このサイトの利用方法

当サイトのご使用方法の紹介。

あなたのデボーションツールとしてお使いくだされば幸いです。

トリニティーグレース教会での礼拝や聖書研究のために学んだこと、また自分自身のデボーションのために学んだことをアップしています。
私と同じ聖書箇所をあらかじめ読んでいただき、ご自分で良く考えてから当サイトをご覧ください。読んでいるとき、重要なことばにラインを引いたり、空欄に自分の意見を書いたり、疑問だと思う箇所だな、ぜひ聖書に書き込んでください。
聖書を学ぶことはクリスチャンの特権です。喜びが湧き上がってきます。聖書通読は1人ですると挫折することが多いです。よろしかったら一緒にデボーションをしましょう!

「はじめて学ぶ聖書シリーズ」を掲載しました。

はじめて聖書を学ぶ人のために、信仰を理解するための道程として、創世記からルカによる福音書までを解説しています。これは信仰の進んだ方にも参考にしていただける資料だと考えています。

2024年の「掲載予定」について。

昨年9月からは、使徒行伝を見ていきました。
今年は、4月まで使徒行伝を学び、その後、第1、第2コリントを見る予定です。

2025年は、ピリピから第1ペテロまでを見る予定です。(ローマ、エペソはすでに掲載しました)
2026年の1月から7月で
、黙示録を見ていきたいと考えています。
1週間に1章づつのペースで進みますので、参考にしていただければ幸いです。

聖書を読む前に、以下のことに気をつけてください!
あなたが本当の喜びで満たされるために心得るべきこと!!

神は最高の権威を持っておられ、あなたは神に従う立場であることを心得てください。

  1. 神は初めに人を完全な状態に造られました。人類は、初めの人アダムの子孫です。
    人間は、サルから進化したのではありません。
  2. 初めの人アダムは、神の命令に背いて、エデンの園を追われました。
    それで、アダムの子孫である私たちは全て、生まれつき天地創造の神(キリスト)を嫌います。
    ですから私たちは生まれつき、神にさばかれて当然な存在です。
    (自分のことを考えてみてください。そうすればこれが本当だと言えます。)
    そして自分たちで神を造って拝みます。(他の神々がたくさんあります)
    ですから人間は、神にさばかれて当然な存在なのです。しかし、このようになったのは神が原因ではなく、人間が選んでこのような状態になったのです。
    (皆、強制されてではなく自主的にキリストを嫌いますよね!)
  3. しかし憐れみ豊かな神は、私たちに救いを用意してくださいました。

    神は、イエスとなってこの世に生まれてくださり、罪人である私たち人間の罪をゆるすために、
    十字架にかかられて、死んで葬られ、3日目に生き返られました。

    「全ての人は死んで後、神のさばきを受ける」ことを、神は定めておられます。
    多くの人が思っているように、人は、死んで無になるのではありません。
    死後に、神の前に出なければならないのです。そして、生きていた間に犯した罪の清算を、苦しみの場所で永遠にしなければならないのです。(神は、犯した罪だけではなく、その人の心の思いすら裁かれます。)そうであれば、誰もさばきをまぬがれることはできません。
     

    しかし、キリスト・イエスによる罪の赦しにあずかる者は、彼らの罪が完全にゆるされて天国に入ることができるようになります。
    イエスの復活は、ご自身が神であることの証拠です。
    神であるイエスが十字架で苦しんだことは、神がイエスを信じる人の罪の身代わりとなって刑罰を受けてくださり、信じる人の罪の清算を済ませてくださったことを意味します。
    キリストの復活(生き返り)は、イエスの死による罪のあがない(清算)が、神に良しとされ、イエスに頼る人のさばきは終わったものとみなしたということ、つまりその人が天国に入るようにされたことの証拠です。

    イエスの死と復活は偶然に起きた出来事や作り話ではありません。
    これらは全て神の永遠の昔からのご計画のもとづいて起きた事実です。
    なぜそう言えるのか、その証拠は、イエスについて、何百年も前から預言されていたからです。
    それらは、旧約聖書に記されています。
    イエスは、この地上におられた間に300以上もの預言を成就されました。
    どの家系から生まれるか、死と復活、兵士がイエスの衣をくじで分けたことなどなど
    詳細に預言が成就しています。

正しい教理を知って聖書を読み、人生に適応しましょう。

教理とは、聖書の教えのまとめです。
正しい「ものさし=教理」を使って聖書を読むならば、正しい理解ができ、人生への正しい適応ができます。
そのとき聖書は、私たちを解放して喜びと希望、最後には永遠の命へと導いてくれます。
「ものさし=教理」が狂っていたら、誤って聖書を理解をします。そこから間違った人生への適応がなされます。
すると聖書が私たちを苦しめる本になってしまいます。本当の解放や喜びを知らない信仰生活を送ることになります。
そして最悪の場合には、救われないことになってしまいます。
ですから、上記に書かれたことを踏まえた上で聖書を読んでいきましょう。
宗教改革を進めたカルバンが書いた「キリスト教綱要」は非常に参考になる資料です。このサイトで少しづつ紹介していきますので、ぜひご覧ください。神の奥義を学ぶことで、神の偉大さ、神の憐れみを知って、さらに神に感謝できるようになるでしょう。

カルバン著「キリスト教綱要」の要約を掲載しています。
キリスト教の教理を知るためにご利用ください。

現在、カルバン著「キリスト教綱要」の要約を掲載しています。
これは、私にとってライフワークと言えるもので、いつかは完成させたいと思っていた仕事です。
膨大な資料の中から、重要な箇所を、自分なりにわかりやすく要約しています。
皆様が、キリスト教の教理を知るために、参考にしていただければ幸いです。

教理とは、聖書の教えを論理的・体系的にまとめたものです。
教理をどのように理解しているかによって、信仰生活、伝道方法、聖書の解釈が全く違ってきます。
正しく教理を理解して実践することによってのみ、信仰が確固としたものになります。
安息のうちに、喜びと感謝をもった信仰生活ができます。
また、
聖書の間違った理解がもたらす「のろい」を見破り、避けることができます。

これは、カルバンが作り上げた思想ではなく、聖書を調べた結果、導き出された教理です。
ぜひ、聖書と照らし合わせて確認しながらご覧ください。

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「私と一緒に聖書を読んでみませんか?」

今から約2000年前、キリストは預言されていた通り、死んで3日後に復活し、ご自身が神であることを証明されました。神がおられるのですから、その方を無視して生きることは、神があなたを造られた目的を知らずに生きることを意味します。どうか、神を知り、神に生かされる確かな人生を歩んでください。そのために、聖書を学び、神について、自分について、知ることを始めませんか?