- 1 ミカは母から金を盗んだ、母はその金で鋳造を造らせた
- 2 ミカは自分の宮のためにレビ人を雇った
- 3 ダン族の若者が相続地を見つけるために、ミカの家に一泊した
- 4 ダン族はライシュを相続地と定め、占領することにした
- 5 途中ミカの家に行った。彼の祭司をダン族の祭司として連れていった。
- 6 ダン族はライシュを攻め取った
モーセの子ゲルショムの子孫がダン族の祭司であった
- 6.1 レビ人は住むところを探していた。人々が宮へのささげ物をないがしろにしていたからだ。人々は自分が良いと思うことを行っていた。彼らは次第に律法に違反するようになった。
- 6.2 自分が正しいと思うことが主にとって正しいとはかぎらない。 主が正しいと定めたことを知り、それを守ることをが正しい。
- 6.3 ミカは鋳造も祭司も取り上げられた。これをどう理解したらいいのか。
- 6.4 ミカが持っていた宮や鋳造、レビ人は、ミカが主の定めに違反して、自分が正しいと思って造ったものだった。だから、主は彼からそれを取り上げられた。
- 6.5 私たちはキリスト抜きで、ライシュの人々のように安心しきって暮らしていないだろうか。そうであるなら、彼らと同様に、人生の危機の時、簡単に打ちのめされてしまうだろう。キリストを信じることが、私たちの人生の一番の備えである。
ミカは母から金を盗んだ、母はその金で鋳造を造らせた
- ミカはエフライムに住んでいた。17:1
- ミカは母の金、銀千百枚を盗んだ。しかし、主からのわざわいを恐れて母に返した。
母が、盗人をのろって言ったことが、自分に起きると恐れたから。17:2 - 母は、主が金を自分のところに戻してくださったことを感謝した。
そこで、その金で主のために彫像と鋳造を造ろうと考えた。そして、戻った金をミカに渡した。17:3
- ミカは母の言いつけ通り、銀細工人に彫像と鋳造を造らせた。17:4
ミカは自分の宮のためにレビ人を雇った
- ミカは、神の宮をもっていた。
エポデとテラフィムを作り、息子のひとりを祭司としていた。17:5 - 当時、民は、それぞれ主にとって正しいと思うことを行っていた。
そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。17:6 - ユダ族のレビ人である若者が、ベツレヘムから住むところを見つけるために旅に出た。
その途中、ミカのもとに滞在した。17:7-8 - ミカは彼を自分の祭司として雇いたいと申し出た。レビ人は同意した。
「私といっしょに住んで、私のために父となり、また祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、あなたの生活 費をあげます。」それで、このレビ人は同意した。17:9-12 - ミカは大いに喜んだ。
そこで、ミカは言った。「私は主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから。」17:13
ダン族の若者が相続地を見つけるために、ミカの家に一泊した
- ダン族は5人の勇士を選び、エフライムの山地を調べた。
彼らは、ミカの家で一泊した。18:1-3 - 5人の若者は、レビ人の声を聞いて、ミカの宮に入った。
そこで彼らはレビ人がミカの祭司になった理由を知った。18:3-4
- 彼らはレビ人に、この旅が成功するかどうか主に聞いてほしいと願った。
レビ人は、旅の成功を告げた。18:5-6
ダン族はライシュを相続地と定め、占領することにした
- 5人の若者はライシュに着いた。その地は相続地として最適だと思われた。18:7-8
そこには、シドンから移り住んだ人々が集落をつくっていた。
- その地は肥沃な地で足りないものがないほどであった。(肥沃な土地)
- シドンから遠くにあり、シドンから襲われる危険が少ないと思われた。(自分の国からも離れていた)
- しかもその地の住民は、安心しきって暮らしていた。(部防備だった)
- だれとも交渉がなかった。(孤立していた)
(敵に襲われたとき、共に戦ってくれる同盟国がなかった)
- 5人の若者は戻って、ライシュを攻めることを身内の者に提案した。18:9-10
途中ミカの家に行った。彼の祭司をダン族の祭司として連れていった。
- ダン人の氏族六百人が武具を身に着けて旅立った。その途中ミカの家に着いた。
キルヤテ・エアリムに宿営し、そこからエフライムの山地を通ってミカの家についた。18:11-13
ミカの家に行くことが目的であった。彼らはレビ人を連れて行くことに決めていたからだ。 - ライシュに偵察にいった5人は、身内の者をミカの家に行かせてレビ人に挨拶させた。
