ガラテヤ4章「律法に逆戻りしてはいけない。間違った教えを信じてはけない。」者とされた。」

ユダヤでの相続の方法を例にあげて、神の子とされる奥義を教える

4:1 ところが、相続人というものは、全財産の持ち主なのに、子どものうちは、奴隷と少しも違わず、
4:2 父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります。

相続に関するユダヤの習慣。
1,2節は、ユダヤの相続に関する規定を例に上げて、キリストによる救いが成就したことによって、律法の役割が終わったことを説明しています。

ユダヤでは相続人である子供が成人に達していない場合(25歳未満)、父が定めた年齢に成長するまでは、後見人や管理人が父の財産を管理します。子供は相続財産を自由に使うことを許されません。ただし、父が定めた年齢になれば、管理人や監督の役割は終わるので、相続したものを自由に使うことができます。

4:3 私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。
4:4 しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。
4:5 これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
4:6 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
4:7 ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

キリストが来た事によって、律法を守る時代は終わった。
御霊が与えられたわたしたちはすでに神の子とされている。
私たちも相続の場合と同じで、キリストが来るまでは、律法によって罪に定められることを恐れて、「神の子とされた自由」を楽しむことができませんでした(3)
しかし、父なる神が定めた時が来て、キリストが人となって、マリヤから生まれました。神は律法を守るユダヤ人の家に、キリストを生まれさせました。(4)
キリストが律法を守るユダヤ人の家庭に下られた理由は、律法の監督の下にある者を救うためです。ユダヤ人たちに、キリストを信じる信仰を与え、「神の子」とするためでした。(5)
父なる神は、神の国の相続人とした者たちに、「アバ父よ」と神を親しく呼びかけることができる聖霊(御子の霊)を与えてくださいました。(6)
ですから、信者は律法の監督の下にある奴隷ではなく、神の子どもです。
神によって、天国を相続する者とされた人です。(7)

律法によって、義とされようとするガラテヤ人を心配する

4:8 しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。
4:9 ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。
4:11 あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています

律法に逆戻りするガラテヤ人たちを心配する。
キリストを信じる以前のあなたがたは、本来神でない神々を拝み、それらに仕えていました。(偶像の奴隷)8

しかしキリスト者となった今、あなた方は、本当の神が誰かを知っています。そして、父なる神からあなたがたは知られています。それなのに、どうしてもう一度律法の教えに逆戻りして、それに従おうとするのですか。9
あなたがたのために、私が苦労したことが無駄だったのではないかと、私はあなたがたのことを心配しています。11

4:10 あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

ガラテヤ人は、律法の規定に従って各種の日と月を聖なる日として、儀式を行っていた。
ユダヤ教には、過ぎ越しの祭り、種を入れないパン種の祭りなど祭礼を行う日が定められています。ガラテヤ人はこれらユダヤの祭りを守り行っていました。

4:12 お願いです。兄弟たち。私のようになってください。私もあなたがたのようになったのですから。あなたがたは私に何一つ悪いことをしていません。

異邦人たちがユダヤ人のように律法に縛られてはならないと警告する。
ユダヤ人の私が律法を捨てた。異邦人のあなた方はもちろん捨てるべきだ。
私はユダヤ人ですが、律法を否定して異邦人のように生活しています。
あなたがた異邦人は、ユダヤ人のように律法に縛られる生活をするのではなく、私と同じように律法から解放された者として歩みなさい。                            

4:13 ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。
4:14 そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。
4:15 それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。
4:16 それでは、私は、あなたがたに真理を語ったために、あなたがたの敵になったのでしょうか。

自分たちが初めて会ったとき、あなたがたは私を尊敬して迎えてくれたではないか。そのあなた方が、なぜ私を疑い、私に敵対するのか。
パウロがガラテヤに立ち寄った理由は、彼が旅の途中で病気になったからでした。ある種の熱病であったのかもしれません。とにかくパウロの肉体は弱かったのです。ガラテヤの人たちは、病を患うパウロを軽蔑したりきらったりしないで、神から遣わされたみ使いのごとく迎え入れてくれました。

注)彼の病気を眼病であると特定するべきではありません。(13,14)
彼らは、パウロの使徒としての権威を認めて、その教えを喜んで受けました。
その親密さは、パウロのために自分の体を犠牲にしても良いと思うほどでした。(15)
祖彼らが、今は、パウロの教えを疑い、彼に敵対しています。
ユダヤから来た教師たちが彼らを惑わして、パウロの伝えた福音に反する教えを信じさせたからです。

