イエスはご自身のために父なる神に祈られた 1-5節
- 父なる神が救われるようにと私にゆだねた人々に、あなたが本当の神であることを知らせました。
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。ヨハネ17:2
わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。ヨハネ17:6
イエスを信じた人々は、父なる神がイエスに知らせるようにと定めておられた人々。イエスは多くの人々を教えたが、信じない人も多かった。しかし、神がイエスに与えた人々はすべて福音を信じた。- 「あなたからいただいたすべての者にあなたの御名を明らかにした」の意味。
イエスは、父なる神から大切な使命を与えらえていた。
それは、父なる神が救いに定めていた人々に、本当の神を明らかにすることだった。
そのために、イエスは彼らを教え、数々の奇跡をおこなった。
最後には、死から復活して彼らに現れた。
- [人を支配する権威を子に与えた]の意味
人の究極の運命、つまり天国かに入るか地獄に入るかを決める権威がイエスに与えられたということ。この権威の行使は、イエスが死から復活されたことによって始まった。
- 「あなたからいただいたすべての者にあなたの御名を明らかにした」の意味。
- あなたから与えらえた人々に、永遠の命を得る福音を知らせました。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。ヨハネ17:3
- 「永遠の命」を与える福音とは何か。
- イエスが父と呼ぶ神が「唯一のまことの神」であることを知ること。17:3
この世に神々はたくさん存在するけれども、イエスが告白する「父なる神」だけが本当の神だと知ること。その当然の結果として、他の神々をいっさい拝まないこと。 - イエスが、まことの神から遣わされた「キリスト」であると知ること。17:3
「キリスト」とは神と人との仲裁者。
人の罪にさばきを下す神の怒りをなだめ、人を天国に入れる役割をする。
私たちはみな罪びととして生まれるため、罪を犯さない人はいないと聖書は語ります。
ですから、私たちが永遠の命を得るためには、イエスを「キリスト」として礼拝することができなければなりません。「イエスを通してしか罪の赦しがない」「イエスの仲裁なしには自分は天国に入ることができない」ことに心から同意することが絶対に必要だということ。
- イエスが父と呼ぶ神が「唯一のまことの神」であることを知ること。17:3
- 福音を「知る」とはどういう意味か。
「知る」とはギリシャ語で「ギノースコーシン」現在接続法でます増大する経験を意味する。
キリストについて、唯一の神についての信者の知識は、ますます深くなるということ。
そして、神の知識は、信仰者の人格や生活に変化を生じさせる。変化がないほうが不自然。
「福音を知る」という行為は、自分の知恵を誇るためではなく、神について口論するためだけのものではないことを、私たちは理解しておく必要がある。
- 「永遠の命」を与える福音とは何か。
- 私は、神から命じられたすべてのわざ「いやし」や「奇跡」を行いました。
- イエスは神から命じられたとおり「奇跡」や「いやし」を行った。
神の計画をすべて成し遂げ、自分が世に来た目的を果たした。
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。ヨハネ17:4
この時すでに、ユダを祭司長たちのところに行かせていた。
あとは、迫害する者たちが自分を殺して、救いの道を完成させるだろう。
イエスの側でなすべきことはなくなった。この時イエスは満足しておられたのではないか。 - 「いやし」や「奇跡」の目的は、人々がイエスを「神」と信じるためだった。17:4
イエスの復活がまだ成就していなかった当時、イエスを神だと信じるためには奇跡が必要だった。イエスが人々の前で、力あるわざを行われたのはご自分が「神から来た」ことを証明するためだった。技を見て、人々がイエスの教えを信じて救われるためだった。
『わたしは神の子である。』とわたしが言ったからといって、どうしてあなたがたは、父が、聖であることを示して世に遣わした者について、『神を冒涜している。』と言うのですか。もしわたしが、わたしの父のみわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、 あなたがたが悟り、また知るためです。」ヨハネ10:36-38 - イエスのわざは神がほめたたえられるためになされた。17:4
イエスの力を認めさせるためではない。神の栄光を人々がたたえるためだった。
- イエスは神から命じられたとおり「奇跡」や「いやし」を行った。
- どうか、天において私の権威と栄光を確立してください。
今や、イエスはすべてのわざを終えて、父とともにあることを切望されている。17:5
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。ヨハネ17:5
弟子たちのために祈る 6-19節
- イエスの弟子たちはどのような人たちか。
- 父なる神がイエスを信じるように定めておられた人たちだった。
あなたが世から取り出してわたしに下さった人々にあなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さ いました。17:6
弟子たちは、天の父がイエスの宣教によって救おうと定めていた人びとだった。