祭司は、六百人の武具を身に着けたダンの人々と、門の入り口にいた。
5人の若者は、ミカの家に入り、エポでとテラフィム、彫像と鋳造を取った。
そして、ミカの祭司に「自分たちといっしょに来て、自分たちの祭司になってほしい」と言った。
「あなたはひとりの家の祭司になるのと、イスラエルで部族または氏族の祭司になるのと、どちらがよいですか。」18:19 - 祭司の心は弾んだ。ダン族の祭司になることに同意した。18:20
- ミカは家の近くの人々を集めて、ダン族を追いかけた。彼はダン族に文句をいった。
しかし、彼らが自分よりも強いのを認めて、自分の家に帰った。18:22-26
ダン族はライシュを攻め取った
モーセの子ゲルショムの子孫がダン族の祭司であった
- ダン族は、安心しきっていたライシュを襲った。剣で打ち、町を火で焼いた。18:27
- その町が救い出すものがいなかった。シドンからの攻撃もなかった。簡単に町は攻略された。18:28
- ダン族は、そこに町を建てて住んだ。町の名をライシュからダンに変えた。18:29
- ダン族は、神の宮がシロにあった間中、ミカが造った彫像を立てた。
捕囚の日まで、モーセの子ゲルショムの子ヨナタンの子孫が彼らの祭司であった。
レビ人は住むところを探していた。人々が宮へのささげ物をないがしろにしていたからだ。人々は自分が良いと思うことを行っていた。彼らは次第に律法に違反するようになった。
レビ人は自分の雇い先を見つけるために旅をしていた。このことから、当時の人々の信仰が堕落していたことがわかる。なぜなら、レビ人は、宮からの奉納物で養われるはずだからだ。そのように律法に定められているからだ。また、彼らが奉仕するところは、氏族ごとに定められていたのではなかったか。
おそらく、当時の人々が偶像を拝んで偶像にささげ物をし、イスラエルの神をないがしろにしていたからであろう。そのため、祭司を養うのに十分な奉納物が集められなかっていたと思われる。だから、このレビ人は自分養うために、雇い人を探していたのであろう。レビ人も主の宮ではなく、個人が建てた宮で働くとは、彼も律法に従っていない。まさしく、士師記17章6節に書かれているように、各自が主にとって正しいと思うことを行っていた。
自分が正しいと思うことが主にとって正しいとはかぎらない。
主が正しいと定めたことを知り、それを守ることをが正しい。
人々はそれぞれ、正しいと思うことを実行していた。その結果、彼らは主が定めた律法に違反するようになっていた。レビ人は雇人を捜し歩き、ミカは勝手に宮を建て、息子を祭司に立てていた。彼らには信仰があった。しかし、彼らは律法に何が書かれてあるのかよく知らなかったのではないか。律法の存在すら忘れかけていたかもしれない。彼らの神についての無知と不従順が、結局は神の怒りを買うことになり、自分たちに不幸を招く結果となっていた。
私たちも、彼らと同じ過ちを犯していないだろうか。聖書を読まず、そこに何が書かれてあるのかよく調べもしないで、自分が神にとって正しいと思うことを行っていないだろうか。時には自分の判断が正しいこともあるだろう。しかし多くの場合。人の考える正しさは神が定めた義と一致しない。結果として、私たちは主の御心に背き、主の怒りを買う者になってしまう。だから、何事も是非を判断するとき、私たちは、自分の考えよりも、聖書が示す判断を優先することを学ばなければならない。
結婚について、偶像について、主を信じることについて、聖書はどのように教えているか。
たとえ、主を信じない多くの人々が実行していることで、今の時代常識だとされていることでも、もし聖書がそのことを罪だと定めているなら、私たちは彼らと同じように行うことはできない。
ミカは鋳造も祭司も取り上げられた。これをどう理解したらいいのか。
1家族の祭司から1部族の祭司に任命されることは、すごい昇進だ。
この提案に、祭司の心がはずんだことは大いに理解できる。
祭司はミカに恩義を感じていたであろうが、この選択は仕方がないと思われる。
しかし、ミカの落胆は大きかったであろう。彼は喜んでいたのに、全てを取り上げられてしまった。
これは理不尽としか言いようがない出来事に見える。これをどう理解したらいいのか。
ミカが持っていた宮や鋳造、レビ人は、ミカが主の定めに違反して、自分が正しいと思って造ったものだった。だから、主は彼からそれを取り上げられた。
ミカは自分の良識を主の定めよりも正しいとした。そのため律法に違反して行った。
その結果、主は彼の礼拝を退けられた。
信仰において、ミカは自分が正しいと思うことに従った。自分の判断を信頼した。彼が正しいと思うことが、律法に違反する場合は、律法が間違っているとか、自分の判断が正しいとして実行していた。