ユダヤから来た教師たちは正しくない。彼らにだまされてはならない。

4:16 それでは、私は、あなたがたに真理を語ったために、あなたがたの敵になったのでしょうか。
4:17 あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。

パウロを疑い、敵対するガラテヤ人。
ユダヤから来た教師たちは、異邦人も割礼を受けて律法を守らなければ、救われないと教えました。彼らはおそらく「自分たちこそ異邦人の味方だ。異邦人の救いを真剣に願っているのだ。パウロの教えでは異邦人は救われない。」とガラテヤの人たちを、説得したのではないかと思われます。ガラテヤの人たちは、ユダヤから来た教師たちを信頼して「律法を守ることは救いの条件だ」と信じました。そうなると、自分たちに重要な事を教えなかったパウロは、にせ教師だということになります。彼らはパウロを疑うようになりました。

ユダヤから来た教師たち」の熱心は正しいものではない。彼らは自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを説得している。彼らに従うなら、あなたがたは、福音の恵みから締め出されてしまう。
ユダヤから来た教師たちの教えは間違っている。彼らは、あなたたちを味方につけて、あなたたちから金銭をもらう目的で、熱心に働きかけているのです。彼らの真の動機は利己心、党派心です。
ユダヤから来た教師たちに従うなら、あなたたちは、「神の子」とされる恵みから締め出されることになるのです。

彼らが正しく信じることを願うパウロ

4:18 良いことで熱心に慕われるのは、いつであっても良いものです。それは私があなたがたといっしょにいるときだけではありません。
4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
4:20 それで、今あなたがたといっしょにいることができたら、そしてこんな語調でなく話せたらと思います。あなたがたのことをどうしたらよいかと困っているのです。

ガラテヤ人の信仰が歪められているので、それを正すために苦労するパウロ。どうしたらよいか思案する。18-20
あなたがたは、私を通して救われたにもかかわらず、福音からはずれてしまいました。私は、あなたがたをもう一度正しい信仰に立ち帰らせるためにどうしたらよいのか悩んでいます。今、あなた方に会って話すことができれば、このように手紙で厳しく書かなくても良いのに、もっと穏やかに説得ができるのにと思います。

ハガルとサラのことを用いて説明する

4:21 わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。
4:22 アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。
4:23 ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした。
4:24 これには、別の意味が隠されています。すなわち、この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。
4:25 このハガルは、アラビアではシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、その子供たちと共に奴隷となっているからです。
4:26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
4:27 なぜなら、次のように書いてあるからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ、/喜びの声をあげて叫べ、/産みの苦しみを知らない女よ。一人取り残された女が夫ある女よりも、/多くの子を産むから。」
4:28 ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。

律法を守るユダヤ人と、キリストを信じて救われた異邦人の違いを理解させるために、ハガルとサラのたとえを用いて説明する。21-28
女奴隷ハガルの子=イシュマエルの子=肉によって生まれる=人間の計画によって生まれた=アブラハムの正式な相続人ではない=神の約束(天国)から除外された子=今のエルサレム=律法によって義とされようとする人=不義が残り御霊を受けることが出来ず天国に入れない人=律法を守るユダヤ人たち

自由の女サラの子=イサク=約束によって生まれた子=神の計画によって生まれた子=アブラハムの正当な相続人=神の約束を受け継ぐ子=天国(上にあるエルサレム)を相続する人=御霊を与えられ、義とされ、律法から自由になった人=キリストを信じて救われたユダヤ人・異邦人たち 

キリスト・イエスを信じる信仰によって救われた異邦人たちは、イサクと同じ、約束によって生まれた子どもです。天国を相続することが約束された人です。
律法から自由にされた人です。(28、31)

奴隷の子が約束の子を迫害することは昔と変わらず行われる。

4:29 しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

今も、律法によって義を得ようとする者が、信仰によって義とされた者を迫害する。29
今も、人間の努力によって信者となった律法に頼るユダヤ人たちが、御霊によって信仰を与えられ、信者とされたキリスト者たちを迫害しています。ユダヤから来た教師たちは、異邦人信者たちに律法を強いることによって、異邦人たちの救いを奪おうとしているのです。

神の国は、信仰によって救われる者だけが入る。
律法に頼る者は、神の国を相続することはできない。

4:30 しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。
4:31 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。