父なる神は、彼らをイエスと接触させイエスに彼らを救わせたのだった。 - 彼らは、イエスから聞いて神のことばに従った人たち。
彼らはあなたのみことばを守りました。17:6
聖霊によって変えられた真の信者たちは、イエスの教えに同意し、イエスの戒めを守る。
彼らの信仰は成長する。他者に伝道し、信者たちを霊的に養うようになる。 - 彼らは、イエスは神、神から来たと信じた人たち。
わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、ま た、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。17:8
彼らは「イエスが神であること」「神から遣わされたメシヤであること」を告白した。ヨハネ16:
- 父なる神がイエスを信じるように定めておられた人たちだった。
- イエスは弟子たちのために祈りをささげた。
イエスは弟子たちを愛された。彼らを助けてくれるように神に願った。- 彼らに信仰の一致を保たせてください。17:11
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってくだ さい。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。ヨハネ17:11
「わたちのように彼らも1つになる」父なると子イエスは、その様相は異なっていても、目的と使命において1つである。そのように、弟子たちも民族や立場の違いがあっても、同じ御霊を宿し、主の栄光のために生きるという目的と、主を述べ伝えるという使命において1つである。イエスをキリストと仰ぐこれらの人々には、必然的に、助け合う深い交わりが生じる。 - 彼らが「救われる信仰」を保つようにしてください。17:11
あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中 に、彼らを保ってください。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。ヨハネ17:11
私は弟子たちの信仰を保った。弟子の中には救われなかった人もいた。しかし彼(ユダ)は、はじめから滅びる定めにあった人で、彼の滅びは聖書に預言されていた。
イエスは自分が弟子たちから離れるとき、父なる神に彼らの信仰を保持させてくださいと願う。 - 悪い者、迫害者たちから守ってください。17;14-16
わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。ヨハネ17:14,15
世はイエスを憎むために、イエスの弟子たちをも憎む。
イエスは、弟子たちをサタンから策略や苦難に合わないようにとは祈っていない。弟子たちが、悪との闘うなかで、苦しみ悲しみ、さまざまな危険の中にありながらも、悪に屈することなく勇敢に立ち向かって勝利することをイエスは望んでいる。そのための助けをイエスは祈っている。
そして、神は、ご自分の民たちが、サタンによって致命的に傷つけられることをゆるさない。私たちは、世にあって悪い者たちからの攻撃にさらされることを多く経験する。しかしイエスが私たちのために祈っていてくださるので、神は私たちを守り、最終的に勝利することが約束されていることを忘れてはならない。 - 真理によって彼らを聖めてください。
そして、享楽や罪の誘惑から離れさせてください。
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。ヨハネ17:17
わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。ヨハネ17:19
「聖別」とは、聖霊によって神の真理が心にきざまれた結果、悪を嫌い、悪から離れること。
このことは、私たちが聖書を読み、説教を聞くことを通してなされる。
神のことばは真理を伝える。真理を知って自分に適応することで弟子たちは聖められていく。
その結果、世の享楽や罪の生活から離れるようになる。このことを人間の努力で続けることは不可能である。私たちに神の真理を解き明かし、私たちの心に真理を刻みつけるのは聖霊の働きだから。真の信者はみな聖霊をいただいている。だから信者は、聖書を読み、説教を聞くとき、聖霊によって神の真理を教えられる。そして、世の享楽や罪の誘惑から離れるようになる。
- 彼らに信仰の一致を保たせてください。17:11
弟子の伝道によって信じる人たちのために祈る 20-26節
- 弟子たちの伝道によって、将来起こされる信者たちのためにも祈る。
わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。ヨハネ:20
- 弟子たちの伝道で生まれる教会が1つとなるように。17:20-22
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。 そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。17:21
イエスは11節で弟子たちのために一致を祈られた。この一致が弟子たちの宣教によって救われるすべての人びとにも及ぶようにと、イエスは祈っておられる。- この一致は外面的ではない、命の根源と命の目的を1つにすることから生じる一致
ここ言われている「一致」とは、「お互いの考えを認めよう」とか「親切にしよう」ということ外面的、形式的に一致しようということではない。それは、生きる目的(主の栄光のために生きる)と命の根源(御霊によって新生した)を1つにすることから生じる、生命的、人格的な一致である。