彼は、大金を払って鋳造を造り、レビ人に毎年ささげものをしていたが、彼の奉仕を主は喜んでおられなかった。彼が持っていた主のための宮や祭司は、主が彼に与えたものではなかった。それらは、彼が主よりも自分の良識に信頼して、自分の財力で築き上げたものだった。だから、主はミカの礼拝を良しとされなかったのである。そしてそのことを彼にも、また後の人々にもわからせるために、主はダン族によって彼から全てを奪ったのであった。
私たちはミカのことから何を学ぶことができるか。
やはり、自分の良識や判断に頼るのではなく、主の定めに従って、信仰を築き上げることの大切さではないだろうか。主はミカを退けられた。私たちもミカと同じように信仰するなら彼と同じようになるだろう。
私たちはキリスト抜きで、ライシュの人々のように安心しきって暮らしていないだろうか。そうであるなら、彼らと同様に、人生の危機の時、簡単に打ちのめされてしまうだろう。キリストを信じることが、私たちの人生の一番の備えである。
ライシュの人々の個人主義、利己的な暮らしは、敵国が攻めきたときに、一気に崩壊した。
ライシュは肥沃な地で、人々が暮らすために申し分ない土地であった。そこへ故郷のシドンから移住して来た人々が集落をつくって暮らしていた。彼らは故郷シドンから離れて住んた。故郷での暮らしが支配者の命令や税の負担などで圧迫を受けていたためであろう。ライシュでは、彼らに命令すを下す者はなく、彼らは自由で平和に暮らしていた。彼らは外部との関わりを持たず、自分たちを守るための防備もしなかった。各人が自分の暮らしを楽むことを第一にしていた。集落の防備をしたり、他国と同盟を結ぶことに関わることを避けた。それらは自分の時間、自由を奪う煩わしいことだったからだ。
彼らは、自分や家族との人生を楽しむこと、自分が収穫して豊かになることだけに関心であった。
しかし、彼らのこのような暮らしぶりが、彼らに突然の破滅をもたらすことになった。
無防備で同盟国もななく、故郷シドンからも遠く、援軍を期待できなかった彼らは、ダン族の突然の襲撃で集落を焼かれ、剣で殺された。彼らの自由で平和な暮らしは一瞬にして消滅した。
私たちもライシュの人々のようではないか。人生の危機に対する備えをせずに安心しきっていないか。
多くの人々はこのライシュの人たちのようである。自分たちが楽しむこと、自分が豊かになることに関心がある。とにかく人生を楽しみたいのだ。そして一切の煩わしいことから離れたいのだ。
まして、他者のこと、全体のことを考えるなんて気は毛頭ない。
このような人は、人生の危機に対して無防備だ。自分は仕事がある、家をもある、子供もいる、健康だ、
金も多少はある。だから大丈夫だ。彼らは安心しきって暮らしている。
ところが、彼らの人生に想定外の出来事が起こると、彼らはたちまち意気消沈して立ち上がれなくなる。
その結果、仕事を失う、家族が離散する、健康を失う。
実は彼らの安心しきった暮らしは、絶妙なバランスにおいて保たれていたにすぎない。
だから、ほんの少しの出来事で一変するものだったことを、彼らは気づかない。
私たちにも、ライシュの人々と同様に、危機は突然やってくる。
人生には思わぬ出来事が数多く起こる。病気をすることもある。会社が倒産する、もっと働けると思っていたのに解雇されることもある。子供が問題を起こすこともある。また妻との関係が悪くなったり、家族が病気にかかる、介護が必要なる、死ぬ、さらに自分も死ななければならない。
このような人生の危機に際して、あなたは備えができているだろうか。ライシュの人々のように無防備なままだろうか。
危機にあって、今まで頼にしていたことが、自分を救ってくれないことがわかる。
キリストだけがあなたを支えることができる。
この世には備えとして進められているものはある。お金、医者などしかし、最終的には、これらは、自分の人生の危機を救ってくれない。キリストは私たちとともにあって、私たちがどのような危機にあるときも、慰め、励まし、最後には希望を与えてくれる。ときには、人生についての深い洞察を与えてくれ、私たちが苦しい時期を忍耐することができるようにしてくれる。
死に際しては、天国への希望を与え、私たちを復活させて永遠に天国で生きさせてくれる。
あなたは、キリストを信じているか。キリストをいただくことで、人生の危機に対する備えができているか。
あなたはまずすべきことは、金を稼ぐことや、仕事や伴侶を探すことではない。あなたがまず第一に緊急に準備するべきことは、あなたが主との関係を持ち、キリストの救いを受け取り、キリストのものとされることだ。
これ以上に、人生で重要なことはない。