しかし、聖書には「奴隷の子は追い出せ」と書いてあります。これは、「律法に頼る人は教会から追い出せ」という意味です。律法によって救われようとする人は神の国を相続できません。天国は信仰による人しか相続できないからです。 

<ガラテヤ人への手紙 考察>

考察1
御霊によって新生の恵みにあずかっていない教師は、正しい福音を教えられない。
彼らについていってはいけない。

新生したクリスチャンは、律法による罪定めから完全に解放されている。

御霊によって新生したクリスチャンは、救いの立場が確定しています。
彼らも失敗をします。しかし、彼らに内住する御霊が、彼らの救いを保証し、
彼らも、御霊のとりなしを知ることができます。
彼らは、もはや律法による罪定めが適応されない存在です。

しかし、御霊を持たない教師たちは、救いを行いで完成させることを教える。

御霊を持たない人は、キリストを神だと告白していても、律法による罪定めの対象です。
ユダヤから来た教師たちは、キリストが復活され、神であることを信じていました。しかし、彼らは律法を守ること、良い行いを積むことで救いを完成させなければならないと教えました。
彼らは、御霊による新生をしていない教師たちでした。
だから、「律法ののろい」から完全に解放される福音を、ガラテヤの信徒たちに教えることができなかったのです。

先に救われた者は、パウロが神から啓示された福音を正しく伝えなければならない。
そうでなければ、伝道しても救われない。

これらのことから、私たちが救われるためには、まず福音を聞くこと。
そして、御霊によって心が一新されなければならないことがわかります。
御霊がなければ「みことば」は、おろかにしか思えません。
御霊がなければ、正しく信じることができません
聖書②書かれた神の定めに、心から同意して従うことができません。
御霊による新生がなければ、たとえイエスを神だと信じていても、救われていません。まだ、キリストの者ではありません。

先に救われた者たちの責任は、パウロが神から受けた福音を、そのまま未信者に伝えることです。しかし、これが意外とむずかしいのです。
私たちは、聞く人の気持ちを考え、自分が嫌われることを恐れて、相手にとって聞き心地のいい福音を語りたくなる誘惑があるからです。しかし、パウロにはそのような様子はいっさいありません。
私たちも、パウロにならって、語るべき時には大胆に福音を語ろうではありませんか。

考察2 救いに至る信仰は、どのように始まるかについて考える。
「口による告白」が先か、「御霊による心の一新」が先か。どちらが先か。
結論:救いは、福音を聞いた人に、御霊が与えられることによって始まる。

聖書は、「御霊によって始まる」と言っている。
御霊によって心が一新されて、聖書が明らかにする神を、そのまま信じることができるようにされると言っている。
これが、ガラテヤ4章6,7節で言われる「御霊によって生まれた者」という意味である。

他の聖書個所も、聖霊が人に救われる信仰を与えることを支持しています。

4:6 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ガラテヤ書
解釈:アバ父と呼べる、つまり救われることは、御霊が可能にしてくれた。
父なる神が、自分に御霊を送ってくださったからだ。

4:29 しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。ガラテヤ書
解釈:御霊によって、キリスト者になることが明確に言われている。

3:27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ガラテヤ書
解釈:ここで言われている「バプテスマ」は聖霊のバプテスマのこと。
聖霊を受けて、キリストのものとされたと言っている。
自分でなったのではなく、聖霊が自分に臨むことで、自分はキリスト者とされた。受け身であることは非常に興味深い。

12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が 一つの御霊を飲む者とされたからです。1コリント

12:3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。1コリント

解釈:ここで、イエスを「主」と告白していることに注意してほしい。
「主」と告白するとは、自分の王の王として迎える。自分の人生のコントロールを、イエスにまかせる信仰を意味する。ここで言われている信仰は、救われた信仰のこと。
このような信仰は、御霊によらなければ持つことはできない。
事実、信仰を告白していても、自分に都合のいい程度しか信じない人がたくさんいる。だから、告白だけを見て、その人が御霊を持っているかどうかは判断できない。 

8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と 呼びます。ローマ8:15
解釈:御霊を受けたから、神の子としての立場が与えられた。
その立場が与えられたから、父なる神を親しく「あば父」と呼ぶことができるようにされた。
この聖句も、聖霊を受けたから救われたことを支持している。
 

