キリスト教綱要3篇2章「信仰について」

キリスト教綱要 第3篇2章「信仰について」

信仰の定義

1.キリストについての真実な認識は、御父によって差し出された福音をそのまま受け入れることである。

2.信仰とは、我々に対する神の意志を御言葉から知り信じることである。

信仰はどのようにして始まるか?

  1. 信仰は神によって与えられる。神が御霊を与え、信じられるようにする。
    ルカ24:27、45 ヨハネ16:13 ヨハネ6:44
  2. 御霊こそ、信仰の始まりであることを示す聖句
    ローマ11:34 第1コリント2:10など
  3. 知性は神の奥義を愚かと思う。これは御霊によってしか理解されないことである。
    マタイ16:17 第1コリント2:14
  4. 神が与える聖霊によって、神の言葉が真実に受け入れられるようになる。

人間の知性は聖霊の光に照り出されて、はじめて、神に属することを真実に味わいはじめる。これらは、以前には味わうことが全然できなかったものである。ヨハネ16:13 エペソ1:13 第2コリント5:5

真の信仰者の特徴(救われた信者)

  1. 純正な教理を受け入れ保つ。
  2. 聖書の約束を自分のものとして確信を持つ。神との平和、神への信頼をもっている。救いの確信、神への信頼)
  3. 自分に対する神の恵みと約束を確信している。
  4. 試練に会って、ほとんど打ちひしがれていても、つねに信仰が頭をもたげてくる。
  5. 疑いを持つ時があるが、最終的には信仰の確信によって疑いに勝利する。
  6. 試練によって、かえって神への信頼が確かにされる。

みせかけの信者の特徴(救われていないが信者と名乗る者)

彼らには御霊が与えられてないので、下記の様になる

  1. 信仰の確実さ、罪の赦しの確信がない
    なぜなら、御霊は罪の赦しを、ただ選ばれたもののうちにのみ証印して、かれらがこれを特別な信仰によって自分自身の益に適応するようにしたもうからである
  2. 神の子とされた確信がない
    パウロがほめたたえているような信仰の確信は、ただ選ばれた民のうちにのみ、その力を発揮する。
  3. 人格や生活に信仰の実を結ばない
    信仰者は救いの確かさとともに、堕落することがないように神によって導きを受ける。見せかけの信仰者は、神への堅固な確信を持たず、神に応答して人格や生活に実を結ぶことがない。
  4. 真実な信仰に至り得ない。神の奥義が信じられない。
    みせかけの信仰者は決して神の奥義を堅く信じる事はない。正しく自己吟味することができず、真の悔い改めに至ることはない。
  5. 義務として奉仕をする
    真の信者は、自分に対する神の愛への応答から奉仕する。しかし、かれらは神のさばきを逃れるために、雇われ人のように神への奉仕をする。

信仰と希望の関係

  1. 希望が信仰をささえる
    希望は信仰をたえず更新し・刷新することによって、堅忍を全うするように、信仰に力を与える。
  2. 信仰により信じられたことを、希望が待ち望ませる
    希望は、信じられた神の約束の実現を待ち望むことである。たとえば、信仰は永遠の命がわれわれに与られるのを信じ、希望はそれがいつの日かあらわれることを待ち望む。このようにして信仰は基礎であり、希望は信仰を強め、維持させる働きを持つ。
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