目次
2編4章3:悪は神の許容ではなく、神の主権的介入によって起こる
- 人は、強制されてではなく悪を行う。
人が悪を行うとき、その意思はいやいや反抗しつつ、無理に悪魔に従わせられるのではない。人は、悪魔のささやきに同意して、強制ではなく、自ら悪をおこなう。 - 神は人間が悪を選択することを「予知」していたとする説は、聖書の多くの個所と矛盾する。
「神が積極的に介入して神を否定する意志を固くさせる」のではなく、「神は人間が神を否定する選択をするとあらかじめ知っておられたのだ」とする説は、聖書のおびただしい箇所と矛盾する。
罪は、単に神の許容、あるいは忍耐によるものではなく、神の力によるものである。アウグスチヌス - 聖書は、神の「主権的介入」によって、人間が悪を選択し実行すると証言している。
2編4章3:人間に対する神の働き方/介入の仕方
- 聖書に書かれた神の人間への働き方は、神の「予知」や「許可」によっては絶対に説明がつかない。
神は、人間の意思に働きかけ、ご自身の良しとする向きに意志させておられるからだ。
- 神の働き方 その1
神が光(抑制)を取りのぞく。すると人間はおのずとかたくなになる。彼らは神の民に敵対する。
例:エジプトの王パロほか - 神の働き方 その2
神がある人々の思いをご自身の良しとするほうに意志させ努力させる。その結果、神のさばきが行われる。
例:シホンの王オグ 神はオグの心をかたくなにして、イスラエルと戦わせた。
その結果、シホンは負け、オグは破滅した。神はオグをさばかれた。
2編4章4~5:神が人の心に働きかけ、ご自身の計画を成就している例
- 神はエジプトの王パロの心をかたくなにした。
その結果、「過ぎ越しの祭り」に代表される神の奇跡がエジプトでなされた。
このことが今もクリスチャンたちの信仰を励ましている。 主はモーセに仰せられた。「エジプトに帰って行ったら、わたしがあなたの手に授けた不思議を、ことごとく心に留め、それをパロの前で行なえ。しかし、わた しは彼の心をかたくなにする。彼は民を去らせないであろう。。出エジプト4:21わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行なおう。出エジ7:3
主はモーセに仰せられた。「パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。
それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行なうた めであり、出エジ10:1 - 神がエジプトの民の心を変えて、イスラエルを憎んで奴隷とするようにした。ダビデの証言
イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。 主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。主は人々の心を変えて、御民を憎ませ、彼らに主のしもべたちを、ずるくあしらわせた。詩編105:25
- 神は、出エジプトをした先の住民の心を強気にした。モーセの証言
イスラエルがエジプトから出たとき、かれらがはいろうとした土地の住民は敵意をもってむかえた。
モーセはこれが神の意志から出たことであると知っていた。しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、主が、 彼を強気にし、その心をかたくなにされたからである。申命記2:30 - 神は、サウルに「主からの悪しき霊」を与えて、ダビデの命をねらうようにした。
サウルに与えらえた霊は「神の霊」と呼ばれている。これはサタンからの「まどわしの霊」。
この霊が彼を狂わせた。神は、人の心を悪に向けさせるため、サタンをも用いられた。
- 神は人々の心を惑わし、反キリストを拝むようにさせる。パウロ
不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれにい、
また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。2テサロニケ2:9-12
2編4章4:神が人に悪意を起こさせ、神の民を苦しめる目的
- 善が悪に勝利し、前進するため
善が勝利するためには、その前に悪が善を攻撃していなければならない。
そこで、神がある人を定めて、善を攻撃する役割を果たさせる。 - 罪を犯す神の民を懲らしめるため
神の民が過ちを犯すとき、神は不信仰な者に彼らを苦しめさせ、彼らに罰を与える。
2編4章6:神は人間の意思に働きかけ、その決定を定めさせている
神の摂理の力は、人間に意志させ実行させるまでに及ぶ。
- 益になることの選択とそれを実行する意志、害になることを避ける選択と行為も、
神の特別な恩寵によって起こる。
- 神が人の意志に働きかけ実行させた例
- エジプト人にイスラエル人に対して好意を持たせ、出エジプトの時、多くの宝を与えさせたこと
- サウルを怒り狂わせ戦争に駆り立てたこと。
- アブサロムの心を変えてアヒトフェルの優れた助言を退けさせたこと。
- レハブアムが長老たちの助言を退け、若者に説得されたことなど
2編4章7:結論:人間の意思は神の支配下にある
- 人間の意志は神の支配下にある。
人間は、神の支配が及ばないほどの選択の自由をもっているのではない。
これは、特別な人や場合だけに当てはまるのではない。すべての人、すべての場合に当てはまる。 - 自分の日常経験からも、このことが正しいと思う。
私たちは、自分が欲しようと欲しまいと、自分の意志が、自分自身の選択よりも、神から来る衝動に左右されていることを、日常経験で経験している。
その例として、しばしば簡単なことで判断を誤ったり、実行しなかったりするかと思えば、非常に困難な問題に決断を下し、勇気をもって対処することができたりする。 - 神は王の心を自由に向け変える。それなら、一般の人の心はなおさらである。
王こそが、自由意志を最大限に発揮できる立場にある。神が、王の心を向け変えさせるのであれば、一般の人の心の場合はもっと当てはまる。王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。箴言21:1
2編4章7:自由意志について論じるとき、気をつけるべき前提
- 「自由意志」についての定義を誤ってはならない。
- 自由意志の定義は、「人間はどんなことがらでも、いったん意志したことは、外部からの妨害があっても、成しとげ、完成させることができるかどうか」ではない。
- 自由意志の定義は、「どんなことがらについても、善悪を正しく判断でき、意志の傾向も自由であって、悪に偏ることなく、いつも善なるものを選択し、悪を避ける力があるかどうか」である
- もし、この2つがともに人間にそなわっているなら、人間には自由意志があると言える。
- しかし、残念ながらそうではない。だから、人間には「自由意志」がないことになる。