目次
- 1 2聖霊は、人間が神に敵対していて、神の呪いのもとにあると告げる。このことは、キリストなしでは、どんなに悲惨かを理解するのに役立つ
- 2 3私たちは地獄に送られて当然であった そのような者に神の愛が注がれた
- 3 4救われる人々は永遠の昔から神に愛されていた。
- 4 5キリストがささげられた犠牲が神の愛を現わしている
- 5 6キリストは、救われる者の罪をのぞくため、いけにえとなって死んだ
- 6 9キリストは死んでよみに下り、みことばを伝えた。これはセカンドチャンスではない。
- 7 14キリストは復活後、天に昇られた。キリストの昇天によって信者は、絶大な益を受けるようになった。
- 8 16信者は天国に入る希望を得たのではなく、すでに天国を相続している
- 9 17キリストは、再臨する(もう一度来る)
- 10 18キリスト者は、審判のとき天国に入る
2聖霊は、人間が神に敵対していて、神の呪いのもとにあると告げる。このことは、キリストなしでは、どんなに悲惨かを理解するのに役立つ
- 聖句は、人間が神に敵対していて、神の呪いのもとにあることを啓示する。
このことは、私たちがキリストなしでは、危険な状態にあることを理解するのに役立つ。
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことで す。ローマ5:10
というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行 しなければ、だれでもみな、のろわれる。」ガラテヤ3:10キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれ たものである。」と書いてあるからです。ガラテヤ3:13あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、 今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。コロサイ1:21.22
- この知識がなければ、人は救いを求めない。キリストに感謝もしない。
神の怒りと復讐、永遠の死が自分たちに下されることを説かなければならない。自分たちにどれほど悲惨な運命が待っているかを知ることができない。キリストの十字架をありがたいとは思わない。 - 「神から離反していた私、神の怒りの下にあった私をキリストが愛し、私の罪の犠牲となってくださった。」このことを聞けば人は感動するはずである。
神から離反し、滅びに定められていた私。その私に対する神の怒りをなだめるために、キリストが進んで、私の受けるべき刑罰を受けて死んでくださった。この犠牲は神を満足させて、私と神と和解が成立した。このことを聞くなら、自分がどんなに大きなわざわいから救い出されたかを思って感動せずにはおられないはずである。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5:8 - 伝道のポイント:神の怒りと死の恐れによって、聞く人に衝撃を与える必要がある。
私たちは、神の怒りの恐ろしさと永遠の死の恐れによって衝撃を受け、恐怖に突き落とされなければ、神の憐みを求めないし、神のしてくださったことに対してふさわしい感謝を捧げることもできない。- 知るべきこと1:キリストなしには神と敵対関係、キリストを持つとき、神と和解する。
私たちが知るべきことは、神は、私たちがキリストを持たない時は私たちの敵であり、私たちがキリストを持つとき愛するにとなるということである。 - 知るべきこと2:神は完全に聖であって、少しの汚れとも共存することができない。
私たちは、神に忌み嫌われるものを持つことを知らなければならない。
だから、キリストなしの生まれつきの状態では、神の住む天国に入ることはできない。
- 知るべきこと1:キリストなしには神と敵対関係、キリストを持つとき、神と和解する。
3私たちは地獄に送られて当然であった そのような者に神の愛が注がれた
- すべての人はゲヘナに投げ込まれて当然であった。そのようなものに神の愛が注がれた。
- 神と人との完全な和解は、キリストによってなされる。
キリストのつぐないによって、神の怒りがなだめられ、罪が赦される。 - 神との仲介者はキリストのみ。キリストに結び付くとき神との平和が実現する。
私たちがキリストと結びつくまでは、神との平和はない。神に呪われ罪に定められている。神と和解したければキリストに頼るしかない。
4救われる人々は永遠の昔から神に愛されていた。
- 救われる人たちは永遠の昔から、神に愛されていた。
救われる人たちは永遠の昔から、神に愛されていた。彼らが神に敵対していたときに、すでに神は彼らに愛をもっておられた。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。エペソ1:4
5キリストがささげられた犠牲が神の愛を現わしている
- 「キリストによって示された神の愛」聖句はこのことを証明する。
