へブル2章 「キリストは「死後のさばき」から私たちを解放した」

世の力に押し流されず、しっかりと信仰に立て

2:1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

「律法を守ることによる救い」に逆戻りしてはならない
ユダヤ人のクリスチャンたちは、キリストを神だと告白していますが、律法が定める生活習慣を守り続けていました。また異邦人のクリスチャンたちは、律法を守るように教える教師たちからの影響を受ける危険がありました。
そこで、パウロは、キリストが宣べ伝えた福音であり、パウロたちが宣べ伝えている福音(キリストの成された罪の赦しを信じることによる救い=信仰による救い)に留まるように注意しています。

2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たち が、確かなものとしてこれを私たちに示し、
2:4 そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。

こんなにすばらしい福音を無視するなら、刑罰はまぬかれない
「御使いたちを通して語られたことば」とはモーセの律法のことです。
当時は、律法が御使いの仲介で与えられたと皆が理解していました。

使徒7:53には「あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」、使徒7:38には「シナイ山で彼(モーセ)に語ったみ使い・・」とあります。殉教前にステパノが語った言葉です。
御使いを通して与えられたモーセの律法でさえ、違反すれば罰を受けなければなりませんでした。(2)
そうであるなら、神であるキリストが成就された救いのみわざを無視して信じないことは大罪であり、刑罰を逃れることはできません。

この救いは、始めキリストが語り、次にキリストの弟子たちが真理だ(本当に信頼できることだ)と伝えたものです。(3)
神もまた、キリストを信じることによる救いが確かな者であることを証明なさいました。神は使徒たちが宣教する時に奇跡や癒しを行わせました。また、聖徒たちに聖霊の賜物(預言、知恵のことば、いやし、異言etc)を与えました。

宣教の際の奇跡について

  • 8年間病に苦しむアイネヤを癒す、ドルカスを生き返らせる(使徒9章)
  • 牢屋からの脱出(天使の助け)使徒5章  など

御霊の賜物について

  • 聖霊が下り、人々が異言で話した(外国の言葉)
  • ペテロ達、学問の無い者が神の救いについて正確に語るのを聞いて人々は驚いた。

キリストは次に来る国の王

2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。
2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これ を顧みられるのでしょう。
2:7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、
2:8 万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たち はすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。
2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。 その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。

キリストの苦難は人々を救うためであった
神は、次ぎに来る世を御使いに支配させるのではなく、キリストに支配させるのです。(5)
神は、ご自分に反抗した人間憐れで、救いの道を用意されたのです。
それも御自身が苦しまれることによる救いの道を用意されるとは驚くべきことです。(6)

私たちは、キリストが統治する神の国の実現をまだ見ていません。ただ、神が人として生まれてくださったキリストのことは知っています。(7,8)
キリストは十字架にかかって死ぬことにより、神からの栄光と次に来る世の王としての冠を与えられました。キリストの死は、神の憐れみから出たことで、人間に救いを与えるためであったのです。(9)

2:10 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方と して、ふさわしいことであったのです。
2:11 聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、こう言われます。
2:12 「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」
2:13 またさらに、「わたしは彼に信頼する。」またさらに、「見よ、わたしと、神がわたしに賜わった子たちは。」と言われます。
2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を 持つ者を滅ぼし、
2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは 民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

罪の生けにえを捧げるために、神は肉体を持つ必要があった。
キリストは、私たちを死の恐怖(死後のさばき)から解放してくださった。
私たちを聖めるキリストも私たち人間も、神から発しています。(11)
キリストを信じる者は、神の子となる特権が与えられ、キリストを長子とする神の家族に加えられます。ですから、キリストは私たちを兄弟と呼ぶことを恥とされないのです。(12,13)

キリストは、私たちと同じ肉体を持たれました。それは、私たちの罪の生け贄となり、御自身の肉体をささげるためであったのです。死と神の刑罰(さばき)は結びついています。キリストの死によって、信じる者は死んでも神にさばかれない者にされています。キリストは御使いではなく、アブラハムの信仰にならう者(キリストを信じる者)を救ってくださるのです。(14,15、16)

キリストは、罪を犯さないということ以外は、私たちと同じようになられました。
御自身が地上での生涯で苦しまれたので、試練の中にある者たちを助けることができるのです。(18)

へブル人への手紙2章 考察

聖句:へブル人へ手紙2章15節
「死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」

キリストは、私たちを死の恐怖から解放してくださいました。
信者にとって、「死」は終わりではなく、天国の入り口です。ヘブル書はこのことを証言しています。
「死」について書かれている他の聖書箇所を紹介します。

考察1 キリスト者は、「死」にともなう「神の刑罰」から解放された。

「死」はもはや「天国の入り口」に過ぎない

1:9 神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
1:10 今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。(Ⅱテモテ1章9、10節)

ここで言われている「死」とは、神との隔絶から生じる霊的な死を意味します。

神はアダムを永遠に生きるように創られました。しかし、アダムが神を疑い、神の言いつけを破ったので、彼に「死」が入りました。それ以降すべての人は、必ず死ぬようになりました。
ですから、「死」は「神の怒り」「神の刑罰」と深く結びついています。
死が恐ろしいのは、死後に神のさばきを受けなければならないからです。

キリストは、信じる者のために、完全な罪のいけにえを、捧げてくださいました。

神である方(キリスト)が、罪を赦すためにご自身を捧げられたからです。
ですから、信者は死後のさばきから解放されています。
このことが「死を滅ぼした」(10節)という言葉で表現されています。

また、キリストは3日後に復活されて、信じる者たちが朽ちない体を持って永遠に神と共に生きるようになることを証明しました。
信者は、肉体の死は経験しますが、霊的な死からは解放されています。
永遠に神と共に生きる者にされているのです。永遠の命は信じた瞬間から始まり、死後も永遠に続きます。

信者は死の恐怖から解放されました。「死」は天国に入る入り口に過ぎません。死の瞬間に、私たちは主を顔と顔を合わせて見ることになります。そして、死もなく涙もない、永遠の安息に入るのです。

考察2 私たちは死んで消滅するのではない。死後も魂は生き続ける。

キリスト者は死の瞬間に朽ちないものに変えられる

15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
15:54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利にのまれた。」
15:55 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58
ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。Ⅰコリント15章51節から58節)

「死のとげ」は罪であり、罪の力は律法だとあります。

律法は私たちを罪に定めます。私たちは決して律法を完全に守ることはできないからです。
ですから、神のさばきを受けなければなりません。

「死のとげ」とは、私たちの罪に対する神のさばきです。

しかし、キリストは、私たちのためにご自身が罪のいけにえとなって死んでくださることにより、私たちを罪の刑罰から解放してくださいました。

キリストは、「死のとげ」を抜き去ってくださったのです。

永遠の世界、天国に入るためには、この肉体を脱ぎ捨てて、神が与えてくださる新しい朽ちない体をいただかなければなりません。そのために、病があり死があります。聖書は死の瞬間に、信者は朽ちないものに変えられると証言しています。

人生で最悪の出来事と言えば「死」ではないでしょうか。
その「死」を恐れない者にされた人にとって、他の人生の問題はとるに足りないものでしょう。

神が「死のとげ」を抜き去ってくださったことに感謝します。
このすばらしい恵みに預かる者にしてくださったことを感謝します。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
>「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?