- この世は、このように深い一致を作りだすことはできない。これは真の信者の交わりに特有なものだから。世は、自分たちとの違いを知らされて、イエスが神だと認めるようになる。
この世は、決してこのような深い交わりを作ることができない。なぜなら、これは信者に内住する聖霊が生み出す、超自然的な賜物だからだ。そして未信者たちは、信者たちのこの一致を見て、信者が頼りにするイエスが、神から遣わされた救い主「キリスト」であることを認めるようになる。 -
信者の群れが1つとなるためには、御霊の影響が、教会員1人1人に行き渡らなければならない。
またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。17:22
御霊は神の栄光を現わす。真理を悟らせる。教会が一致するためには、神の御霊の影響が信者たちにしっかりと流れていなければならない。つまり信者1人1人が御霊から良く教えられて、神の御心を第一にしていなければならない。また、神が栄光を現わされることを、第一に求めていなければならない。
- この一致は外面的ではない、命の根源と命の目的を1つにすることから生じる一致
- 信じる人たちを天国に入れてください。
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておら れたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。ヨハネ17:24
信者たちが、天国での神の栄光を見ることができるようにと、イエスは祈った。
これは、信者たちの信仰を最後まで保たせ、天国に入れてくださるようにと、イエスは父なる神に祈られている。この祈りから、私たちの信仰は、神がささえてくださり保っていてくださるものだということがわかる。そうであるなら、イエスの祈りの対象とされている信者たちの信仰は、最後まで守られる。そして彼らは確実に天国の栄光を見るということが言える。 - イエスは真理を知らせ続けてくださる。聖霊によって信者は教え続けられる。(聖化)
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、ま たわたしが彼らの中にいるためです。」ヨハネ17:26- 聖霊が真理を知らせてくれる。その働きは生涯にわたって続く。
イエスは「神の御名をこれからも知らせる」と約束してくださった。
信者に御霊を送られたイエスは、御霊によって「神の真理」を私たちに教え続けてくださる。
私たちは死ぬまで完成されることがため、聖霊のこの「ありがたい働き」は、私たちが生きている間中ずっと続けられる。 - 自分の聖書知識、信仰の成長に甘んじ、聖霊に聞き従うことを止めるなら、教会で尊敬される立場にある人であっても、肉に支配されるようになる。このことは心得ておくべき。
神の真理を「悟るのに遅く」「実行することをためらう」私たちにとって、聖霊が私たちを「正し」「いさめ」「警告を与える」働きは、絶対に必要である。自分は聖書を知っている、自分の信仰は成長したと高ぶって、聖霊に聞かなくなるなら、キリスト教会で尊敬される立場にある人であっても、必ず肉に支配されるようになることを、私たちはおぼえておく必要がある。
- 聖霊が真理を知らせてくれる。その働きは生涯にわたって続く。
- 弟子たちの伝道で生まれる教会が1つとなるように。17:20-22
考察1 信者たちの一致について。 イエスは信者が1つになることを願われた。
信者の一致は、御霊によって生み出される超自然的なもの。
外側ではなく内側から生じる。御霊がつくりだす信仰の一致。
信仰者は御霊によって、心が新しくされ、御霊の支配の下にある者です。
御霊は信者に真理を伝えます。ですから、信者の間に一致があるのが当然です。
そして、この一致は、一緒にいよう、親切にしようと努力して、外側つくろう一致ではありません。
この一致は、御霊を受けた心が1つの神によって魅了されることを通して、必然的に生じる深い交わりです。御霊を受けた者同士は互いに、助け合い、祈り合います。
信仰の一致は作り出すものではなく、保つもの。
一致は保つと言われています。
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。エペソ4:3
事実、イエスから教えを受けた12弟子の間には一致がありました。
なぜなら、彼らは同じ御霊から教えられ、同じ御霊に従ったからです。
彼らは同じ主を礼拝し、主のために生きるという同じ目的を持ち、彼らの命は同じ根源から与えられています。彼らは、イエスを長子とする神の家族に属し、兄弟姉妹と呼ばれます。
ですから、御霊を宿す信者同士の間には、一致があるのが自然です。もし一致がないなら、それは何らかの「さまたげ」があるからです。ですから、真理に従わせなくする力に屈するな、本来の信仰を保てと言われているのです。
信者たちの信仰が、一致していない現実とその理由。
ところが、パウロが宣教をしてた初代教会の時代に、すでに律法を重視する異端が入り込んでいます。
今、キリスト教会は、多くの教派に分かれ、同じ教会に所属する信者であっても、違った信仰を持ち、一致とはほど遠い状態です。
では、なぜそのようになっていないのでしょか。
その原因は、神の秩序を乱し、信者の信仰を破壊しようと働くサタンです。サタンは人の心にある罪の思いを増長させて、神のことばに反抗させます。神のことばを曲解(本来そうではない意味に変えて理解する)させて信じるように誘惑します。