キリストの御霊を持たない人は、 キリストのものではありません。ローマ8:9
解釈:信仰を告白した後、御霊をいただくのだと言う人がいる。
そうであれば、告白しているが御霊をもたないキリスト者もいることになる。
なぜなら、彼らは告白した瞬間に、神に義とされているから。これは、上記の聖句と矛盾する。

そうではなくて、御霊をいただいたから、キリスト者になった。
だから「キリスト者は、すべて御霊を持つ」と言える。
当然、「御霊を持たない者は、キリスト者ではない」と言える。これは上記の聖句と良く一致する。

新生したキリスト者の救いの立場は確定している。
「良い行いによって救いを得よう」という幼稚な教えにだまされてはならない。
これが「御霊で始まったものを肉で仕上げる」という意味。

キリストを信じた人たちには、神の子としての身分が与えられた人です。
本当に救われた信者は「神の子とされている事実」からスタートします。
7節には「神による相続人」と書かれています。
これは、神が、ある人を相続人に決めて、その人は救われたことを意味します。
ですから、相続人としての身分を得るために、善行を積む必要はありません。
ただし、これは御霊によって新生した、本当のクリスチャンだけに言えることです。
 

考察2 律法によって義とされようとする教えとはどのようなものか。

それは、良い行いで救いを完成させる教え。
キリストによって与えられる自由を奪う教え。

ガラテヤ教会の人たちは、律法の書に定められた規定を守っていました。
律法の書には、「これらことを守り行うようなら、神はその者に千代までも恵みを施す」と約束されています。
ガラテヤの人たちは、救われるために、律法の決まりに従わなければならないと信じました。これが間違いの始まりです。

今の時代も同じです。儀式を守ることや、教会の奉仕を忠実に果たすことによって、救われようとする人たちがいます。行いだけを見れば、彼らはキリスト者として非常に優等生です。
しかし、彼らの心の内は、不安でいっぱいです。
なぜなら、彼らは救いの確信が持てないからです。救いが、自分の良い行い次第で決まるなら、それをいつでも失う可能性があるからです。

確かに、神に仕える気持ちをもって奉仕することは、大変良いことです。
しかし問題なのは、奉仕や慈善が、救いに関わることだとみなされることです。
自分の救いとは関係なく、行われる奉仕であるならば、問題はありません。
しかし奉仕ができなかったり、失敗することが、自分の救いに影響すると信じられているなら、それは間違いです。

この極端な例が、カルト教団です。
カルト教団では、信者たちは行いによって、救われると教えられています。
ですから、信者たちは救いを失う恐れから熱心に奉仕をします。
どこまでがんばっても、救いの確信を持つことはできません。
そのため、精神に異常をきたす信者も多く出ます。

キリスト教会には、救いの条件に行いが必要であると教える教会があります。
熱心に献金や奉仕をすることで、救いが達成されるとか、天国での立場が良くなるとか、この世で祝福を受けると教える教会があります。

私たちは気を付けなければなりません。
間違った教えから、自分を守らなければなりません。
ガラテヤ教会の人たちように、せっかく神から与えらえた自由を、自分から捨てるような、愚かなことにならないようにしなければなりません。

考察3 まだ新生を経験していない為に、行いに頼るしかない自称キリスト者が、御霊を受けて新生したキリスト者を迫害する。

肉によって生まれた者が御霊によって生まれたものを迫害する。29節より

救われていない人たちが、洗礼を受けて教会員になっている場合があります。
これはあってはならないことですが、否定できない事実です。
このような人たちは、誰かの勧めとか、教会の交わりが気に入って洗礼を受けたのかもしれません。
とにかく、まだ悔い改めを経て新生していない人たちです。
このような人たちが、新生したキリスト者を迫害します。

新生していない人は、自分の経験やこの世の価値観でしか物事を判断することができません。そのため、新生した人が聖書の価値観から、判断していることが、間違っていると思います。
そこで、教会の運営や、伝道についてなど、新生した人の考え方を攻撃します。

しかし、今日の聖書個所、ガラテヤ4章29節にもあるように、同じことがアブラハムの時代から起きていたと知ることは幸いです。

私たちは神が真の信仰者に勝利を与え、すべてを益としてくださることを、聖書から教えられています。ですから、もしあなたが、神の前に聖い良心を持つことができるなら、教会の中から迫害が生じたとき、ガラテヤ4章29節を思い出しましょう。このようなことは、昔からあったことです。
そして、最終的には、神は、悪をさばき、神の側に立つ者を勝利させてくださることを思い出しましょう。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?