キリストは、信者の罪を赦すために苦しまれた。十字架にかかり死なれた。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ローマ4:5神は、キリストを信者の罪をなだめるための供え物にした。
神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。ローマ3:25キリストは罪のない方であったのに、罪ある信者のために犠牲になられた。
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。2コリント5:21 -
救われる者のために苦しまれたキリストの自発的な犠牲
キリストは、自発的にわれわれのために死なれた。ここに神の愛が示されている。キリストはわれわれと同じ肉体を持ち戦われた。私たちの想像を絶する恐れの中にあっても自分のことよりもわたしたちのために配慮された。
6キリストは、救われる者の罪をのぞくため、いけにえとなって死んだ
- 罪の汚れをのぞくため、律法の時代は動物がささげられた。
同様にしてキリストは、ご自身を信じる人の罪のささげものになられた。
キリストに、私たちの汚れが移され、キリストが死んだことによって、私たちの罪の刑罰は終わった。このことは律法の時代、罪の汚れを除くために動物を捧げたことと同じ型である。 - キリストはわれわれの呪いを引き受けて、死なれた。
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれ たものである。」と書いてあるからです。ガラテヤ3:13
9キリストは死んでよみに下り、みことばを伝えた。これはセカンドチャンスではない。
- 使徒信条の「よみに下り」の本当の意味。死んだ未信者を救うために下ったのではない。
キリストのあがないの完成を、すでに死んでいる信者にも未信者にも知らせたということ。
14キリストは復活後、天に昇られた。キリストの昇天によって信者は、絶大な益を受けるようになった。
- キリストが昇天されたことによって、信者への恵みは増し加わった。
キリストが天に上げられたことで、さらに願わしい方法で、キリストが私たちと共におられることになった。キリストが死と復活を通って得た支配と権能は、信じる者たちが神に祝福された人生を生きることができるようにしただけではなく、彼らが幸いな死を迎えることができるようにした。 - キリストの支配が天と地に及ぶようになった。
キリストの昇天によって、かれの支配と力は天地のいっさいに及ぶようになった。キリストの死は私たちにとって幸いなことである。彼は見えなくなったが、生前よりももっと力をもって、信者とともにおられる。その影響は世の終わりまで続くようになった。
16信者は天国に入る希望を得たのではなく、すでに天国を相続している
- キリストはわれわれの名義において天に入られた。われわれは天に希望を持つだけではなく、すでに天を所有している。
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。エペソ2:5,6 - キリストは昇天され天の御座に着座された。今は天から信者に力をそそがれている。その働きは神の最後の目的を完成させるまで止むことがない。信者は力強く働く神の内にある。
信者に聖霊を送り、彼らを聖化し、賜物を与えて教会を飾り、敵から彼らを守っておられる。最後には、不信仰者を滅ぼし、神の国を完成される。この働きは、最後のわざを終えるときまで止むことなく続く。
17キリストは、再臨する(もう一度来る)
- 死んだ者、生きている者、この世の全ての者をさばくために、キリストはもう一度この世界に来る。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのを あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」使徒1:11 - その日には審判がある。生きていた全ての者が神にさばかれる。
その日には、生きているものも、死んだ者もすべて神の前に呼び出されて、行いに応じてさばかれる。神のさばきを受けないで済ませることができる者はいない。彼らは、このさばきで罪に定められ、刑罰を宣告される。
18キリスト者は、審判のとき天国に入る
- 死後、信者は一瞬にして変えられる。再臨の時、生きている信者もそうである。
死の瞬間に、信者は一瞬にして新しい本性に変えられる。
キリストの再臨のとき、生きている信者も、一瞬にして変えられる。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。1コリント15:52 - 信者は罪に定められない。彼らと神との仲裁者キリストが審判をするから。
自分たちの罪の仲介となってくださったキリストが、最後の審判のさばき主である。これは信者にとって大いなる慰め。キリストが信者を罪に定めないことは明白だからだ。つまり、信者が裁きの座に着くのは、罪をさばかれるためではない。 - キリスト者は、裁きにおいて救いを与えられることは確かである。
彼らは、天国を相続し、永遠の命をいただく宣告を受ける。