に喜ばれる信仰を持つ者として成長させなければなりません。
そのために夫は妻を指導する努力を怠ってはならないと忠告されています。

妻を不品行から守りなさい。
また当時の社会で、当然とされていた不品行や姦淫によって、妻が肉体的に汚れることがないようにもしなければなりません。26-27節

妻を愛することは、自分を愛することになる。
そして、夫は自分を愛するように、妻を愛しなさいと言われます。
妻を養い育てることは、自分の身を愛し大切にしていることだからです。28節

夫と妻の関係は、教会とキリストの関係と同じ
キリストが教会のために命を捧げたのは、教会(信者)を救うためだけではなく、教会を聖めて、神によろこばれる捧げものとするためでもあったのです。
キリストが教会を守り導いているように、夫は妻を養い、導かなければなりません。29節
キリストと教会は1つ。教会はキリストのからだです。

そのように、夫と妻は1体とされ、妻のかしらは夫です。教会がキリストに従うように、妻は夫を敬い従います。そのためには、夫は、キリストが教会に命を与えるために、ご自分の命を捨てられたように、妻を愛し、守らなければなりません。キリストが教会を導いておられるように、妻を聖めて、霊的に成長させなければなりません。30節

5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
5:33 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

Ⅳ―4 キリストと教会の奥義が、夫と妻の関係に適応される。
夫婦の仲は、親子関係に勝って親密なものです。
夫は、妻に敬われる存在であるように努め、主に忠実に妻を愛し守らなければなりません。
妻は夫を敬い助ける務めを果たさなければなりません。

この命令は、一方的な押し付けではなく、双方に主への従順が課せられた上での命令です。そして、そのように妻と夫が主に従うとき、お互いに自主的に仕え合うことができるのです。

キリストと教会についての奥義(原理)は偉大です。
夫と妻も、この奥義に従って互いに仕え合うべきです。32節

<エペソ人への手紙5章 考察と適応>

考察1 「光の子」として歩むために、悪から離れなければならない。1-7節

「ですから、彼らの仲間になってはいけません。」7節

1節にある「光の子として歩む」というとは、「罪からの分離」を意味します。
御霊を受けているクリスチャンであれば、神を悲しませる闇の行いを嫌うようになります。それらから、離れたいと思います。
ですから、あなたがクリスチャンになった後、古い友人たちは、あなたが彼らと同じことを楽しまなくなったので、離れていくかもしれません。
しかし、信仰を持ってからは、悪い影響を受ける人からは離れていいのです。

また、御霊の人は、自分の悪い習慣を嫌うようになります。
「もう少ししたら止めよう」という人は、悪習慣を止められない人です。
信者には、自分の力を超えた御霊の助けがあります。
ですから、御霊の人は、御霊の助けを祈りましょう。
神に従いましょう。御霊を悲しませることがないようにしましょう。
このようにして、歩みを進めるならば、あなたの心を満たす新しい友人や、新しい良い習慣ができることでしょう。

考察2「光の子」=「救われた人」の使命は、罪を明らかにすること。
罪を知らせることによって、罪人が悔い改めて救われるため。11-13節

「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみにだしなさい」11節、「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」13節

「光の子」の務めは、教会の外で出会う人たちや、まだ救われていないが教会に集う人たちが、隠れて楽しんでいる罪が、神にさばかれることを知らせることです。
天国は全く罪のない場所ですので、彼らは天国に入れない。
彼らは、死後、永遠にさばかれる場所に行かなければならないことを警告することです。

彼らの罪を、寛容に見守って、忠告しないことが愛ではありません。
そうではなくて、彼らの罪を明らかにして、悔い改めることを勧めるのが、「光の子」とされた人の務めだと、この聖句は語っています。

罪人が自分の罪を認めて、神に赦しを願うならば、彼らの罪はゆるされます。
神にさばかれて当然であった罪びとに、天国を相続する「光の子」の立場が与えられるのです。
しかし、もし自分の罪に気づかず、神のさばきに無頓着であれば、悔い改めは不可能です。

ですから、人々に罪を明らかにする「光の子」であるキリスト者の務めは重要です。

しかし、福音を伝える人は、愚かであってはなりません。
福音を伝える前に、私たちは、神に従った聖い生活をしていなければなりません。
金銭や人との付き合いが誠実であること、仕事に実を入れて働いていることが、伝える人になければなりません。
その上で、知恵を用いて、語るべき時を賢く見分けて、私たちと関わりのある人たちに、神について知らせていこうではありませんか。

考察3 神の驚くべき神の恵み。
神の前に罪を悔い改めた「罪びと」が、「光の子」にされる。

「明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」14節

14節において、神の前に明らかにされた罪は、光になると言われています。
ここに、私たち罪人への大きな慰めがあります。
どのような罪も、神の前に明らかにして赦しを求めるならば、神はその罪を赦し、無かったかのように白くすると、聖書に約束されています。

ですから、クリスチャンは自分の罪を神に隠してはいけません。
良心の呵責を感じた時には、まず神に告白して赦しを受けることです。
多くの人は、迷惑をかけた人にどう対応したらいいかを、第一に考えます。
しかし、キリスト者は、神に罪を告白して赦しを受けてから、人に対することです。
罪ゆるされた信仰にしっかりと立った上で、人に対して罪のつぐないをすることが重要だからです。

また14節は、光の前に出された悪者は、すべて光となるとも理解できます。
どのような「悪人」も、悔い改めるならば「光の子」に変えられます。
神に不可能はありません。神は、ご自分が約束されたことを必ず守るお方です。
ですから、「自分は罪深いのでクリスチャンにはなれない」と落胆することは誤っています。

神のさばきを恐れて罪を隠すのではなく、神に罪を明らかにしましょう。
そして、神からの赦しを与えられましょう。
そして光の子としての新しい歩みを、神と共に大胆に進めていきましょう。

考察4 夫婦が調和して使命を実行するために、双方が主に従う必要がある。22-33節

夫には、キリストが教会になされたように妻を愛する責任があります。
もし、夫が神の命令に従って妻を扱うなら、妻は、夫の下で安全が守られ、夫に従い、夫を助けることができます。
しかし、夫が主の命令に従わず、妻を自分の利益のために、奴隷のように扱うなら、妻は大いに苦しむことになります。

また、たとえ夫が主に従って妻を扱っても、妻が主に従順でなければ、妻は夫に従いません。
ですから、夫と妻が調和して主の御心を実現するためには、夫と妻の両方が主に従うこと、主から自分に与えらえた責任を果たすことが必要です。

このことが可能になるとき、夫婦が協力して神の栄光を現すことができるのです。
妻についての責任だけが強調されることをよく聞きますが、
夫婦についての命令は、双方に与えられていることを覚えておくことは重要です。

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