BC538年 ペルシャが新バビロン王朝を倒した
その1年目ペルシャの王クロス王は、エルサレムの神殿再建を命令した
- 預言者エレミヤは、捕囚が70年に満ちる時、バビロンの国が滅びると預言した。
そのとき、イスラエルの民は、エルサレムに帰ることができると預言した。
ユダがバビロンに滅ぼされ、民が捕囚となったのは、BC568年であった。
エレミヤは、その70年後の538年にバビロンは滅びると預言した。
そして、預言の通りに実現した。
この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。
七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、――主の御告げ。――またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。エレミヤ25:11,12まことに主は、こう仰せられる。「バビロンに70年の満ちるころ。わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」エレミヤ29:10
- 主が、ペルシャの王クロスの心を奮い立たせて、神殿再建を命令させた。
ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふ れを出し、文書にして言った。エズラ1:1このことを、100年以上前にイザヤは預言していた。
わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据え られる。』と言う。」イザヤ44:28
主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。「わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その 門を閉じさせないようにする。
わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。
それは、わたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあ なたが知るためだ。
わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与え る。
わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。
それは、日の上る方からも、西からも、わたしのほかには、だれもいないことを、人々が知るためだ。わたしが主である。ほかにはいない。
わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
イザヤ45:1ー7 - 神殿を再建する方法(イスラエルの民でやりなさい)
- バビロンで捕囚となっているイスラエル人がエルサレムに戻り、神殿を建築せよ。
あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を 建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。エズラ1:3 - 寄留地に残るイスラエル人は、神殿建築のために資金を提供せよ。
残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげる ささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。エズラ1:4
- バビロンで捕囚となっているイスラエル人がエルサレムに戻り、神殿を建築せよ。
主は、異邦人の王クロスを用いて、ご自身の預言を成就した。
クロスはイスラエルの神を認めていたが、他の神々にも寛容であった。
ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜わった。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。エズラ1:2
クロス王は支配した地域の信仰に関して寛容でした。イスラエルの信仰についても同様であったと思われます。
また、主が彼の心を奮い立たせて、神殿を再建させたことも事実です。
しかし、彼が主への信仰をもっていたかどうか。また、彼が他国を従え、ペルシャが広大な領土を獲得できたことが、イスラエルの神、主によることを彼がどれほど理解していたかはわかりません。
しかし、聖書が語ることは、ペルシャを強くしたのは主であること。そして、その目的はペルシャによって、バビロンを滅ぼし、バビロンに捕囚となっている主の民をエルサレムに帰還させるためであったということです。エレミヤを通して語られたご自身のことばを成就するためであったのです。主が語られたことは、1つも地に落ちることなく成就する事実をここに見ることができます。
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を 成功させる。イザヤ55:9-11
異邦人のクロスが用いられた。これはユダヤ人には不本意なことであった。
このことから、神は異邦人の救いを計画しておられることがわかる。
また、イスラエルの民にとって、異邦人の王が用いられて主の預言を実現することは好ましく思わなかったであろうと思います。しかし、主はこのようにされました。それは、彼らの傲慢を砕くため、また、将来。イスラエルがキリストにつまづき、異邦人が信じて救いを受け、神の民とされていくという、神のご意思の現れでもありました。当時の人には理解できなかったでしょう。しかし、キリスト以降の時代に生きる私たちにとって、キリストの到来以前から、神が異邦人への憐みの思いを持っておられることを知ることができ、大いに励ましを受ける出来事であります。
イザヤとエレミアを通して語られた主の預言は成就した。
このことから、神は歴史に主体的に介入しておられることがわかる。
預言者イザヤは、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの四代(約60年)に渡って活躍した。
彼はクロスが出現する100年以上前に、クロスについて預言した。
イザヤ1章1節 に、預言者イザヤは下記の王の時代に預言を受けたと書かれている。
ウジヤ王(783-742)ウジヤの子ヨタム王(742-735摂政)アハズ王(BC736-715)
ヒゼキヤ王(BC715-687)
ペルシャ王クロス(キュロス2世)の第1年(前538年)に王は神殿再建の命令を出した。
これはエレミヤが預言した預言した捕囚70年後の解放と時期がピタリと一致する。
また、イザヤはクロスによる解放の100年以上前に「クロス」の名前を預言した。
クロスの率いる国が強大になること、それは主が彼に力を与えられるからであると預言した。彼の勝利は主がもたらしたものであって、主が諸国を彼下らせ、宝を与えて彼を豊かにするためだと預言した。(イザヤ45:1-3)その目的は、クロスがイスラエルの神こそ主であって、ほかにはいないことを知らせるためであった。そして、クロスの繁栄を見る人々も、主こそ神であることを知るためであった。(イザヤ45:3ー7)
主は歴史に主体的に関わっておられる。異邦人をも用いて、ご自身の計画を成就させている。
その目的は、主の民を悔い改めさせ、ご自身の全能の力を人々に知らせるため。
主は、ご自分の民を見捨てておられませんでした。捕囚のはじめに、彼らに帰還の希望を与えられました。
そして、主のことばは1つもたがうことなく実現しました。
私たちも、キリスト者となっているなら、主のご支配の中にあります。イスラエルの民が経験したような、暗い時期を通されることがあるかもしれません。そして、そのことは、イスラエルの民と同様に、自分の犯した罪が原因であるかもしれません。そうでないかもしれません。しかし、主は困難な出来事の中にも関与しておられることを、私たちは忘れないでおきたいものです。
バビロン捕囚に、主は目的をお持ちでした。それは、不信仰な民を戒めるための悔い改めさせるためでした。また捕囚は、彼らが主の全能の力を知るためにもなりました。なぜなら、強大な国バビロンが滅ぼされ、エルサレムに帰還することができたからです。私たちも、苦しみの時、主の全能、主の良きご計画を心に留めつつ、主に求め、忍耐し続けるなら、きっと主は、私たちを苦しみから解放してくださる日が来ると信じます。
神は後の人々の救いのために、イスラエルを存続させた。今の出来事だけを見て神を疑ってはならない。
自分たちには思い描くことができないような、壮大な神のシナリオがあることを、心に留めておくべき。
イスラエルの民に対する神の寛容に驚き覚えます。私たちにはとうていできないことです。
彼らは悪いものであって、預言者たちを殺し、主の忠告を退け、偶像を慕ってバアルを拝み、主に対して罪を犯し続けた「うなじのかたい民」です。
それにもかかわらず、主は彼らを見捨てず、帰還の希望を与え、救いの手を差し伸べ続けておられます。
彼らが滅亡するなら、キリストの出現もなく、救いの御わざが完成しないからです。
また、ご自分が造ったイスラエルの歴史を通して、私たちが主の全知全能のすばらしさを知り、ご自身こそ神であり他にはいないことを知るためです。(イザヤ45:6)
神は、後の時代の人々の救いのために、イスラエルの民が、神の憐みを受けるに値しないものであるにも関わらず、彼らを導き続けられたのでした。
このことから、人間には計り知れない神の壮大なシナリオがあることがわかります。
今起きている事柄だけを見て、神の愛を疑ったり、神のなさり方に文句を言うことは間違いであることがわかります。神には、私たちの理解を超えた深いご計画があるのです。ですから、たとえ今、自分の人生に対する神のなさり方が理解できなくても、主にゆだねて歩んでいくことが、キリスト者としての最善の生き方です。