また、聖霊によって心を変えられ新生していない信者が、教会に存在することも否定できない事実です。
彼らには、聖霊による解き明かしがないため、聖書を正しく信じることができません。
一致ができない理由として考えられること。
第一に、聖霊を宿していない信者との信仰の一致は不可能です。
信仰の一致は、同じ御霊を宿した者たちが、1つの神、1つの御霊から真理を教えられることによって保たれるからです。
第2に、御霊から教えられても従わない信者との一致は不可能です。
真理を知らされても、自分の罪の思いを優先する信者は、神のことばを曲げます。そして自分にピッタリな信仰をオーダーメイドします。その結果、彼らの信仰は、御霊が伝える真理からかけ離れて行きます。そのため、御霊に従う信者との間に信仰のずれが生じ、互いに一致することができません。
信仰の一致を保つために、教会が心得ておくべきこと。
教会は、御霊によって新生した信者に洗礼を施すことです。そうでなければ、教会が神の真理にもとづいて運営されていくことが困難になるからです。そのために、教会は、求道者に対して「救いに至ることができる福音」を述べ伝えなければなりません。また、求道者の告白の真意を見極める冷静な判断が必要です。これは牧師だけでなく、役員たちにも課せられた、神の教会の霊性を正しく維持するために重要な役割です。
まら、教会員たちに、神の正しさを認め、自分の判断や良識を神の真理の下(2番目にする)に置くことを教えることも大切です。神の真理と世の良識にずれがあるため、聖書を読むとき信者は戸惑います。彼らは、自分が生まれながら持つ神観を優先して、神の真理を退けたい誘惑を覚えます。ですから、教える立場にある人は、信者が神の真理を曲げる誘惑を受けやすいことを知って、神の判断を優先するように導くことが大切です。そして、真理に従うとき、私たちは守られることをしっかりと教える必要があります。
信仰の一致があるなら、教会は自然と建て上がる。
互いの賜物が結び合い補い合って、さらに大きな神の働きのために用いられるようになる。
御霊による信仰の一致があるとき、教会は自然と建て上げられていきます。
各人が、宣教や助け合うこと、祈り合うことを、「するべき」だからではなく、「したい」と思うからです。このようにして、信仰の一致によって教会が1つになり、力強く伝道をしていく群れになるのです。
ですから、外側の一致を作ることで、教会を強くしようとする試みは失敗します。
クリスチャンは少数派だから、集まる必要がある。集まるなら、もっと大きな働きができる。
だから信仰の違いにこだわることはやめよう。お互いの違いを尊重して、一致しよう、一緒に伝道しよう。とにかく、イエスが神だと言う教会同士なら一致できる・・・。
しかし、人間の努力で作り上げる一致は続きません。たとえ、一時的に協力することはできても、必ず互いの違いに我慢できずに離れることになるからです。
ですから、私たちに本当に必要なことは、たとえ困難であっても、信仰の一致を目指すことです。それは、私たちがするのではなく、御霊がしてくださいます。私たちは御霊の風を感じつつ、御霊に導かれていくだけでいいのです。
考察2 御霊は真理を教え続ける。信者の信仰は成長し、真理は彼らを世から聖別する。
このことにより、世は信者の内に住むキリストを認めるようになる。
イエスは、天に昇られた後も信者を教え続けると約束されました。
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。ヨハネ17:26
その通り、御霊は信者に真理を教え続け、信仰を成長させてくださっています。その結果、信者は、世の享楽や罪の誘惑から離れるようになります。これを「聖別」といいます。
信者が以前とは違って、自分たちが密かに楽しんでいる罪から離れることを見て、未信者たちは信者の内に、神が生きておられることを意識させられます。
また、迫害を受けても屈しない、困難にあっても折にかなって助けが与えられ、絶望的な状況(死の床)にあっても「永遠の命」の希望をもって支えられている信者を見て、未信者は、彼らが確かに神に愛されていることを認めるようになると、今日の聖書個所は語っています。
考察3 天の父からイエスに任された人たちは、御名を知り、みことばを守った。それと同様に、天の父から呼ばれて信じた人、つまり聖霊による抵抗できないうながしによって信仰告白をした人は、必ず真理を知り、真理に従うようになる。
イエスは、十字架上での死を目前にして「全人類の救いのため」に祈りませんでした。
ただ、「天の父からご自分に与えられた人たち」だけのために祈られました。
「父かイエスに与えた人」とは、父なる神が永遠の昔から救いに定めておられた人たちのことです。
父が、その人たちをイエスにゆだねたのは、イエスを通して彼らが御父を知り、救われるためでした。
そして、イエスを通して神を本当に知った彼らは、神の教えを守りました。
このことから、父が救いに定めた人たちは、真理を知り、真理に従うようになることがわかります。
今の時代、イエスは天に昇られていて、私たちはイエスから教えていただくことはできません。
しかし、聖霊がイエスの代わりとなって、救われる人たちのところに降ってくださいます。
そして、聖霊が降った魂は、聖霊による抵抗できない強いうながしによって信仰を告白します。
このようにして、救われた人だけが本当に神を理解し、喜んでみことばに従うことができます。
ですから、聖書のこの箇所が嫌いとか、神のこのご性質は受け入れられないなど、神に文句をつけなければ信仰を保てないのであれば、そのようにしか信じられない自分の信仰を吟味することの方が重要になります。